熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

音楽の効用は文明初期から

2025年02月01日 | 学問・文化・芸術
   ヘンリックの「WEIRD(ウィアード)「現代人」の奇妙な心理」を読んでいて、音楽の効用につて興味深い記述があった。
   人間の文化社会にとって、音楽は、文明初期の段階から重要な役割を果たしていた。と言うのである。

   未開人類にとって、同期性、リズミカルな音楽、目的志向の共同行動がすべて作用しあう神聖な共同体儀式は非常に重要であった。儀式を遂行するという共通目的に向かって人々をまとめることによって共同体意識を深めて、人間関係を培い、個人間の信頼を強めて、連帯や相互依存の感覚を高めて集団の結束を図る。
   この同期性や共同行動を補うものとしてのリズミカルな音楽は、心理的に働きかける儀式の力を三通りのの方法で強めている。第一に、リズムに合わせている個々人が、身体の動きを同期させるのに効果的な仕掛けとなる。第二に、音楽を共通に演奏することが、集団にとっての共通目標になる。第三に、音楽は二つ目の感覚――動作に加えて音響――を通して作用することで、気分に影響を及ぼし、儀式に高揚感を齎す。
   これら神聖な儀式においては、音楽が必須だったのである。

   この共同体儀式の様子などは、今でも、それに似た民族集団的な儀式をテレビなどで見ているのでほぼ想像はつく。
   私が、意識しているのは、この音楽行動が、人類にとっては、原初より人間生活の根幹であって、切っても切り離せない命の一部であったと言うことである。

   さて、今日では、儀式に伴う音楽も様変わりして、この儀式でのような音楽体験をすることは、殆どなくなっている。それに、音楽も、儀式から離れて、独立して存在して機能するようになってきている。

   ところで、自分自身の音楽体験だが、何故か、小中学生時代には音楽の授業を軽視して身を入れて対処しなかった。大学生になって以降クラシック音楽に入れ込み、レコードを買い込みコンサートやオペラに通い詰め、長い欧米生活を良いことに最高峰の音楽を楽しみ続けて、生活の一部にもなっているので、今では、痛く後悔している。

   この天邪鬼が祟って、演歌など日本の歌謡曲なども紅白歌合戦くらいで聞くこともなく、クラシック一辺倒で通してきたのだが、不思議なもので、NHKの4KなどBSで演歌が流れてくると、ついつい、懐かしさを覚えて聞き続けている。日本人としての音楽心がビルトインされているのであろう。
   私の好きな歌謡曲と言うか聞くといつもホロっとするのは、「神田川」「いい日旅立ち」「琵琶湖周航の歌」。

   外国旅行で聞いた民族音楽も忘れ難い。
   スペインのフラメンコ、ポルトガルのファド、アルゼンチンのタンゴ、ブラジルのサンバやボサノヴァ、 メキシコのマリアッチ、ニューオーリンズのジャズ・・・
   同じ「エル・コンドル・パッサ」でも、ボリビアのラパスの咽返るようなナイトクラブで聞いた時と、マチュピチュの頂上で聞いた時のケーナの音色は違うし、
   とにかく、異国での音楽は胸にしみて懐かしさえ感じさせてくれる。

   フィガロの結婚も、ローエングリンも、ラ・クンパルシータも、聖者の行進も、有楽町で逢いましょうも、私の耳元で鳴っている。
   さて、私にとっては、音楽は何であったのであろうか。
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人類の識字率アップはルターのお陰

2025年01月30日 | 学問・文化・芸術
   先に、ピケティとサンデルの平等論争で、高等教育の機会格差が問題であることを論じた。一寸視点は違うのだが、人知・教養の面から、ジョセフ・ヘンリック (著)「WEIRD(ウィアード)「現代人」の奇妙な心理」を読んでいて、文化文明を一気に引き上げた「識字率」が、何時どのような理由でアップしたのか、興味深い記述に出会ったので、考えてみたいと思った。
                    
   言語の表記体系が、強大な勢力を誇る古代帝国などから起源したのは、5000年ほど前からだが、しかし、比較的最近まで、どこの社会でも、識字者が人口の10%超えることは決してなく、識字率はそれよりはるかに低いのが普通であった。
    ところが、16世紀に突如、まるで流行病のごとく、読み書き能力が西ヨーロッパ中に広がり始めた。

    それは、1517年のハロウィーン直後に、ドイツのヴィッテンベルクで、マルティン・ルターの「95か条の論題」が発端となって宗教改革が始まった。これが引き金を引いたのである。
    ルターのプロテスタンティズムの根底にあるのは、一人一人が神やイエス・キリストと個人的関係を結ぶべきだという考えで、それを成し遂げるためには、男も女も、独力で、神聖なる書物――聖書――を読んで、その内容を理解する必要があり、専門家とされる人や聖職者の権威、あるいは、教会のような制度的権威にたよりきるわけには行かなくなった。
   この「聖書のみ」と言う教理は、誰もが皆、聖書を読む力を身につけなくてはならないことを意味していた。

   そのためには、聖書を、それぞれの言語に翻訳する必要があり、ルターによるドイツ語訳聖書は、たちまちのうちに広く普及するのだが、ルターは聖書の翻訳のみならず、識字能力や学校教育の重要性についても説くようになった。当時、読み書きできたのはドイツ語使用人口の1%に過ぎなかったので、ザクセン選帝侯など統治者たちに、読み書きの指導と学校管理の責任を負うように圧力をかけるなど、識字率向上に奔走した。のである。

   プロテスタンティズムと識字能力や正規教育との歴史的関連性は、十分に証明されている。その早期普及を促したのは、物質的な自己利益や経済機会がその要になっていたのではなく、宗教的信念であった。
   識字率や教育に対するプロテスタントの貢献の高さは、カトリックの布教活動との影響の違いの中に、今日でも見て取れ、カトリックの布教地域の人々の識字率や学校教育の普及率は、プロテスタント地域よりもかなり低い。と言う。

   さて、先日の学歴不平等の問題だが、
   学歴格差が深刻で、学歴が高いほど、社会のトップ中枢に近づいて権力構造に昇りつめる欧米とは違って、学歴社会だと言いながらも、大学院卒の博士や修士がそれなりに評価されずに軽視され、大卒がトップを占める日本では、事情が大分違っている。欧米システムの、大学は教養、大学院は高度な学術・専門知識技術と段階的に高度化しているのとは違って、高校も大学も同じ教養教育をして僅かに専門知識を詰め込んで企業戦士のスペアパーツを作り上げたとする日本の大学、この教育システムが特異なのかも知れない。

   さて、欧米も日本も、トップ大学合格如何は、親の財力経済力に掛かっていると言う。東大生の親は一部上場企業の部長以上だと言われたことがあるが、我々の時のように貧しい地方の俊英が食うや食わずで上京したのとは、時代が違う。
   まず、今では、東大を目指すためには、トップクラスの中高一貫校に入学しなければならないのだが、そのためには小学校の中学年から著名な受験専門の塾に通い詰めて勉強する必要がある。塾生の勉強を毎日フォローしなければならないし、大学受験までは、膨大な出費が必要であり、これに堪え得る知力と財力を備えた親はそれほど多くはない。

   ルターの時代は、幸せになるためには、読み書きができて聖書を読めることが必須であったが、今では、何が必要なのであろうか。
                                  
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トマ・ピケティ , マイケル・サンデル「平等について、いま話したいこと」

2025年01月28日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   当代一の経済学者トマ・ピケティ と政治哲学者マイケル・サンデルが相まみえて、真の「平等」をめぐり徹底的に議論する!対話篇「平等について、いま話したいこと」

   まず、私が意識したのは、先日ブックレビューした斎藤幸平の「人新世の資本論」で、ピケティが、「飼い馴らされた資本主義」ではなく、「参加型社会主義」を意図した社会主義者に「転向」したと書いてあったので、主義信条がどのように変わったのか、新しい価値観に興味を持ったことである。
   この対談でも、ピケティは、わたしが標榜しているのは民主社会主義、連邦制の国際社会主義です。と発言しており、世界連邦にまで言及している。世界連邦については、もう70年以上も前中学生の頃に入れ込んで勉強した政治機構なので懐かしい限りだが、稿を改めたい。

   所得と富の不平等を説いたピケティが、冒頭で、世界中で多くの不平等が存在するものの、長期的に見れば常に平等へ向かう動きがあったことを強調している。社会運動や政治的要求、基本的財である教育、保健医療、選挙権などの機会を得る権利、民主的な参加への権利の平等や自治への意欲などが原動力になっている。と言う。
   不平等が問題である理由は、一つ目はすべての人による基本的な財の利用機会、二つ目は政治的平等、三つめは尊厳。二人の意見が一致して、これらの問題について議論を進めており、
   不平等の大きな制約要件となっているのは、第一は、学歴格差の問題で、高等教育に平等主義を実現しようとする意欲的な目標が事実上放棄されていること、第二は、世界の南北問題で、繁栄の大部分は国際分業によるものだが、残酷な北による実質的な南の資源の搾取(天然資源と人的資源の搾取)で、その代償として地球の持続性が脅かされている。言う。

   能力主義が機能していないとして、サンデルは、ハーバードなどアイビーリーグ大学の入学者を決めるのに、「くじ引き」を提言している。一定の入学適正基準を設けて、点数や成績がその基準を上回った出願者を入学定員の10倍に絞って、その10%を合格者とする方法である。
   これに、マーコヴィッツの「親の所得が国の下位の3分の2の学生が半数以上になる」など階級構成を変えて利用機会をもっと公平にするなど考えている。
   この考え方を政治にも適用して、二院制の立法府や議会を改革し、一方の議会は選挙制度で構成し、もう一方の議院は、古代ギリシャの発想にさかのぼって、くじ引きで選ばれた市民で構成される議会にするという。

   いずれにしろ、学歴偏重主義が、最後まで容認されている偏見で、トランプやルペン現象は、労働者や大卒でない人たちの多くが、エリートに見下されている、自分たちの仕事の価値をないがしろにされているという感覚の現れ、
   全体的な問題について、仕事の尊厳を肯定し、経済や共通善に――仕事や子育てやコミュニティでの活動を通じて――貢献している人々の生活をもっとよくすることに重点を置くべきだと説く。

   南北問題の最たる温暖化対策については、南の環境保全技術に必要な投資額が著しく不足しているので、階級闘争的に、最富裕層の億万長者や多国籍企業にグローバル税を課し、その税率の一定割合を特定名目分に定めて、人口や気候変動の影響に応じた割合で南側諸国に直接分配する必要がある。必要なのは、発展する権利、自治の権利、自決の権利について、基本的視点に立ち返ることだと、ピケティは、国際社会主義論を展開している。

   この対談で、最後の論点”尊厳”が最も重要で、この側面が政治的にも倫理的にも最も影響が大きく、経済と政治における不平等を減らすためには、より平等な承認、敬意、尊厳,尊重を実現する条件を整えることだと、結んでいる。

   私など、経済格差の拡大、経済的不平等が、一番の関心事であったので、多岐にわたった不平等の存在と深刻さに教えられた。
   私事ながら、私もアイビーリーグ大学の卒業生なので、受験当時を思い出したが、TOEFLとATGSBのテストを受けて、履歴書や推薦書、それに、結構多くの論文を添付して入学願書をウォートン・スクールに送った。どのような判定で入学が許可されたのか分からないが、点数だけではなく、卒業大学だとか職歴なり、それに上り調子の日本企業の経営についての論文なり、総合評価だという。

   ところで、この本、小冊子だが、結構示唆に満ちていて、左派リベラルのサンデルの見解などが垣間見えて面白かった。
   気付いたのは、斎藤准教授の「人新世の資本論」の世界と非常に近い理論展開であったことである。 
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わが庭・・・椿、梅やっと咲き始める

2025年01月26日 | わが庭の歳時記
   今冬は、異常気象なのか、花の開花が遅い。
   口絵写真の椿タマグリッターズなどは、秋が深まり始めると毎年綺麗な花を咲かせて楽しませてくれていたのだが、今年は、やっと、一輪が開花し始めただけで、まだ他の蕾は固い。
   ほかの椿は、ピンク加茂本阿弥のほか、開花を始めた椿は2~3本あるのだが、殆どは蕾の変色もなく硬いままなので、今年は、少しシーズンがずれ込むのであろうか。
   しかし、3月が温かいので、桜の開花は早まるという。
   花木の開花時期を翻弄するのは、地球温暖化の所為なのであろうか。
   


   



   椿の開花に呼応して、ここ2~3日で、梅が咲き始めた。
   いつも、一番先に咲く梅は、鹿児島紅梅。
   白梅の蕾は、まだ、固い。昨年は不作で殆ど結実しなかったので、今年は豊作を期待している。梅酒、梅ジャム作りを楽しみたいのである。

   これから春めいて温かくなってくると、わが庭の花木も咲き乱れる。
   花や小鳥たちとの対話が、楽しみになり嬉しくなる。
   



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斎藤 幸平 (著)人新世の「資本論」

2025年01月25日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   人類の経済活動が地球を破壊する「人新世」=環境危機の時代。気候変動を放置すれば、この社会は野蛮状態に陥るだろう。それを阻止するには資本主義の際限なき利潤追求を止めなければならないとする「脱成長」の資本論。マルクス経済学の再生を説くのがこの本。
   経済学を学びながら、無知の偏狭さでマルクス経済学に一顧だにせずに半世紀以上も経って、やっと、経済学の奥深さに感じ入った思いで、この本を読んだ。
   先日、NHKのBSスペシャルの
   人新世の地球に生きる 〜経済思想家・斎藤幸平 脱成長への葛藤〜を見て、まず、読まなければ議論はできないと思ったのである。
  
   まず、本書で、著者が最初にマルクスを引用したのは次の点。
   大量消費・大量消費型の豊かな帝国的生活様式を享受するグローバル・ノースは、そのために、グローバル・サウスの地域や社会集団から収奪し、さらには我々の豊かな代償を押し付ける行動が常態化している。のだが、
   19世紀半ばに、マルクスは、この転嫁による外部性の創出とその問題点を分析して環境危機を予言していた。資本主義は自らの矛盾を別なところへ転嫁し、不可視化するが、その転嫁によって、さらに矛盾が深まってゆく泥沼化の惨状が必然的に起き、資本による転嫁の試みは破綻する。このことが、資本にとって克服不可能な限界になる。

   次への展開は、進歩史観の脱却から「脱成長コミュニズム 」へ。
   マルクスの進歩史観には、「生産力至上主義」と「ヨーロッパ中心主義」と言う2つの特徴を持つ「資本主義がもたらす近代化が、最終的には人類の解放をもたらす」と言う楽観的な考えであった。
   しかし、「資本論」では、無制限な資本の利潤追求を実現するための生産力や技術の発展が、「掠奪する技術における進歩」に過ぎないと批判している。
   「価値」追求一辺倒の資本主義では、民主主義も地球環境も守れないので、生産力の上昇の一面的な賛美をやめて、社会主義における持続可能な経済発展の道を求めて「エコ社会主義」ビジョンを立てた。
   無限の経済成長ではなく、大地=地球を「コモン」として持続可能に管理する「合理的」な経済システムであり、この共同体は、経済成長をしない循環型の定常型経済である。ここでは、経済成長をしない共同体社会の安定性が、持続可能で、平等な人間と自然の物質代謝をしていた、というマルクスの認識が重要になる。マルクスが最晩年に目指したコミュニズムとは、平等で持続可能な脱成長型経済の「脱成長コミュニズム」なのである。

   「コモン」は、人々が生産手段を自律的・水平的に共同管理する「市民」営化であるから、労働者たちが共同出資して、生産手段を共同所有し、共同管理する「ワーカーズ・コープ(労働者協同組合)」である。
   資本主義の終わりのない利潤競争と過剰消費が気候変動の元凶だと糾弾して気候非常事態宣言を発して、国家が押し付ける新自由主義的な政策に反旗を翻す革新的な地方自治体「フィアレス・シティ」の先陣を切るバルセロナの、脱成長社会を目指す「経済モデルの変革」は最先端のモデルケース。
   非常事態宣言が、社会的生産の現場にいる各分野の専門家、労働者と市民の共同執筆であり、この運動を推進しているのが地域密着型の市民プラットフォーム政党で、この運動とのつながりを捨てない新市長は、草の根の声を市政に持ち込み、市庁舎は市民に開放され、市議会は、市民の声を纏め上げるプラットフォームとして機能するようになった。と言う。

   「脱成長コミュニズム」も、「市民」営化だとしても、組織である以上、ドラッカーの説くごとく、マネジメントが必要である。マネジメントが絡むと、利害得失が跋扈して、組織を歪め、本来の理想目的から逸脱する。
   問題点はあろうが、「脱成長」への資本主義への変革は必要だと思っているので、理想論に近いとは思うのだが、斎藤説には殆ど異存はない。
   しかし、マルクス経済学には、まだ、疑問を感じてはいる。

   著者は博学多識、詳細にわたって「脱成長コミュニズム」論を展開しており、極めて貴重な啓蒙書であるとともに、あらゆる文献を駆使してマルクス経済学の神髄に迫ろうとする真摯な貢献に脱帽する。
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PS:ジョセフ・E・スティグリッツ「進歩の終わり? The End of Progress?」

2025年01月23日 | 政治・経済・社会時事評論
   プロジェクト・シンジケートのスティグリッツ教授の論文は、
   米国は長年、基礎科学技術の進歩で世界をリードしてきたが、ドナルド・トランプ大統領と台頭する寡頭政治の下で、これに逆行する動きが見えている。米国が啓蒙主義の価値観を拒絶すれば、悲惨な結果を招くだろう。と説く。

   35年前、世界はヨーロッパの共産主義の崩壊とともに画期的な変化を経験した。フランシス・フクヤマは、この瞬間を「歴史の終わり」と呼び、すべての社会が最終的に自由民主主義と市場経済に収束すると予言したことで有名だ。今日、その予言がいかに間違っていたかを観察することは、ほとんど決まり文句となっている。ドナルド・トランプと彼のMAGA運動の復活により、現在の時代を「進歩の終わり」と呼ぶべきなのかもしれない。と言うのである。

   私たちのほとんどは、進歩を当然のことと考えているが、しかし、250年前の生活水準は2,500年前とほとんど変わらなかった。啓蒙時代と産業革命が起こって初めて、現代を特徴づける平均寿命、健康、生活水準の大幅な向上が達成された。
   啓蒙思想家は、科学的実験と改良が自然を理解し、新しい変革的技術を生み出すのに役立つことを認識していた。絶対主義に代わる法の支配、啓蒙主義に勝る真実の尊重、そして人間関係における専門知識の向上が必要であったが、MAGA革命の最も不穏な特徴の1つは、これらの価値観を完全に拒否していることである。

   進歩は続くのであろうか。現在権力を握っている人々は富の追求に完全に突き動かされており、搾取と利権追求を通じて富を蓄積することに何の躊躇もない。彼らはすでに、市場支配力を行使し、メディアとテクノロジー プラットフォームを利用して、広範囲にわたる操作と偽情報を通じて私的利益を推進する独創性を発揮している。
   今日のアメリカ式の腐敗が過去の形態と異なるのは、その規模の大きさと厚かましさである。進歩には基礎科学と教育を受けた労働力への投資が必要である。しかし、トランプは最初の任期中に研究費を大幅に削減することを提案し、共和党の同僚たちでさえ躊躇した。今回も共和党はトランプに抵抗する意欲を見せるであろうか?

   いずれにせよ、知識の進歩と伝達を担う機関が絶えず攻撃を受けている場合、進歩はまだ可能であろうか? MAGA運動は、最先端の研究が数多く行われている「エリート」機関を破壊したいだけである。
   国民の大部分が教育、健康、栄養のある食事の不足に苦しんでいる国は、真の意味で繁栄することはできない。唯一の解決策は、公共支出を増やし、改善することだが、トランプと彼の寡頭政治家チームは、できる限り予算を削減することに全力を尽くしている。そうすることで、米国は外国人労働者への依存をさらに高めることになる。しかし、移民は、たとえ高度なスキルを持った移民であっても、トランプのMAGA支持者にとっては忌み嫌われる存在である。

   米国は長年、基礎科学技術の進歩で世界をリードしてきたが、トランプ政権下でこれがどのように続くのかは見通せない。
   私には3つのシナリオが考えられる。1つ目は、米国がようやく根深い問題を受け入れ、MAGA運動を拒否し、啓蒙主義的価値観へのコミットメントを再確認すること。2つ目は、米国と中国がそれぞれ寡頭資本主義と権威主義的国家資本主義への道を歩み続け、世界の他の国々が遅れをとること。最後に、米国と中国は進路を維持するが、ヨーロッパが進歩的資本主義と社会民主主義の旗印を掲げること。である。
   残念ながら、2 番目のシナリオが最も可能性が高いため、米国の増大する欠陥がいつまで管理可能なままでいるかを検討する必要がある。中国は、巨大な市場、膨大なエンジニアの供給、長期計画と包括的な監視への取り組みにより、テクノロジーと AI の開発で大きな優位性を持っている。さらに、西洋以外の 60% の国に対する中国の外交は、米国よりもはるかに成功している。しかし、もちろん、中国もトランプ政権下の米国も、18 世紀後半以来の進歩を推進してきた価値観にコミットしていない。

   悲しいことに、人類はすでに実存的な課題に取り組んでいる。テクノロジーの進歩により、私たちは自滅する手段を手に入れた。それを防ぐ最善の方法は、国際法である。気候変動とパンデミックがもたらす脅威に加えて、規制されていない AI についても心配する必要がある。
   進歩は一時停止するかもしれないが、基礎科学への過去への投資は引き続き貴重な利益をもたらすだろうと反論する人もいる。さらに、楽観主義者は、すべての独裁政権は最終的には終わり、歴史は進むと付け加えるかもしれない。1世紀前、ファシズムが世界を席巻した。しかし、それが民主化の波につながり、植民地解放と公民権運動が人種、民族、性別による差別に対抗した。
   問題は、それらの成功した運動は限界があり、時間は私たちの味方ではないこと。気候変動は、私たちが行動を起こすのを待ってはくれない。アメリカ人は、教育、健康、安全、コミュニティ、クリーンな環境に基づく共有された繁栄という形で、継続的な進歩を享受できるであろうか。私はそうは思わない。そして、アメリカにおける進歩の終焉は、世界的に連鎖反応を起こすだろうか。ほぼ確実に。
   トランプの2期目の大統領就任がどのような結果をもたらすかを完全に知るには時期尚早だ。歴史は確かに進むが、進歩は置き去りにされる可能性がある。
   以上が、スティグリッツ教授の警世の言である。

   科学技術の進歩によって触発された啓蒙時代と産業革命 によって一気に停滞を脱して大躍進を遂げた人類社会も、MAGAを掲げたトランプの時代錯誤の政権の誕生で、暗い影を落とし始めた。「歴史の終わり」をもじって、「進歩の終わり」と言うのである。
   科学技術の進歩に一顧だにせず、知識の進歩と伝達を担う教育や研究機関に絶えず攻撃をかけ、MAGA運動は、最先端の研究が数多く行われている「エリート」機関を破壊したいだけだとの指摘には、言葉もない。
  「パリ協定脱退」「WHO脱退」はともかく、地球温暖化対策の破壊者として、宇宙船地球号を窮地に追い詰めた元凶として、後世に名を遺すことは間違いない。これがトランプの「黄金時代」の勲章なのであろう。

   偉大なベンジャミン・フランクリンが創立した全米最古の総合大学ペンシルべニア大のウォートン・スクールで、トランプは何を学んできたのか。
   アメリカにおける進歩の終焉は、ほぼ確実に世界的に連鎖反応を起こす。と言う。人類の歴史が終わってしまう。
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トランプ大統領就任演説「黄金時代が今始まる」

2025年01月21日 | 政治・経済・社会
   トランプ大統領の就任演説をNHKの録画で見て、読売新聞電子版の演説全文を読んだ。
  今から、アメリカの黄金時代がはじまる。The golden age of America begins right now. からスタートした30分ほどの演説。
   ホワイトハウスのHPを開いたら、先日のバイデンから、全く様変わりで、第1ページは、トランプの映像写真の下に、次の文章、
   America Is Back
Every single day I will be fighting for you with every breath in my body. I will not rest until we have delivered the strong, safe and prosperous America that our children deserve and that you deserve. This will truly be the golden age of America.
   さて、the golden ageになるのか、the dark ageになるのか、神のみぞ知るということであろうか。

   私が気になったのは、
   「今日、私は一連の歴史的な大統領令に署名します。これらの行動により、私たちはアメリカの完全な回復と常識の革命を開始します。まず、南部国境に国家非常事態を宣言します。あらゆる不法入国は直ちに停止されます。 」と言うところの「常識の革命the revolution of common sense 」と言う文言で、「常識 common sense」と言う言葉などトランプには最も縁のない言葉である。アメリカの発展もその後の爆発的な成長も、すべからく、移民あってのアメリカ。その移民排斥が、「常識の革命」と言うのなら、何をか況やである。
   尤も、バイデン政治を否定した一連の歴史的な大統領令が、「常識の革命」と言うのなら、殆ど常識外れのような気がする。

   しかし、一番気になるのは、
   バイデン氏が退任演説でトランプ政権で少数独裁到来と警鐘を鳴らした
   「ハイテク産業複合体」―の不気味な台頭。
   軍産複合体による支配の危険性を唱えたアイゼンハワー元大統領の退任演説に言及し、人工知能(AI)開発を含む「ハイテク産業複合体」の台頭が「同様の脅威をもたらす可能性がある」と指摘した。のだが、 
   今回の就任演説会場では、テスラのイーロン・マスク氏、グーグルのスンダー・ピチャイ氏、アマゾンのジェフ・ベゾス氏、メタのマーク・ザッカーバーグ氏などビッグテックのCEOたちが、閣僚より前の席に配置されて目を引いた。と言う。正面演台のすぐ後ろ左側、トランプファミリーとの並びである。
   
   トリプルレッドで殆ど白紙委任状を得て超独裁権を握ったトランプ政権と、人類の文化文明史上最先端産業であり最高の経済権力を握るハイテク産業が癒着してアメリカのみならず世界全体を支配すれば、どんなことになるか、バイデンは、最後の白鳥の歌を歌って去ったのである。
   移民問題や関税の問題、ウクライナや中東の問題より、はるかに強力な文明破壊力が炸裂するような気がしている。
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日経:鈴木保奈美さんとリアル書店

2025年01月19日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   日経の日曜版に、
   ”〈直言〉「読書は独り」だけじゃない 俳優・鈴木保奈美”が掲載されている。

   鈴木さんは幼いころから読書に親しみ、物語を通じて日常から離れた世界に触れてきた。現在は俳優として活動しつつ、読書をテーマとしたBS番組「あの本、読みました?」の司会も務める。 
    漫画、ゲーム、動画配信。私たちの身の回りにはコンテンツがあふれ、家に居ながら情報と娯楽を得ることが可能な時代だ。それでも俳優の鈴木保奈美さんは、書店へ出向き、本を買い、時間を費やし読むことが好きだという。その醍醐味を深掘りすると、体験を共有できるメディアとしての読書が浮かび上がる。 と言う興味深い記事である。

   「リアルな書店、奇跡の空間」という箇所で、私は単純に書店が好きで、・・・書店でリアルなものを見たいのは、洋服を試着せずに買うのと同じ。本も、装丁やサイズ感を含めて、実物を見てから買って読みたい。小説を買いに行っても、旅行ガイド、料理本、新書と、時間があればぶらぶらと、ウインドーショッピングのように眺めるのが好き。自分が欲しいと思っていた本以外のものを見つけることがある。と言う。
   リアルな書店は自由で平和な社会の縮図、私は書店に来るお客さんの様子を眺めるのも好き。色々な人が来て、どんな職業の人もみんな平等で、みんなが尊重され、お互いを尊重し、知らず知らずルールを守っている。生身の人がいて、知らない人たちが平和に、一緒に居られる空間が書店だと思います。と言うのである。
   まぎれもなく、徹頭徹尾、リアル店舗派の読書家である。

   試着しないとと言う感覚は、私にはないが、ネットなどで買うと、広告やレビューなどと全く違うことがあるので、一部試読して確認したいという気持ちはある。
   それに、書店で沈没することがあっても、やはり、専門書や自分の関心のあるジャンルの書棚からあまり離れることなく、精々、新書や新刊のベストセラーコーナーくらいで、動かないことが多い。
   私は、専門書が多いので、どうしても大型書店に行かざるを得ないのだが、リアル書店の良いところは、関係本を一望のもとに一覧できるので、新しい知識への渉猟の楽しみを実地体験できることで、保奈美さんではないが、新しい知へ遭遇して嬉しくなることがある。

   最近、遠出がし辛くなって、東京や横浜などの大型書店に行けなくなって、本の購入はネットショッピング一辺倒になってしまった。
   しかし、読みたい本のターゲットは決まっているし、読書量も減っているので、Amazonの「サンプルを読む」から、はじめに、とか、序章くらいの一部は読めるので、ほぼ、これで助かっている。
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PS:ケネス・ロゴフ「第2次トランプブームは破綻するのか?Will the Second Trump Boom Go Bust?」

2025年01月16日 | 政治・経済・社会時事評論
   ドナルド・トランプ次期米大統領はジョー・バイデン氏から強力な経済を引き継ぐが、第1期よりも厳しい世界経済に直面している。新政権は経験の浅いメンバーが多く就任する可能性が高いため、初期の景気もすぐにトランプ政権初の非パンデミック不況に取って代わられる可能性がある。と言う。

   国内政策にかかわらず、彼は1期目よりも厳しい経済情勢に直面している。
   まず、世界は8年前よりも不安定な場所になっている。
   トランプは第1期に、比較的控えめな関税を課したが、それでも米国の消費者に数十億ドルもの高価格負担を強いるには十分だった。しかし、今回は中国製品に最大60%というはるかに過激な関税を課すことを提案している。これらが最終的に20%に引き下げられたとしても、インフレを加速させ、長年アジアのサプライチェーンへのアクセスから多大な恩恵を受けてきた低所得層および中所得層の米国人に打撃を与えることになるだろう。
   さらに、米国の公的債務はトランプの最初の任期開始以来大幅に増加している。実質金利の急上昇、特に長期債務の急上昇は、債務水準の上昇がただ飯になるという超党派の幻想を打ち砕いた。米議会予算局は、金利上昇により今後数十年間で米国の財政赤字が2~3%増加すると予測しているが、これはおそらく楽観的な想定に基づいている。トランプが自ら「史上最高」と称する経済でも、経済成長が政府債務の増加に追いつくかどうかは確実ではない。
   トランプは、NATO加盟国を脅して同盟の費用のより大きな分担をさせることで、予算の圧力を緩和できる可能性がある。しかし、NATOから脱退する可能性は低い。

   米国経済は、海外からの強い逆風にも直面しており、景気後退を引き起こすとは予想されていないものの、将来の成長を圧迫する可能性がある。
   中国の不動産バブル崩壊後、中国経済は世界の名目GDP成長の約3分の1を牽引することはなくなるだろう。
   一方、欧州最大の経済大国ドイツは、ウクライナ戦争で成長モデルの3本柱であるロシアの安価な天然ガス、中国への輸出、米国の安全保障保証が損なわれ、苦境に立たされている。ドイツは2023年に景気後退に陥り、今年も再び景気後退に陥る可能性があるが、これは2000年代初頭に実施した市場志向の労働改革が徐々に後退していることが一因である。

   では、第2の「トランプブーム」は起こるのだろうか? 可能性はあるが、今回はそれほど簡単には起こらないだろう。
   バイデンから引き継いだ力強い経済、そしておそらく短期的な景気刺激策が、トランプ政権1年目に急成長を牽引したとしても、その勢いは長続きしないかもしれない。世界経済が停滞し、地政学的緊張が高まるにつれ、課題が必ず出てくる。予想通り、新政権に経験の浅いメンバーが多く含まれるので、こうした初期の経済的ハードルを乗り越えるのに苦労するかもしれない。そうなれば、どんなブームもすぐにトランプ政権初の非パンデミック不況に取って代わられる可能性がある。If, as expected, the new administration includes many inexperienced members, it may struggle to overcome these early economic hurdles. Should that happen, any boom could quickly give way to the first non-pandemic recession of the Trump era. と結論付けている。

   「新政権に経験の浅いメンバーが多く含まれる」と言う人材不足の指摘だが、トランプもマスクも、世界に冠たるビジネス・スクール:ウォートン・スクールの出身であり、同窓生には、金融界を筆頭に各界の重要ポストで、百戦錬磨の有能な逸材が綺羅星のごとく活躍している。
   なぜ、ウォートン人材を登用しないのか、不思議である。ケネディなど、ハーバード・マフィアを存分に活用していた。

   意識になかったので、興味深いのは、民主党の左傾化への批判。
   ホワイトハウスと上院を失った民主党は、何年も回復できないかもしれない痛烈な選挙の挫折を味わい、トランプの政策に対抗する能力が制限されている。民主党は中道に転向するのが賢明だろう。
   アメリカの大学と主流メディアも、トランプ復活の責任を負っている。民主党に建設的な批判をしなかったことで、彼らは民主党の左派に党の将来を決めさせてしまった。保守的な考えが学術的な議論からますます排除され、「キャンセル カルチャー」が何年も放置されている中で、党が有権者とのつながりを失っているのも不思議ではない。大学のキャンパスや主流の報道機関でよりバランスのとれた議論が行われれば、両党の政治家の間で経済政策に対する情報に基づいた中道的なアプローチが促進される可能性がある。と言う。
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ウォートンM:高技術移民の影響 The Impact of High-Skilled Immigrants

2025年01月14日 | 政治・経済・社会
   ドナルド・トランプのシリコンバレー/MAGA連合内でのH-1Bビザ(高技能労働者向け就労ビザ)論争は、いくつかの重要な疑問を提起しているのだが、
   ウォートンマガジン2024年秋冬号に掲載された「高技能移民の影響」外国人労働者が米国企業、そして経済全体を改善する方法」が、アメリカにとって、海外からの高技術者移民が非常に貢献しているとレポートしていて興味深い。

   移民と米国経済に関する大きな論争は、通常、海外の労働者が米国の求職者に損害を与える可能性があるかどうかに焦点が当てられているのだが、、移民と米国経済に関するさまざまな研究を分析したウォートン経営学部のブリッタ・グレノン教授は、新しいエッセイで、高技能移民のメリットについて考察した。
   グレノン教授は、移民が米国生まれの熟練労働者の仕事を奪っているわけではないことを発見し、実際、熟練移民は起業することが多いため、むしろ雇用を生み出している。ある研究によると、移民は米国生まれの市民に比べて起業する可能性が約 80% 高く、高技能移民のおかげで企業の業績が向上し、投資が増えると、通常はより多くの人を雇用することになり、それは経済にとって良いことである。「移民は、特に新興企業にとって、企業の成果に大きなプラスの利益をもたらしている」と言う。

   グレノン教授は、「移民に関する公共政策の議論が企業の役割を無視し、移民政策の影響は国境内に限定されていると想定する傾向にあることに、私は不満を感じてきた」と述べた。「このエッセイは、政策議論における企業の重要性を示し、ある国の移民政策の変更が他の国にどのような影響を与えるかを示すことで、その状況を変えようとしている。ここには、見落とされがちな国家競争力の観点がある。」という。

   移民は、ビジネスをより効率的にし、全体的な賃金を上げることができる新しいアイデアや技術を頻繁に持ち込む。例えば、米国企業に雇用されている人工知能の博士号取得者の59%は移民である。また、移民は多国籍企業が製品やサービスを海外に輸出する際にパフォーマンスを向上させるのに役立つと指摘する。
   これらの利点を考えると、多くの国が最も才能のある移民を誘致し、選ぶという共通の目標を共有している。米国は移民の主な目的地の 1 つであり、2020 年には世界の海外労働者の 18% が米国に移住した。多くの場合、企業からの雇用ベースのグリーンカードの需要が国ごとの制限を超え、永住権の待機期間が長引いている (中国、インド、メキシコ、フィリピンが顕著な例である)。米国で働くことを目指すインド国民の場合、これらの待機期間は現在 100 年を超えると予測されている。

   グレノン教授は、これらの問題が米国企業の決定と結果を形作っていると考えている。熟練した移民は、特に新興企業にとって、企業の成果に大きなプラスの利益をもたらしており、その入手可能性が変化すると、企業は生産方法を調整したり、事業を拡大したり、熟練労働者を海外に移転したりする可能性があると言う。

   グローバル経済では、熟練した移民の流入を制限する国の企業は、よりオープンな政策を持つ国の企業に比べてうまくいかない可能性がある。最終的に、企業が選択を行い、熟練移民の入手可能性の変化に適応する方法を考慮した、より洗練された移民モデルを求めていて、結論として、「制限的な熟練移民政策で自国の企業を妨害する国は、投資とイノベーションを海外に移すことで、自国の競争力を損なう可能性がある。」と言うのである。

   外国出身の高技能労働者とH-1Bビザ(高技能労働者向け就労ビザ)を巡って、MAGAとシリコンバレーの間で勃発したアメリカ文化に関する激しい非難合戦が、共和党内部とドナルド・トランプ次期大統領の支持層内で生じている深い分断を反映している。
   イーロン・マスクは、最初に南アフリカから渡米した際にJ-1ビザ(交流訪問者ビザ)を取得し、その後H-1Bビザに移行した恩恵派。テスラなどハイテク関連企業を経営しているので、このプログラムを利用した多くの従業員を抱えるなど大いに恩恵に預かっていて、MAGA派の急先鋒でことごとく移民反対の極右インフルエンサーのローラ・ルーマーやトランプ元側近で昨年10月に刑期を終えたスティーブン・バノンなどと敵対している。
   さて、どうなるか、アメリカの命運がかかっている。
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TOP RISKS 2025 日本への影響

2025年01月13日 | 政治・経済・社会
   ユーラシアグループが、恒例のTOP RISKS 2025を発表した。
   全リスクとも、トランプリスクと言っても良いほど、トランプ塗れの2025年バージョンだが、
   末尾に、各国への影響が収録されていているので、今回は、そのうちの 日本への影響(View implications for Japan )について触れてみたい。

   この項を要約すると、ほぼ、次のとおり。
   まず、冒頭、現代の日本に とって孤立は選択肢とはならず、国際貿易は日本の経済の生命線だ。米国なしでは日本 の安全保障が危機にさらされる。リスク回避の傾向が強い日本社会ではあるが、地政学上 のリスクを巧みに管理する必要がある。として、
   今年は日本の外交 手腕が試される年になるだろう。トランプ次期大統領や中 国の習近平(終身)国家主席のような強引な世界の指導者たちに対応しなければならな い。また、貿易摩擦、インフレ圧力、不安定な円相場の悪影響にも対処し なければならない。と説く。

   米国に関連して、二つの重大なリスクがある。トランプ関税は、特に日本から輸入する自 動車が標的となった場合、日本経済に打撃を与える可能性がある。またトランプノミクス が米国のインフレを再燃させれば、日本の消費者物価、金融政策、円相場に混乱を招く可 能性がある。また日本にとって、「米中決裂」も深刻な懸念材料だ。中国と米 国は日本の最大の貿易相手国であり、米国と中国の関係が悪化すれば日本も巻き添えを食 う可能性が高い。と言う。

   米国は日本にとって最も重要なパートナーで、これほど緊密な関係にある国は他にな く、その米国への依存こそが、リスクNo. 4「トランプノミクス」を2025年の日本 にとっての最大のリスクとする理由だ。貿易に関してトランプを動かすものは二つ、関税への愛と、貿易赤字への憎悪だが、米国の対日貿易赤字は長年にわたり年700 億ドル前後で推移し、赤字のほとんどは日本からの自動車輸入が原因だ。この対日貿易赤字もトランプの 貿易ターゲットのリストに載る。
   しかし、トランプノミクスは日本にとって関税リスク以上のものをもたらす。日本の 消費者物価、金融政策、円相場も影響を受ける可能性がある。トランプの政策が米国 のインフレを再燃させて円安が進み、日本のインフレ率上昇につながる場合、日銀の 金融政策正常化の計画に影響を及ぼすことになる。
   
   リスクNo. 2「トランプの支配」のリスクは米国でビジネスを行う日本企業だけでなく、石破茂首 相にも重くのしかかる。 次期大統 領による恣意的な決定、例えば在日米軍駐留経費負担の大幅な増額要求などから石破 を守るものではないが、石破にはトランプに対していくつかの切り札がある。日本は 米国への海外直接投資額で5年連続トップであり、トランプはこの状態を維持したい と考えている。また、トランプの側近たちは、戦略上の最優先事項である中国への対 応を効果的に行うには日本の支援が必要であることをトランプに思い出させるだ ろう。

   米国に次いで、日本に影響力があるのは中国だ。日本経済の健全性は中国経済に大き く依存しているため、リスクNo. 3 「米中決裂」が日本にとっての懸念事項のリ ストの上位となる。トランプが大統領に返り咲けば、中国との関係における脆弱な安 定は崩れるだろう。彼は就任後すぐに中国に対して大幅な関税を課す可能性が高い。 また、日本などの主要な同盟国や貿易相手国が、国家安全保障関連の対中輸出規制の 拡大で米国に同調することを期待しており、それは日本の経済に多大なコストを強い る可能性がある。さらに、米中関係の崩壊はグローバルなサプライチェーンを混乱さ せ、日本企業を含む世界中の企業は貿易の流れを再構築することを余儀なくされてコ ストが増加する。

   リスクNo. 10「米国とメキシコの対立」は、移民、麻薬、貿易をめぐる米国とメキシ コの関係における火種に焦点を当てているが、日本との関連も大きい。トラ ンプの最大の不満は、中国が米国への商品販売の裏口としてメキシコを利用している ことだ。日本の自動車メーカーは米国への輸出拠点としてメキシコで製造工場を運営 しており、この問題に巻き込まれるリスクがある。米国におけるメキシコからの輸入 品に対する関税引き上げや原産地規則の厳格化が行われれば、日本の自動車メーカー とサプライヤーに直接的な影響を与えることになる。  

   トランプをリーダーとする米国は、リスクNo.1「深まるGZERO世界の混迷」で述 べられているように、世界的なリーダーシップを発揮することを望まないだろう。日 本は、米国が長年担ってきた「世界の警察官」や「自由貿易の擁護者」という役割を 放棄することを望んでいない。これらの役割は、米国に何十年にもわたって平和と繁 栄をもたらしてきた。米国は日本が望むようなリーダーシップの行使には抵抗するだ ろう。米国は依然として、敵対者たちよりも強い。中国はここ数十年で最悪の経済危機 に苦しんでおり、ロシアは深刻な衰退に陥り、イランは存亡の機にある。これらはす べて、チームUSAの一員である日本に有利に働く。

     島国である日本は天然資源に恵まれず、エネルギーの輸入に依 存しているため常に危険にさらされている。この脆弱性のため、リ スクNo.5「ならず者国家のままのロシア」とNo.6「追い詰められたイラン」が日本 のエネルギー安全保障にとって重要なリスクとなる。日本は世界第2位のLNG輸入 国であり、G7による制裁があるにもかかわらず、依然としてLNGの9%をロシアか ら輸入しているが、政治的な現実によ り、日本はロシアのLNGへの依存を低下せざるを得なくなり、他の潜在的な供給源 (アラスカやカナダ西部など)を検討することになるだろう。 
   日本は原油も90%を中東から輸入しており、2024年の原油価格の低迷から恩恵を受 けている。米国とイランの対立が拡大し、原油価格が上昇する事態は望んでおらず、特に、イランが報復 として地域のエネルギーインフラを攻撃したり、ホルムズ海峡を封鎖したりした場合 にその懸念は高まる。

   民放テレビで、日本としてどのようにトランプに対応すれば良いかと聞かれて、ブレマーは、悪目立ちしないようにして、単独行動を避けて同盟国などと連携して当たること、適当な妥協は必要だが、基本的に大切な事項は妥協すべきではないと答えていた。
   確たる思想も哲学もないトランプの行き当たりばったりの政策に、真面に対応しておれば振り回されるだけであるから、目立った対応は避けて、流れに乗って、臨機応変に賢く立ち回れということであろうか。

   トランプの2度目の大統領就任は、民主主義を窮地に追い込み、外交政策の混乱を招き国際秩序を破壊する。 そんな心配はないであろうか。
   1 期目における絶え間ない衝突と予測不可能性が倍増し、米国の同盟関係に緊張をもたらし て弱体化させ、世界における米国の影響力や地位を低下させ、平和を促進してきた国際機関を弱体化させ、世界的な紛争 の可能性を高めるなど、長期的には、地政学的な不安定性を高め、Gゼ ロの世界を進行させ、世界をより危険な 場所にするだろう。とも予言する。
   興味深いのは、 しかし序盤戦では、トランプが得点を重ねる可能性があるので注意すべきだ。という付言である。  行きはよいよい帰りは恐い、ことに大衆は気付かないかもしれない。
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NHK:人新生の地球に生きる

2025年01月11日 | 政治・経済・社会
   NHKのBSスペシャル
   人新世の地球に生きる 〜経済思想家・斎藤幸平 脱成長への葛藤〜を見た。
  
   人類の経済活動が地球環境に深刻な影響を与える「人新世」の時代、 経済思想家、斎藤幸平が、ドイツや北米を訪ねながら、新たな生き方を探す思索の旅。 「人新世」の時代、私たちはどう生きていくのか‥マルクスの「資本論」に新たな光を与えて、“脱成長”を提言し、今、彼は、自らの思想をどう実践に結びつけていくか、悩んでいる。若き思想家が、ドイツの環境運動の最前線や北米の先住民族を訪ね、対話を重ねながら、新たな生き方を探す思索の旅を追った。番組である。

   斎藤准教授は、一世を風靡した「人新生の資本論」の著者だが、まだ読んでいないし、NHK100分de名著カール・マルクス「資本論」を見たくらいで、よく知らなくて、2022年1月の日経の「民主主義、気候変動でも試練」という論文 を読んで、「脱成長コミュニズム、脱成長共産主義」 に疑問を呈した。計画的なコミュニズムをイメージするならば、ソ連や冷戦以前の共産主義社会は例外としても、中国などの今様共産主義国家を考えるしかないが、人権など文化文明にとって最も重要な公序良俗を軽視する専制国家であって、理想的な社会だとは思えない。 としたのである。

   しかし、NHK放映の番組では、コミュニズムについては、ヨーロッパで生まれ育まれてきた原初のコミュニティと言うか民主的な共同体コモンを意図しているようで中国型のような国家主体のコミュニズムではなさそうである。
   また、NHKのマルクス講座でも、資本主義の構造的矛盾について論じた主題に加えて、マルクスが晩年に遺した自然科学研究、共同体研究の草稿類も参照し、パンデミックや気候変動といった地球規模の環境危機をふまえ、いまこそ必要なエコロジー・脱成長の視点から 社会変革に向けた実践の書として『資本論』をとらえ直す、まったく新しいマルクス論を展開している。
   経済成長について、今回感じたのは、「脱成長」と言う言葉が、反経済成長論者として誤解を招いていることである。自然環境を破壊して遂行する大量生産大量消費のエコシステムを無視した経済成長を非難しているのであって、スケールダウンやスローダウンは意図しているが決して成長を否定しているのではないと言うことである。

   次の写真がフンボルト大学のエントランスロビーの2階へ上る階段の踊り場壁面のマルクスの言葉である。
   哲学者たちは世界をさまざまに解釈してきた
   肝心なのはそれを変革することである

   斎藤准教授は、要するに資本主義がだめならどう変えて行くかなど、理論と実践の問題であって、これをどうやって21世紀に、もう一回発展させたり継承してゆくか、自分の中での学問的なミッションみたいな気持ちで勉強している。と言う。

   ベルリンの壁崩壊直後に、東ベルリンに入ってフンボルト大学に行って、この壁面を見たはずだが、記憶は全くない。
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民主主義は経済成長の結果であろうか

2025年01月09日 | 政治・経済・社会
   先に引用した岩井克人教授の論考で、教えられたのは、迂闊にも知らなかったシーモア・リプセットの「豊かな国ほど民主主義を維持できる可能性が高い」と言う説である。
   Wikipediaの英語版で、この部分を引用すると、
   リプセットの「民主主義の社会的要件: 経済発展と政治的正当性」は、近代化理論、民主化に関する重要な著作であり、ここで、経済発展が民主主義につながるという「リプセット仮説」を立てた。
   リプセットは「近代化理論」の最初の提唱者の 1 人であり、民主主義は経済成長の直接的な結果であり、「国が裕福であればあるほど、民主主義を維持する可能性が高くなる」と述べている。 リプセットの近代化理論は、民主主義への移行に関する学術的な議論や研究において、引き続き重要な要素となっている。

   私が注目しているのは、これまで何度も書いてきたが、国家経済が成長発展して成熟の段階に達しなければ、民主主義制度を確立することも維持することも不可能である。と言うことで、このことが論証されたことである。
   成熟経済国家になった欧米先進国には民主主義が定着しており、日本を追いかけて雁行成長で離陸した東南アジアの台湾、香港、韓国、シンガポールなどもそのケースである。
   一方、民主主義政治体制を取りながら、中所得や低所得の新興国に留まっている国、例えばインドなどは、まだ、民主主義もどきと言った段階であろうか。

   欧米先進国の識者たちは、驚異的な経済成長を遂げて大国へと驀進した中国に対して、民主主義国家への脱皮を期待したが、ロシアと共に、西欧型民主主義を否定して、専制主義的独裁国家に変貌して、違った発展経路を打ち立てた。
   本来の民主主義体制を構築するためには、ウォルト・ロストウの経済発展段階説を昇りつめて離陸するために、大変な努力と時間を費やして経済発展を遂げなければならなかった。
   しかし、今日では、知識情報化社会でノウハウが拡散し、かつグローバル経済世界で多くの成長発展の先例が生まれて、そのショートカット方式を採用して、中国やロシアのように専制主義国家体制を取って、独裁的に、経済の成長発展を策した方が、手っ取り早く実現可能となった。
   多くの発展途上国がこれに倣って、七面倒な自由や人権やと言った問題に悩まされることなく、発展を遂げられるので、欧米よりの民主主義国家がどんどん減って行くのは、歴史の当然の帰結である。

   したがって、前述のリプセット仮説は、欧米先進国型の民主主義と経済成長の直接的な結果を述べているのであって、現下では、欧米型の「国が裕福であればあるほど、民主主義を維持する可能性が高くなる」国もあれば、国の富裕貧困に拘わらず、従来の民主主義には縁のない国が多くなってきた、
   民主主義(?)の変質と言うべきか、全く異なった政治経済社会体制が形成されつつあると言うことである。

   ところで、トランプアメリカの民主主義の危機はどう見るべきなのか、
   「国が裕福であればあるほど、民主主義を維持する可能性が高くなる」と言うのだが、その豊かなアメリカが、民主主義の最大の危機に直面している。
   ディストロイヤー・トランプが、民主主義を破壊すると豪語している(?)のである。
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日本の民主主義の使命とレジリエンス

2025年01月08日 | 政治・経済・社会
   6日の日経に、岩井克人教授の「日本の世界的使命は何か」と言う興味深い論文が掲載されていた。
   これまで、資本主義や貨幣、法人について研究してきて、今後も続けられることが当然と考えてきたが、ここ数年、自分の足元が崩れつつあるという気がしている。「歴史の終わり」から説き起こして、現下の国際情勢の惨状を分析し、自由に基づく近代的な民主主義の最も声高な提唱者であった米国の内側で、反逆が始まっている。として、民主主義と言う制度がいかに脆弱であるかが白日の下に晒された。と言う。

   今世界は大きく混乱しているのだが、その混乱の中で見えてきたのは、日本の国という使命だという。
   かっては世界支配からの東洋の開放こそ日本の世界史的使命であると唱えていたが、敗戦後、西洋から極東と呼ばれたこの島国で、戦後80年にわたって近代的な民主主義が曲がりなりにも機能してきた。自由がなくては思考ができないが、その自由を当たり前のこととして人間が好きに学問ができた。その事実が、近代的民主主義が西洋的な理念ではなく、洋の東西を問わない普遍的理念の証である。
   日本の世界的使命とは、どれだけ凡庸であろうとも、そのような社会であり続けること。そして、その事実を世界全体に向けて語り続けることにある。と説いている。

   もう一つ、日本の民主主義についての論考で興味深いのは、ニューズウィーク「2025年の世界を読む」特集号のトバイアス・ハリスの「日本政治のしなやかさは民主主義の希望となり得る」と言うコラムである。
   総選挙で大敗した自公政権と野党の意外な協調ムードが、日本の多党制民主主義に驚くべきレジリエンス(しなやかな強さ)があることを見せつけて、世界の模範になる。と言うのである。
   自民党主導の少数与党の政府が誕生しても国会が膠着せず、むしろ与野党がより柔軟な協調体制を見せるようになった。野党は、与党の動きに誠実に対応し、弱った自民党政権を潰そうとはせず、日本式「コビタシオン(保革共存)」のパートートナーとして振舞っている。
   トランプの政敵への復讐、韓国の尹大統領の非常戒厳宣告、フランスやドイツの政治の混乱等々他の民主主義国とはその違いは鮮明である。日本の現在の政局は、ポピュリズムの台頭や格差と貧困の拡大、SNSが煽るデマと偽情報の拡散に負けず、民主主義のレジリエンスを世界に見せつけるチャンスである。と言う。

   私も世界中を駆け回ってきて、日本の民主主義の有難さは肝に銘じているので、全く異存はない。
   さて、まず、今25年の日本は、このしなやかな多党制民主主義を発展させ得るのかどうか、そして、日本の安穏な民主主義社会を維持し続けていけるかどうかが問題であろう。
   いずれにしろ、トリプルレッドで白紙委任状を手にした今世紀最も恐怖の民主主義ディストロイヤーと目される独裁者トランプの強烈な破壊工作の挑戦を受けて、いかにして、日本が虎の子の民主主義を死守できるか、厳しい挑戦が待ち受けている。
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私もフェルメールのトリコになった

2025年01月06日 | 学問・文化・芸術
   NHK日曜美術館で、「私とフェルメール 谷川俊太郎」が放送された。
   1967年、アムステルダム国立美術館で、フェルメールの「小道」と言う作品を見て、フェルメールのとりこになった谷川。フェルメールの絵を見ると、「余計なことを考えずに純粋にきれいだなあ、と思えるのが魅力」だという。1980年の放映の特別アンコールである。

   谷川さんは、フェルメールは、若い時につかんだものを生涯追い求めた画家で、あまねく浮かび上がらせる光の存在が嬉しくて、内面の表現には関心がなく、見えるものそのものが世界であり、日常的なありのままが実在だと認識してその客観を再現した。とにかく美しい、画面が生きている、官能的であるから惚れた、と言う。
   要は惚れるか惚れないかの問題で、美しいものに出会うと幸せになり言葉がなくなる、フェルメールは、そんな稀有な画家だと言うことである。
   

   さて、私が、最初にフェルメールに感激したのは、1973年、留学先のフィラデルフィアから、フランスからの留学生のクリスマス休暇帰国のパンナムのチャーター便に便乗して渡欧して、アムステルダム国立美術館へ、レンブラントの「夜警」を見に行った時で、
   フェルメールの「牛乳を注ぐ女 」を見て、女の捲り上げたシャツの黄色っぽい辛子色から黄緑へとグラジュエーションの微妙な色彩の豊かさなど、何とも言えない程、美しく、注がれれている牛乳の微妙な光など、細部まで、感動して、一気にフェルメールファンになってしまった。
   私も谷川さん同様に、理屈抜きにフェルメールのとりこのなった。

   アムステルダム美術館には、フェルメールの作品は、「小道」と「牛乳を注ぐ女」のほかに、「恋文」「青衣の女」の4点があったと思う。同じ美術館で、同じフェルメールを見ても、好きな絵が全く違い、感性の差を感じて、驚いている。私には、詩心がないのかも知れない。
   
   その後、オランダに赴任後すぐに、ハーグに出かけて、「マウリッツハイス美術館」に行って、「青いターバンの少女(真珠の耳飾りの少女)」や「デルフトの眺望」などを見て、また、感激しきりであった。
   幸い、フィラデルフィアで2年過ごし、アムステルダムとロンドンに8年間いたので、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、オーストリアなどの欧米の美術館などを片っ端からまわって、フェルメール行脚をした。
   オランダに3年住んでいたので、フェルメールが作品を描き続けたデルフトを何度も訪ねて、古色蒼然とした故地を散策しながら雰囲気を楽しんでいた。
   次の絵は、フェルメールの「デルフトの眺望」だが、殆ど、今も変わっていない。 

   フェルメールの作品で現存しているのは、37作品で、そのうち、ボストンの作品が盗難にあって行方不明なので、たったの36作品である。
   アメリカでは、ニューヨークに8、ワシントンに4、そのほかに3、
   オランダでは、アムステルダムとハーグに8、
   イギリスではロンドンなどに4、
   フランスに2、
   その他、ドイツ、オーストリア などに8、だと思うのだが、
   フェルメールが生活して絵を描き続けたオランダのデルフトには、一作品も残っておらず、世界中に拡散している。
   その内、幸いにも日本に来た2作品を含めて、30作品くらいは実際に見ている。

   久しぶりに、フェルメールに出会えた感じで幸せである。 
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