ソクラテスを中心に七人がエロスへの賛美を競った物語――この作品だけが、特定個人との対話でないのはなぜか。過去の語りが二重化されているのはどうしてか。そこに書かれなかった未知を読み解く。ギリシア語のテクストに徹底的に分け入り、正確な訳と詳細な註で、古典の新たな魅力を甦らせる一冊。
以上の能書きの山本 巍東大教授のこの本、
翻訳は比較的易しくて親しめるのだが、倍以上もボリュームのある「詳解」が難しい。
大判の418ページで、価格も7150円であるから、いわば、学術書である。
いつもの読書癖で解説を読みたいと思って探したのだが、出てきたのは、この本と朴 一功 教授の「饗宴,パイドン」の京大版。
先に読んだ納富教授の「プラトン哲学の旅 エロースとは何か」で、「詳細を検討しながら読みたい方には、この山本本が最良の導き手となる」とのことなので、まず、読んでみたのである。
プラトンは勿論ギリシャ哲学にも疎いながら、なぜ、記録などを何も残さなかったソクラテスの哲学を、プラトンは、現存する著作の大半をソクラテスを主要な語り手とする対話篇という形式で残したのか不思議に思っていた。しかし、この「饗宴」は、プラトンの著作であり、プラトンの哲学だと気づいたのである。
さて、山本教授の高邁な詳解の理解には、何回も熟読する必要があるのだが、これまで、どんなに素晴らしい本でも読み返した経験が殆どないので無理であり、興味を感じたアリストパネスの人間の起源について後半のディオティマ説を踏まえて触れてみたい。
原始人間が二つに分断されて、片割れとの結合を希って分裂から合一なった男女が「永遠の陶酔」の内で無為に死んでいくことを哀れんだゼウスは、人間が大地に生むために背中にあった生殖器を前に移し、互いの中に、つまり男によって女の中に生むようにさせた。生殖を男女の関係に置き、存在論的性とは違う、生殖に直結する性が初めて登場した。
人間の性を、生と死、死と創出が取り囲んでいる。個体としての自分は死んで、新しい生命の未来を生み出すという活動に振り向けられた。死すべき人間が、自己の中に自己を超える未来を胎蔵して妊娠し不死性を獲得する。死すべきものが永遠不滅性に参与する。のである。
「饗宴」は、エロースの哲学であるから、エロースの道を正しく進む必要がある。この世の美しいものから始めて、更なる美を目標に昇ることで、階段のようにして、一つの肉体から二つの肉体へ(兄弟的類似性)、二つの肉体からすべての美しい肉体へ(一義性)、と進み、
そして、美しい肉体から美しい振る舞いへ(こころの美)、さらに、美しい振る舞いから美しい学習へ(知識の美)へ進んで行く。
最後に、その学習から〈あの美〉そのものの学習にほかならないかの学習に到達する。終極において、〈美しい〉それ自体を知る。ことになるという。
哲学の世界と言うか、良く分からないが、納富教授の説明を再説すると、
美の追求において、最初は美しい肉体を愛するが、次には、魂における美こそ尊いものだという、心霊上の美を肉体上の美よりも価値の高いものだと考える。美しさとは、見た目の綺麗さをはるかに超えて、内面の、あるいは、行動や生き方のすばらしさ、精神的な美であり、その経験によって芸術や文学を生み出し、共に生きていく論理につながる。
次に感知すべきは、知識の美しさである。真理を探究し、学問に従事し研究してゆくと、純粋にそれを知りたいと思って学び、楽しいと感じる瞬間が訪れる。
美しい様々な事柄から美しいもろもろの知識へ進み、美の全体を見渡す一つの知識という場所に立つ。これを観照して、その中で多くの美しく壮大な言語と思想とを、惜しみない知への愛において生み出してゆく。そこで力を得て成長し、まさにこのような美の中に一つの知識を見だすまで進んで行き、このエロースへの道程の極致に近づく時、滅することも増すことも減ることもない真の美そのものを観得し、不死の境涯を体得して、人生に生き甲斐を感じる。と言うのである。
美しい様々な事柄から美しいもろもろの知識へ進み、美の全体を見渡す一つの知識という場所に立つ。これを観照して、その中で多くの美しく壮大な言語と思想とを、惜しみない知への愛において生み出してゆく。そこで力を得て成長し、まさにこのような美の中に一つの知識を見だすまで進んで行き、このエロースへの道程の極致に近づく時、滅することも増すことも減ることもない真の美そのものを観得し、不死の境涯を体得して、人生に生き甲斐を感じる。と言うのである。
面白いと思ったのは、死生観の違いで、古代ギリシャでは、死すべき人間が愛の交歓によって不死性を得るという考え方で、中国など不老不死を願って皇帝たちが神仙術に明け暮れていたし、ファラオが永遠の生命を願ってピラミッドを作るなど、そのバリエーションが面白い。
エロースへの希求はともかく、我々凡人は、いつかは死ぬ運命であるから、出来るだけ美しくて素晴らしいベターハーフを見つけて、善き子孫を残せと言うことであろうか。