熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

ジョセフ・ヘンリック (著)WEIRD(ウィアード)「現代人」の奇妙な心理 上

2025年02月15日 | 政治・経済・社会
   欧米人に典型的なWEIRD 以下の頭文字を綴ったもの
   ((W:Western(西洋の)/ E:Educated(教育水準の高い)/ I: Industrialized(工業化された)/R:Rich(裕福な)/ D:Democratic(民主主義の)))
   この普通ではない( Weird奇妙な)と著者が特定するWEIRDの心理を、経済的繁栄、民主制、個人主義の起源 を追求しながら浮き彫りにしてゆく、上下巻合わせて900ページに及ぶ大冊ながら、興味深い本である。

   さて、本筋からちょっと離れるが、私が、まず興味深かったのは、キリスト教会が行ってきた信者たちへの教化と権力集中の歴史である。
   歴史的にWEIRDの心理を形成してゆく過程において、宗教、この場合は、キリスト教の影響が大きく影響していることは自明の理であるが、その展開が興味深いのである。
   16世紀にレオ10世が財政難を切り抜けるために、カトリック教会が発行した罪の償いを軽減する証明書贖宥状(免罪符)などその鬩ぎあいの典型だが、マルティン・ルターが『95ヶ条の論題』で 批判して宗教革命が起こった。 

   まず、キリスト教会が大成功を収めるに至った最大の要因は、婚姻や家族に関する禁止、指示命令、優先事項を定めた極端な政策パッケージにある。と言う指摘。
   キリスト教の聖典には(あったとしても)希薄な根拠しかないにも拘わらず、これらの政策は次第に儀式の覆いに包まれてゆき、説得,陶片追放、超自然罰の脅威、世俗的処罰といったあの手この手を組み合わせて、可能な限りあらゆる地域に普及していった。この教会の婚姻・家族政策は、緊密な親族ベース制度や部族的忠誠心を切り崩すことによって、個人を徐々に自らの氏族や家の責任、義務、恩恵から引き剥がし、その結果、人々が教会に身を捧げる機会が増え、教会自身の拡大を促進した。
   教会は、一夫多妻婚、取り決めによる結婚、血族間や姻族間でのあらゆる婚姻を禁ずることによって、社会技術でもあり、家父長権限の源泉でもあった婚姻の効力を劇的に削いだ。近親婚禁止のむいとこ婚禁止に至っては婚姻相手が居なくなるなど、この婚姻をめぐる禁忌事項や処罰が、国王や君主に至るまで情け容赦なく繰返されて、破門や財や資産が収奪され、最終的にヨーロッパ諸部族を消滅させた。と言う。
   
   また、興味深いのは、富める者は、教会を通じてその富を貧民に施すことによって、本当に天国へ行けるという説を広めて、それによって教会の金庫室を創設した。慈善の教えに加えて、相続権や所有権の変更を加えることで、教会の成長拡大が促され、その懐も潤った。慈善寄付の広まりは、高額の贈与がもたらす説得力によって、新たな信者を引き付けるとともに、既存の信者の信仰心を深める働きもし、同時に、こうした遺贈によって、激流のごとく収入が、教会に流れ込んできた。

   教会は、死や相続や来世を利用して、その財力を増して権威を築き続けてきた。と言うのである。
   
   何も、キリスト教に限った話ではなかろうが、教会と世俗社会との鬩ぎあいのような感じがして興味深かった。

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ホンダ・日産 統合破談に思う

2025年02月14日 | 経営・ビジネス
   13日、ホンダと日産自動車が、経営統合に向けた協議を打ち切り、昨年12月に締結した基本合意書を撤回すると正式に発表した。
   実現すればトヨタ自動車、独フォルクスワーゲンに次ぐ世界3位の自動車グループが誕生していた国内大手の再編劇はあっけなく幕を閉じた。

   統合話を聞いて最初に思ったことは、歴史も伝統も全く違った2社の統合話であるので、まず、コーポレートカルチュアを統一して一体とした経営体を確立できるのかどうかに疑問を感じた。
   できるはずがないので、統合するのなら、まず、ゆるい連邦方式の当初の持ち株会社形式で統合して、徐々に一体化して行かざるを得ないであろうと思っていた。

   案の定、浮上してきたのは、日産の子会社化案。
   当然である。
   対等な統合を求める日産と規模で勝るホンダの溝が埋まらず、統合の方式などの条件で折り合えなかった。 と言うのだが、
   13日の記者会見で、日産の内田誠社長は「自主性が守れるのか確信が持てなかった。子会社では日産の強みを出すのは難しい」と話したと日経が報じた。
   日本の自動車業界で最も権威のある歴史と伝統を築き上げて多くの金字塔を打ち立てて来た日産であるから、プライドの高さも良く分かる。
   しかし、こんな姿勢で統合に実を上げられる筈がなく、この期に及んで何をか況やである。

   私は、日産には、特別な思い入れがあり、泡沫に過ぎないが長い間の株主であり、ゴーンの時代には、株主総会にも行って懇親会も楽しんでいた。
   それに、1980年代後半から90年代初めまで、建設会社のヨーロッパ現地法人の社長をしていたので、日産の欧州本社や配送センターなどの工事を受注施工するなど随分お世話になった。
   当時、欧州本社ビルは大型の鉄骨ビルであったのだが、下請けのオランダトップの建設会社でさえ、鉄骨建築施工経験がなかった。大丈夫かと聞いたら、オランダは造船大国であり、鉄骨建造物に熟練しており、ビルなど横のものを立てれば良いのだから心配ない。と信じられないような会話を交わした思い出がある。素晴らしいビルが立ち上がったのは勿論である。
   当時の日産は、成功を謳歌してヨーロッパで快進撃、
   光り輝いていた。
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ビゼー:歌劇≪カルメン≫ウィーン国立歌劇場1978年

2025年02月12日 | クラシック音楽・オペラ
   ビゼー:歌劇≪カルメン≫ウィーン国立歌劇場1978年 をDVDで観た。
   指揮 :カルロス・クライバー 
      ウィーン国立歌劇場管弦楽団,
        ウィーン国立歌劇場合唱団,ウィーン少年合唱団
      ウィーン国立歌劇場バレエ団 
   演出:フランコ・ゼッフィレッリ
   ドン・ホセ:プラシド・ドミンゴ, 
   カルメン:エレーナ・オブラスツォワ, 
   エス・カミーリョ:ユーリ・マズロク 
   と言うこれ以上望み得ないほどの夢のような凄い布陣である。
   殆ど半世紀前の1978年の舞台ながら、画像は少し鮮明さには欠けるが、ブルーレイで鮮やかにカルメンの世界を現出して楽しませてくれた。
   とにかく、クライバーもドミンゴも若くて颯爽としている。

   さて、結構、これまでに、カルメンの舞台を観ている筈なのだが、
   強烈に印象に残っているのは、ロンドンのロイヤルオペラで観たアグネス・バルツァのカルメンと大病前のホセ・カレーラスのドン・ホセの舞台。
   カルメンが最初に登場する場面。バルツァが、舞台の左手からメス豹のように野性的で精悍な姿で二階の回廊に躍り出る劇的なシーン、ハバネラを歌う。
   それに、自由奔放かって気ままなジプシー女を一途に愛して、運命に翻弄されながら 必死になってカルメンをかき口説くカレーラス、
   もう一つ忘れられないカルメンの思い出は、フィラデルフィアでの、ジュゼッペ・ディ・ステファーノとのマリア・カラスの最後のフェアウエル・コンサート、
   最後に、マリア・カラスは、カルメンの第4幕の幕切れ直前のホセと諍いナイフで殺される劇的なシーンを、あの精悍で美しい凍りつくような表情で歌いきった艶姿。 

   ところで、このクライバー版の「カルメン」、実に素晴らしい舞台である。
   まず、ゼッフィレッリの演出・舞台・衣装であるから、定番のイタリア舞台ほどの擬古的華麗さはないが、微に入り細に入り実に入念な演出のために非常に美しくて細部に至るまでナラティブで、随所にちりばめられたフラメンコなども感興をそそり、ムンムンとしたスペインムードに引き込まれてゆく。
   カルメンのロシアのメゾ・ソプラノ:オブラスツォワは、全く聴いたことがなかったので新鮮な印象だが、1977年12月に、スカラ座200周年のシーズンのオープニング公演『ドン・カルロ』で、アバドの指揮の下、エボリ公女を演じたというから、このテレビ用プロダクション「カルメン」は、欧米への登場初期の偉業だったのであろう。バルツァのような突っ張った女ではなく女性を感じさせる個性的な骨太の演技と風貌で、目の表情が豊かで、歌唱演技ともに気負いなくエキゾチックなジプシー女を表出していて興味深い。
   ドミンゴのホセは、カレーラスのイメージとは違うが、随分若くて重厚感が増す前の初々しい舞台であったので、まさに打って付のホセと言う感じで、とにかく、絶好調の素晴らしい歌唱が感動的。第一幕のカルメンとドン・ホセの長い二重唱 「花の歌」の後の熱狂した観客の怒号のような激しいカーテンコールが鳴りやまない。
   エス・カミーリョのユーリ・マズロクは、ロシアの名バリトンで、ボリショイ劇場を中心に活躍し、1970年代は「エフゲニ・オネーギン」の歌唱で一世を風靡 したという。なかなか板についた伊達男の闘牛士で、同じロシア人の オブラスツォワとは相性が良かったのであろう。
   私は、ずっと昔に、マドリードとメキシコ・シティで、闘牛を見ているので、第4幕を見ながら熱狂ぶりを思い出して懐かしくなった。




   指揮のクライバーは、カラヤンやバーンスタインなど殆ど聴いているのだが、唯一舞台で聴いたことのない往年の名指揮者で憧れであった。
   若々しくて紳士然とした踊るような美しい指揮姿が印象的で、カルメンの登場時の躍り上がる迫力は満点であり、緩急自在のメリハリの利いた流麗な指揮スタイルは見ているだけでも楽しい。
   とにかく、極め付きの映像芸術!
   クライバーあっての感動的な「カルメン」である。


   

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PS:ジョセフ・ナイ「グローバリゼーションに未来はあるのか?Does Globalization Have a Future?」

2025年02月10日 | 政治・経済・社会時事評論
   プロジェクトシンジケートのジョセフ・ナイ教授の論文「グローバリゼーションに未来はあるのか?Does Globalization Have a Future?」
   グローバリゼーション」というと、一般的には長距離貿易や移住のイメージが思い浮かぶが、この概念には健康、気候、その他の国際的相互依存も含まれている。皮肉なことに、反グローバリストのアメリカは、トランプ政権下で、このグローバリゼーションの有益な形態を制限し、有害な形態を増幅することになるかもしれない。と言うのである。

   グローバリゼーションとは、単に大陸間の距離における相互依存を指す。ヨーロッパ諸国間の貿易は地域的な相互依存を反映しているが、ヨーロッパと米国または中国との貿易はグローバリゼーションを反映している。トランプ米大統領は、国内産業と雇用の喪失の原因であるとして、中国に関税を課すことで、世界的な相互依存の経済的側面を減らそうとしている。
   経済学者は、その損失のどれだけが世界貿易によって引き起こされたかを議論していて、いくつかの研究では、外国との競争により何百万もの雇用が失われたことが判明しているが、それが唯一の原因ではない。多くの経済学者は、より重要な要因は自動化であると主張している。こうした変化は全体的な生産性を高める可能性があるが、経済的な痛みも引き起こすため、ポピュリストのリーダーたちは機械よりも外国人を責めやすいと考えている。

   彼らは移民も責める。移民は長期的には経済に良いかもしれないが、短期的には破壊的な変化の原因として描かれやすい。アフリカからの人間の移住はグローバリゼーションの最初の例で、米国や他の多くの国も同じ基本的な現象の結果で、これらの国が建設されるにつれて、以前の移民は新参者の経済的負担と文化的非適合性についてしばしば不満を述べた。そのパターンは今日も続いている。
   移民が急速に増加すると、政治的な反応が予想される。近年のほぼすべての民主主義国で、移民は現政権に異議を唱えようとするポピュリストにとって頼りになる攻撃問題となっている。これは、2016年と2024年のトランプの当選の重要な要因であった。これが、ほぼすべての民主主義国におけるポピュリストが、グローバリゼーションの拡大とスピードの加速の所為にして自国のほとんどの問題を貿易と移民が原因だとして反発している理由である。貿易と移民は確かに冷戦終結後に加速した。政治的変化と通信技術の向上により経済の開放性が高まり、資本、商品、人の国境を越えた流れのコストが低下したためだが、現在、ポピュリストの影響力が高まっているため、関税と国境管理によりこれらの流れが抑制される可能性がある。

   しかし、経済のグローバリゼーションの逆転は、以前にも起こっている。 19 世紀は貿易と移住の急激な増加が特徴だったが、第一次世界大戦の勃発とともに急停止した。世界総生産に占める貿易の割合は、1970 年近くまで 1914 年の水準に回復しなかったのである。
   現在、一部の米国の政治家が中国との完全な分離を主張しているが、再びそうなる可能性はあるであろうか。安全保障上の懸念から二国間貿易は減少するかもしれないが、年間 5,000 億ドル以上の価値がある関係を放棄するコストを考えると、分離は起こりそうにはない。しかし、「起こりそうにない」ことは「不可能」と同じではなく、たとえば、台湾をめぐる戦争は、米中貿易を急停止させる可能性がある。
   いずれにせよ、グローバリゼーションの将来を理解するには、経済の枠を超えて考える必要があり、軍事、環境、社会、健康など、地球規模の相互依存には他にも多くの種類がある。戦争は直接関わる者にとって常に壊滅的なものであるが、COVID-19パンデミックによって亡くなったアメリカ人の数は、アメリカのすべての戦争で亡くなったアメリカ人の数よりも多いことを忘れてはならない。

   同様に、科学者たちは、今世紀後半には地球の氷床が溶け、沿岸都市が水没し、気候変動が莫大なコストをもたらすと予測している。短期的にも、気候変動はハリケーンや山火事の頻度と激しさを増している。皮肉なことに、私たちは利益をもたらすタイプのグローバリゼーションを制限しつつ、コストしかかからないタイプのグローバリゼーションに対処できていないのかもしれない。第2次トランプ政権の最初の動きの1つは、米国をパリ協定と世界保健機関から脱退させることだった。
   では、グローバリゼーションの未来はどうなるのか? 人間が移動可能で、通信および輸送技術を備えている限り、長距離の相互依存関係は現実であり続けるであろう。結局のところ、経済のグローバリゼーションは何世紀にもわたって続いており、そのルーツはシルクロードのような古代の貿易ルートにまで遡る(中国は現在、これを地球規模の「一帯一路」インフラ投資プログラムのスローガンとして採用している)。
   15 世紀には、海洋輸送の革新により大航海時代が到来し、その後、今日の国境を形作るヨーロッパの植民地化の時代が続いてきた。19 世紀と 20 世紀には、蒸気船と電信によりそのプロセスが加速し、産業化により農業経済が変革した。現在、情報革命によりサービス指向の経済が変革している。

   インターネットの普及は今世紀の初めに始まり、今では世界中の何十億もの人々が、半世紀前なら大きな建物 1 棟分を占めていたコンピューターをポケットに入れて持ち歩いている。AI が進歩するにつれ、グローバル コミュニケーションの範囲、速度、量は飛躍的に増大する。
   世界大戦により経済のグローバル化は逆転し、保護主義政策によりそのペースが遅くなり、国際機関は現在進行中の多くの変化に追いついて来れなかった。しかし、テクノロジーがある限り、グローバル化は続くであろう。ただし、有益なものではないかも知れない。

   以上がナイ教授の論旨の概要だが、かなり控え目の論調である。
   ポピュリスト旋風の台頭で、貿易と移民に対する反グローバリスト運動が勢いを増し、その延長線上で、結果的に、トランプが当選した。と言う事であろうか。
   トランプの「MAGA」、アメリカファーストなどは、反グローバリズムの典型であろうが、保護貿易主義を取りながら、世界中から積極的に投資だけは呼び込んで、国内産業を強化しようとしている。しかし、国際間の投資も国際貿易も一体であり、国際経済の裏表であるから、一方だけ有効に機能するはずがないので、いずれ破綻する。
   保護貿易は、途上国が、揺籃状態の自国企業を発展段階まで保護する常套手段ではあったが、現代のアメリカのように、疲弊して競争力をなくした賞味期限切れの企業を、関税や保護政策を策して再生を図るなど不可能であり愚の骨頂である。
   反グローバリゼーションは、自由貿易の退潮を招いて国際経済を縮小させるのみならず、国際的な自由貿易からの離脱は、アメリカのイノベーション能力を棄損するなど国際競争力を弱体化させるのは必定であり、結局、アメリカの黄昏を早めるだけであろう。
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斎藤 幸平 (著)ゼロからの『資本論』(1)

2025年02月09日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   『人新世の「資本論」』を読んで、興味を持ち、毛嫌いしてそっぽを向いていたマルクスの「資本論」を、斎藤准教授の新解説で勉強してみようと手にした。
   新・マルクス=エンゲルス全集(MEGA)の編集経験を踏まえて、“資本主義後”のユートピアの構想者としてマルクスを描き出す。最新の解説書にして究極の『資本論』入門書!と言う本である。

   ケインズは、資本主義が発展してゆけば、やがて労働時間は短くなる。21世紀最大の課題は、労働時間や労働環境ではなく、増えすぎた余暇をどうやりすごすかだ、と予言した。
   たしかに、資本主義の発展に伴い技術革新が進み、世界の総GDPは急カーブで上昇し、世界は様変わりして、今や、ロボット開発やAI研究が進みChatGPT (チャットGPT) の時代になったが、
   しかし、現実は労働時間が減るどころか、過労死さえ常態化しており、世界の労働環境は悪化を辿っている。
   資本は価値の増殖運動であり、イノベーションを展開して生産性をアップして剰余価値を追求するのが資本主義である。また、このイノベーションは、労働者に対する「支配」の強化によって効率的に働かせるための「働かせ方改革」として作用しているので、ケインズの予想が当たる筈がない。と言う。

   生産性が上がれば上がるほど、労働者はラクになるどころか、資本に「包摂」されて自律性を失い資本の奴隷となる、とマルクスは指摘しているという。
   ここで、斎藤准教授は、「新陳代謝」論を展開。
   本来、人間の労働は、「構想」と「実行」、すなわち、作品を構想する精神的労働と作品を制作する肉体的労働が統一されたものであったが、資本家は、資本主義の下で生産が高まると、両者を分離して構想力を削ぎ労働者は「実行」のみを担うこととし、同時にギルドを解体するなどして、労働者の主体性を奪って単純労働しか出来ないようにした。
   20世紀初頭の「科学的管理法」のテイラー主義などその最たるもので、分業化された流れ作業を細分化して、各工程の動作や手順、所要時間を分析して標準作業時間を確定して、作業の無駄を徹底的に省いたというから、労働者は単なるスペアパーツに成り下がったと言えよう。
   よく考えてみれば、現代の労働者や高級知的職種・専門職と言えども、利益増殖至上主義の資本主義の現代版テイラーシステムの歯車に組み込まれて、それが生き甲斐だと思って必死になって働いている働きバチに過ぎないのではなかろうか。

   さて、今回は労働の問題について論じただけだが、利潤追求、富の増殖を求めて驀進する資本主義が素晴らしいものだと、殆ど疑いもなく信じていたが、これほど、労働者を非人間化して人格を奪い、かつ、内外共に経済格差を深刻化させ、地球温暖化や経済の外部性を軽視して宇宙船地球号を窮地に追い込んでいる。

   この本を読んでいて、マルクス経済学はともかく、私が学び続けてきた経済学や経営学、特に、経済成長発展論や経営戦略論、イノベーション論など資本主義促進ドライバーは、人間をどんどん窮地に追い込むための学問ではなかったのであろうか、
   とフッと不安が過ったのは事実である。
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納富 信留 (著):プラトンが語る正義と国家 不朽の名著・『ポリテイア(国家)』読解

2025年02月07日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   東大のテンミニッツTV講義録の納富 信留教授の「プラトンが語る正義と国家 不朽の名著・『ポリテイア(国家)』読解」
   プラトンの大部の「国家」を読まずに、手っ取り早く、解説書を読むことにした。 

   政治劣化、宗教紛争、多様化しすぎた価値観・・・混迷の時代に読むべき「史上最大の問題作」自分が変わる驚愕の書。ハーバード、MITなど全米トップ10大学の「必読書第1位」と言うのが、このプラトンの『ポリテイア(国家)』。
   この本の主題は、「正義とは何か?」
   「正義はそれ自体として行うに値する、素晴らしいことである。それは結果が伴っても伴わなくても素晴らしいことだ。」「私たちは、正義がそれ自体として魂それ自体にとっても、もっとも善いものであると言う事を見出した。魂は正しい物事を為すべきだ、そう分かったのだ。」とソクラテスは説いた。
   この本の本当のテーマは、「魂(プシューケー)」で、ポリスにおける正義・不正をみることで、類比的に、人の魂を」考察していると納富教授は言う。

   ところで、私自身が、このプラトンの「国家」で知っていたことは、ただ一つ、「哲人政治」である。
   哲学者が訓練を積んで国を支配する。あるいは政治家が真正に哲学をする。「その2つのどちらかが成り立たない限り、人間にとって不幸は終わらない。」と言う理論である。
   実際に哲人政治をするためには、初等教育から高等教育に至る哲学者教育を全部経た人たちで、最後に残った信頼できる人に政治を任せなくてはいけないと言うのである。

   ところで、この哲人政治論が、20世紀には全体主義のシンボルとなって、ナチズムや軍国主義の人たちが「自分たちは哲学者だ」と語って政権を握り、プラトンの趣旨をまったく損ねるような政治を行った悲しい歴史がある。
   哲人政治の「理想的なポリス」が、人間の「欲望」限定的には「金銭欲」、そして、「分断(スタシス)」「内乱」によって、「優秀者支配制」から「僭主制」へと堕落崩壊してゆく過程を5段階に分けて分析している。
   最後の「民主制」と「僭主制」については、現代に通じる貴重な示唆を与えてくれているので、プラトンの「国家」を読んでから考えてみたい。

   さて、今日、石破首相とトランプ大統領の首脳会談が行われる。
   哲人政治を考えると、非常に興味深い。 
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平安な日常生活がどれ程有難いか

2025年02月05日 | わが庭の歳時記
   私は、寒いけれど、天気の良い日には庭に出てひと時を過ごす。
   咲いている花木や訪れてくるメジロやシジュウカラと対話をするのである。
   時には、シベリアから来たジョウビタキが、木々をはしごする。

   紅梅に遅れて、白梅も咲き始めた。
   綺麗な花がびっしりと咲いているので、今年は梅も豊作かもしれない。
   


   日本スイセンも咲いている。
   ヤツデも蕾を開き始めた。
   まだ、椿はタマグリッターズだけだが、タマアメリカーナやタマカメリーナなどのタマ兄弟が色づいてきている。
   





   さて、私は、江の島にほど近い鎌倉の片田舎で、明るい陽光を楽しみながら平安なひと時を過ごしているが、日本の各地では、異常な厳寒で大雪のために大変だというニュースが、連日テレビのトップで、報道されている。
   先の大地震以降、幸い、被害から遠ざかっているので、助かっているのだが、つくづく、平安な日々の幸せをかみしめている。

   中東やウクライナの紛争、アフリカやミャンマーの内戦、アフガニスタンや多くの独裁専制国家での抑圧された人々の苦しみ、そして、飢餓状態にある貧困国家の人々、
   いや、そんな目に見える状態だけではなく、我々の身近にも、色々な不幸や運命の悪戯、ボタンの掛け違いや心の迷い等々、自分には責任のない色々な原因が悪さをして悩み苦しんでいる人々が沢山いる。
   その不幸を思うと、自分自身、必ずしも問題なく万々歳とは言えない身ではあるので、中くらいの幸せだと思うけれど、平々凡々だが85歳の平安な老いの生活も、まあまあと言う感じで過ごせているのが無性に有難く嬉しい。

   この鹿児島紅梅、
   オリジンは鹿児島であり、何かの縁で、わが鎌倉の庭に咲いている。
   春の息吹が胎動し始めると、毎年、無心にきれいな花を咲かせて喜ばせてくれる。
   しかし、ガザやウクライナの路傍の花を思うと、胸が痛む。

   運命は、どうしようもないものなのであろうか、それとも、自分で変えられるものなのであろうか、この歳になって考え込んでいる。
   


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バルセロナの市民参加型の市政

2025年02月03日 | 政治・経済・社会
   先日、斎藤 幸平 (著)人新世の「資本論」のブックレビューで、「脱成長コミュニズム」 への道程で、バルセロナでの脱成長社会を目指す「経済モデルの変革」、すなわち、資本主義の終わりのない利潤競争と過剰消費が気候変動の元凶だと糾弾して気候非常事態宣言を発して、国家が押し付ける新自由主義的な政策に反旗を翻す革新的な地方自治体「フィアレス・シティ」の先陣を切った最先端のモデルケースであると紹介した。
   市民参加型の「脱成長コミュニズム」である。

   これに呼応したような記事が、日経日曜版に、掲載された。
   「人に優しいスマートシティー、バルセロナが問う未来の街 NIKKEI The STYLE」である。

   住民がオンラインで政策決定に参加する仕組み「デシディム」。提案を書き込めば市の担当者から実現可能性などの返信が必ず来る。書き込みを見た別の住民が「いいね」を付けたり、「こういう方法もあるのでは」などとオンライン上で議論したり。全人口170万人のバルセロナで約15万人が利用する。 
   使い方も日々進化していて、20年からは4年に1度、3千万ユーロ(約50億円)の使い道をデシディム上の投票で決める「参加型予算」も始まった。公園の改修や街の緑化など、住民の書き込んだ要望を投票で絞り込む。
   デシディム以外にも住民が街づくりに参加するためのオンラインシステムが増えた。例えば「イリス」は「通りのごみ箱があふれている」など、その場で写真を撮って市にクレームを投稿できる。
   底流に流れるのは「街を良くしよう」との気風。今日のこのバルセロナの気風は、フランコ独裁政権末期のムーブメントが淵源である。1975年まで続いたフランコ政権下でバルセロナは冷遇され、信号や学校などインフラが不足していて、集会の自由も制限されていたが、祭りの準備などと見せかけて住民集会を開いて話し合い、結束して少しずつ街を良くしていった。
   テクノロジーの発達によってデシディムなどの仕組みが整い、昔より誰もが簡単に政策に意見を言えるようになり、議事録など情報にもアクセスしやすくなった。バルセロナに根付いた住民参加の文化がテクノロジーによってさらに進化した。のである。

   バルセロナを訪れたのは、もう、3~40年も前のことで、ガウディの建築物やフラメンコ、市場の賑わい、オペラ鑑賞くらいしか覚えていないが、エキゾチックな素晴らしい多くの観光資源に恵まれたスペインでも、特異な観光地市であった。
   このカタルーニァ地方は、言葉も違うし独立意識の強いところで、スペインと一線を画した政治文化文明、
   どこまで、集権意識の強いマドリード政府に抗し得るのか、興味のあるところである。

(追記)口絵写真は、ウィキペディアから借用。
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音楽の効用は文明初期から

2025年02月01日 | 学問・文化・芸術
   ヘンリックの「WEIRD(ウィアード)「現代人」の奇妙な心理」を読んでいて、音楽の効用につて興味深い記述があった。
   人間の文化社会にとって、音楽は、文明初期の段階から重要な役割を果たしていた。と言うのである。

   未開人類にとって、同期性、リズミカルな音楽、目的志向の共同行動がすべて作用しあう神聖な共同体儀式は非常に重要であった。儀式を遂行するという共通目的に向かって人々をまとめることによって共同体意識を深めて、人間関係を培い、個人間の信頼を強めて、連帯や相互依存の感覚を高めて集団の結束を図る。
   この同期性や共同行動を補うものとしてのリズミカルな音楽は、心理的に働きかける儀式の力を三通りのの方法で強めている。第一に、リズムに合わせている個々人が、身体の動きを同期させるのに効果的な仕掛けとなる。第二に、音楽を共通に演奏することが、集団にとっての共通目標になる。第三に、音楽は二つ目の感覚――動作に加えて音響――を通して作用することで、気分に影響を及ぼし、儀式に高揚感を齎す。
   これら神聖な儀式においては、音楽が必須だったのである。

   この共同体儀式の様子などは、今でも、それに似た民族集団的な儀式をテレビなどで見ているのでほぼ想像はつく。
   私が、意識しているのは、この音楽行動が、人類にとっては、原初より人間生活の根幹であって、切っても切り離せない命の一部であったと言うことである。

   さて、今日では、儀式に伴う音楽も様変わりして、この儀式でのような音楽体験をすることは、殆どなくなっている。それに、音楽も、儀式から離れて、独立して存在して機能するようになってきている。

   ところで、自分自身の音楽体験だが、何故か、小中学生時代には音楽の授業を軽視して身を入れて対処しなかった。大学生になって以降クラシック音楽に入れ込み、レコードを買い込みコンサートやオペラに通い詰め、長い欧米生活を良いことに最高峰の音楽を楽しみ続けて、生活の一部にもなっているので、今では、痛く後悔している。

   この天邪鬼が祟って、演歌など日本の歌謡曲なども紅白歌合戦くらいで聞くこともなく、クラシック一辺倒で通してきたのだが、不思議なもので、NHKの4KなどBSで演歌が流れてくると、ついつい、懐かしさを覚えて聞き続けている。日本人としての音楽心がビルトインされているのであろう。
   私の好きな歌謡曲と言うか聞くといつもホロっとするのは、「神田川」「いい日旅立ち」「琵琶湖周航の歌」。

   外国旅行で聞いた民族音楽も忘れ難い。
   スペインのフラメンコ、ポルトガルのファド、アルゼンチンのタンゴ、ブラジルのサンバやボサノヴァ、 メキシコのマリアッチ、ニューオーリンズのジャズ・・・
   同じ「エル・コンドル・パッサ」でも、ボリビアのラパスの咽返るようなナイトクラブで聞いた時と、マチュピチュの頂上で聞いた時のケーナの音色は違うし、
   とにかく、異国での音楽は胸にしみて懐かしさえ感じさせてくれる。

   フィガロの結婚も、ローエングリンも、ラ・クンパルシータも、聖者の行進も、有楽町で逢いましょうも、私の耳元で鳴っている。
   さて、私にとっては、音楽は何であったのであろうか。
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人類の識字率アップはルターのお陰

2025年01月30日 | 学問・文化・芸術
   先に、ピケティとサンデルの平等論争で、高等教育の機会格差が問題であることを論じた。一寸視点は違うのだが、人知・教養の面から、ジョセフ・ヘンリック (著)「WEIRD(ウィアード)「現代人」の奇妙な心理」を読んでいて、文化文明を一気に引き上げた「識字率」が、何時どのような理由でアップしたのか、興味深い記述に出会ったので、考えてみたいと思った。
                    
   言語の表記体系が、強大な勢力を誇る古代帝国などから起源したのは、5000年ほど前からだが、しかし、比較的最近まで、どこの社会でも、識字者が人口の10%超えることは決してなく、識字率はそれよりはるかに低いのが普通であった。
    ところが、16世紀に突如、まるで流行病のごとく、読み書き能力が西ヨーロッパ中に広がり始めた。

    それは、1517年のハロウィーン直後に、ドイツのヴィッテンベルクで、マルティン・ルターの「95か条の論題」が発端となって宗教改革が始まった。これが引き金を引いたのである。
    ルターのプロテスタンティズムの根底にあるのは、一人一人が神やイエス・キリストと個人的関係を結ぶべきだという考えで、それを成し遂げるためには、男も女も、独力で、神聖なる書物――聖書――を読んで、その内容を理解する必要があり、専門家とされる人や聖職者の権威、あるいは、教会のような制度的権威にたよりきるわけには行かなくなった。
   この「聖書のみ」と言う教理は、誰もが皆、聖書を読む力を身につけなくてはならないことを意味していた。

   そのためには、聖書を、それぞれの言語に翻訳する必要があり、ルターによるドイツ語訳聖書は、たちまちのうちに広く普及するのだが、ルターは聖書の翻訳のみならず、識字能力や学校教育の重要性についても説くようになった。当時、読み書きできたのはドイツ語使用人口の1%に過ぎなかったので、ザクセン選帝侯など統治者たちに、読み書きの指導と学校管理の責任を負うように圧力をかけるなど、識字率向上に奔走した。のである。

   プロテスタンティズムと識字能力や正規教育との歴史的関連性は、十分に証明されている。その早期普及を促したのは、物質的な自己利益や経済機会がその要になっていたのではなく、宗教的信念であった。
   識字率や教育に対するプロテスタントの貢献の高さは、カトリックの布教活動との影響の違いの中に、今日でも見て取れ、カトリックの布教地域の人々の識字率や学校教育の普及率は、プロテスタント地域よりもかなり低い。と言う。

   さて、先日の学歴不平等の問題だが、
   学歴格差が深刻で、学歴が高いほど、社会のトップ中枢に近づいて権力構造に昇りつめる欧米とは違って、学歴社会だと言いながらも、大学院卒の博士や修士がそれなりに評価されずに軽視され、大卒がトップを占める日本では、事情が大分違っている。欧米システムの、大学は教養、大学院は高度な学術・専門知識技術と段階的に高度化しているのとは違って、高校も大学も同じ教養教育をして僅かに専門知識を詰め込んで企業戦士のスペアパーツを作り上げたとする日本の大学、この教育システムが特異なのかも知れない。

   さて、欧米も日本も、トップ大学合格如何は、親の財力経済力に掛かっていると言う。東大生の親は一部上場企業の部長以上だと言われたことがあるが、我々の時のように貧しい地方の俊英が食うや食わずで上京したのとは、時代が違う。
   まず、今では、東大を目指すためには、トップクラスの中高一貫校に入学しなければならないのだが、そのためには小学校の中学年から著名な受験専門の塾に通い詰めて勉強する必要がある。塾生の勉強を毎日フォローしなければならないし、大学受験までは、膨大な出費が必要であり、これに堪え得る知力と財力を備えた親はそれほど多くはない。

   ルターの時代は、幸せになるためには、読み書きができて聖書を読めることが必須であったが、今では、何が必要なのであろうか。
                                  
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トマ・ピケティ , マイケル・サンデル「平等について、いま話したいこと」

2025年01月28日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   当代一の経済学者トマ・ピケティ と政治哲学者マイケル・サンデルが相まみえて、真の「平等」をめぐり徹底的に議論する!対話篇「平等について、いま話したいこと」

   まず、私が意識したのは、先日ブックレビューした斎藤幸平の「人新世の資本論」で、ピケティが、「飼い馴らされた資本主義」ではなく、「参加型社会主義」を意図した社会主義者に「転向」したと書いてあったので、主義信条がどのように変わったのか、新しい価値観に興味を持ったことである。
   この対談でも、ピケティは、わたしが標榜しているのは民主社会主義、連邦制の国際社会主義です。と発言しており、世界連邦にまで言及している。世界連邦については、もう70年以上も前中学生の頃に入れ込んで勉強した政治機構なので懐かしい限りだが、稿を改めたい。

   所得と富の不平等を説いたピケティが、冒頭で、世界中で多くの不平等が存在するものの、長期的に見れば常に平等へ向かう動きがあったことを強調している。社会運動や政治的要求、基本的財である教育、保健医療、選挙権などの機会を得る権利、民主的な参加への権利の平等や自治への意欲などが原動力になっている。と言う。
   不平等が問題である理由は、一つ目はすべての人による基本的な財の利用機会、二つ目は政治的平等、三つめは尊厳。二人の意見が一致して、これらの問題について議論を進めており、
   不平等の大きな制約要件となっているのは、第一は、学歴格差の問題で、高等教育に平等主義を実現しようとする意欲的な目標が事実上放棄されていること、第二は、世界の南北問題で、繁栄の大部分は国際分業によるものだが、残酷な北による実質的な南の資源の搾取(天然資源と人的資源の搾取)で、その代償として地球の持続性が脅かされている。言う。

   能力主義が機能していないとして、サンデルは、ハーバードなどアイビーリーグ大学の入学者を決めるのに、「くじ引き」を提言している。一定の入学適正基準を設けて、点数や成績がその基準を上回った出願者を入学定員の10倍に絞って、その10%を合格者とする方法である。
   これに、マーコヴィッツの「親の所得が国の下位の3分の2の学生が半数以上になる」など階級構成を変えて利用機会をもっと公平にするなど考えている。
   この考え方を政治にも適用して、二院制の立法府や議会を改革し、一方の議会は選挙制度で構成し、もう一方の議院は、古代ギリシャの発想にさかのぼって、くじ引きで選ばれた市民で構成される議会にするという。

   いずれにしろ、学歴偏重主義が、最後まで容認されている偏見で、トランプやルペン現象は、労働者や大卒でない人たちの多くが、エリートに見下されている、自分たちの仕事の価値をないがしろにされているという感覚の現れ、
   全体的な問題について、仕事の尊厳を肯定し、経済や共通善に――仕事や子育てやコミュニティでの活動を通じて――貢献している人々の生活をもっとよくすることに重点を置くべきだと説く。

   南北問題の最たる温暖化対策については、南の環境保全技術に必要な投資額が著しく不足しているので、階級闘争的に、最富裕層の億万長者や多国籍企業にグローバル税を課し、その税率の一定割合を特定名目分に定めて、人口や気候変動の影響に応じた割合で南側諸国に直接分配する必要がある。必要なのは、発展する権利、自治の権利、自決の権利について、基本的視点に立ち返ることだと、ピケティは、国際社会主義論を展開している。

   この対談で、最後の論点”尊厳”が最も重要で、この側面が政治的にも倫理的にも最も影響が大きく、経済と政治における不平等を減らすためには、より平等な承認、敬意、尊厳,尊重を実現する条件を整えることだと、結んでいる。

   私など、経済格差の拡大、経済的不平等が、一番の関心事であったので、多岐にわたった不平等の存在と深刻さに教えられた。
   私事ながら、私もアイビーリーグ大学の卒業生なので、受験当時を思い出したが、TOEFLとATGSBのテストを受けて、履歴書や推薦書、それに、結構多くの論文を添付して入学願書をウォートン・スクールに送った。どのような判定で入学が許可されたのか分からないが、点数だけではなく、卒業大学だとか職歴なり、それに上り調子の日本企業の経営についての論文なり、総合評価だという。

   ところで、この本、小冊子だが、結構示唆に満ちていて、左派リベラルのサンデルの見解などが垣間見えて面白かった。
   気付いたのは、斎藤准教授の「人新世の資本論」の世界と非常に近い理論展開であったことである。 
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わが庭・・・椿、梅やっと咲き始める

2025年01月26日 | わが庭の歳時記
   今冬は、異常気象なのか、花の開花が遅い。
   口絵写真の椿タマグリッターズなどは、秋が深まり始めると毎年綺麗な花を咲かせて楽しませてくれていたのだが、今年は、やっと、一輪が開花し始めただけで、まだ他の蕾は固い。
   ほかの椿は、ピンク加茂本阿弥のほか、開花を始めた椿は2~3本あるのだが、殆どは蕾の変色もなく硬いままなので、今年は、少しシーズンがずれ込むのであろうか。
   しかし、3月が温かいので、桜の開花は早まるという。
   花木の開花時期を翻弄するのは、地球温暖化の所為なのであろうか。
   


   



   椿の開花に呼応して、ここ2~3日で、梅が咲き始めた。
   いつも、一番先に咲く梅は、鹿児島紅梅。
   白梅の蕾は、まだ、固い。昨年は不作で殆ど結実しなかったので、今年は豊作を期待している。梅酒、梅ジャム作りを楽しみたいのである。

   これから春めいて温かくなってくると、わが庭の花木も咲き乱れる。
   花や小鳥たちとの対話が、楽しみになり嬉しくなる。
   



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斎藤 幸平 (著)人新世の「資本論」

2025年01月25日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   人類の経済活動が地球を破壊する「人新世」=環境危機の時代。気候変動を放置すれば、この社会は野蛮状態に陥るだろう。それを阻止するには資本主義の際限なき利潤追求を止めなければならないとする「脱成長」の資本論。マルクス経済学の再生を説くのがこの本。
   経済学を学びながら、無知の偏狭さでマルクス経済学に一顧だにせずに半世紀以上も経って、やっと、経済学の奥深さに感じ入った思いで、この本を読んだ。
   先日、NHKのBSスペシャルの
   人新世の地球に生きる 〜経済思想家・斎藤幸平 脱成長への葛藤〜を見て、まず、読まなければ議論はできないと思ったのである。
  
   まず、本書で、著者が最初にマルクスを引用したのは次の点。
   大量消費・大量消費型の豊かな帝国的生活様式を享受するグローバル・ノースは、そのために、グローバル・サウスの地域や社会集団から収奪し、さらには我々の豊かな代償を押し付ける行動が常態化している。のだが、
   19世紀半ばに、マルクスは、この転嫁による外部性の創出とその問題点を分析して環境危機を予言していた。資本主義は自らの矛盾を別なところへ転嫁し、不可視化するが、その転嫁によって、さらに矛盾が深まってゆく泥沼化の惨状が必然的に起き、資本による転嫁の試みは破綻する。このことが、資本にとって克服不可能な限界になる。

   次への展開は、進歩史観の脱却から「脱成長コミュニズム 」へ。
   マルクスの進歩史観には、「生産力至上主義」と「ヨーロッパ中心主義」と言う2つの特徴を持つ「資本主義がもたらす近代化が、最終的には人類の解放をもたらす」と言う楽観的な考えであった。
   しかし、「資本論」では、無制限な資本の利潤追求を実現するための生産力や技術の発展が、「掠奪する技術における進歩」に過ぎないと批判している。
   「価値」追求一辺倒の資本主義では、民主主義も地球環境も守れないので、生産力の上昇の一面的な賛美をやめて、社会主義における持続可能な経済発展の道を求めて「エコ社会主義」ビジョンを立てた。
   無限の経済成長ではなく、大地=地球を「コモン」として持続可能に管理する「合理的」な経済システムであり、この共同体は、経済成長をしない循環型の定常型経済である。ここでは、経済成長をしない共同体社会の安定性が、持続可能で、平等な人間と自然の物質代謝をしていた、というマルクスの認識が重要になる。マルクスが最晩年に目指したコミュニズムとは、平等で持続可能な脱成長型経済の「脱成長コミュニズム」なのである。

   「コモン」は、人々が生産手段を自律的・水平的に共同管理する「市民」営化であるから、労働者たちが共同出資して、生産手段を共同所有し、共同管理する「ワーカーズ・コープ(労働者協同組合)」である。
   資本主義の終わりのない利潤競争と過剰消費が気候変動の元凶だと糾弾して気候非常事態宣言を発して、国家が押し付ける新自由主義的な政策に反旗を翻す革新的な地方自治体「フィアレス・シティ」の先陣を切るバルセロナの、脱成長社会を目指す「経済モデルの変革」は最先端のモデルケース。
   非常事態宣言が、社会的生産の現場にいる各分野の専門家、労働者と市民の共同執筆であり、この運動を推進しているのが地域密着型の市民プラットフォーム政党で、この運動とのつながりを捨てない新市長は、草の根の声を市政に持ち込み、市庁舎は市民に開放され、市議会は、市民の声を纏め上げるプラットフォームとして機能するようになった。と言う。

   「脱成長コミュニズム」も、「市民」営化だとしても、組織である以上、ドラッカーの説くごとく、マネジメントが必要である。マネジメントが絡むと、利害得失が跋扈して、組織を歪め、本来の理想目的から逸脱する。
   問題点はあろうが、「脱成長」への資本主義への変革は必要だと思っているので、理想論に近いとは思うのだが、斎藤説には殆ど異存はない。
   しかし、マルクス経済学には、まだ、疑問を感じてはいる。

   著者は博学多識、詳細にわたって「脱成長コミュニズム」論を展開しており、極めて貴重な啓蒙書であるとともに、あらゆる文献を駆使してマルクス経済学の神髄に迫ろうとする真摯な貢献に脱帽する。
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PS:ジョセフ・E・スティグリッツ「進歩の終わり? The End of Progress?」

2025年01月23日 | 政治・経済・社会時事評論
   プロジェクト・シンジケートのスティグリッツ教授の論文は、
   米国は長年、基礎科学技術の進歩で世界をリードしてきたが、ドナルド・トランプ大統領と台頭する寡頭政治の下で、これに逆行する動きが見えている。米国が啓蒙主義の価値観を拒絶すれば、悲惨な結果を招くだろう。と説く。

   35年前、世界はヨーロッパの共産主義の崩壊とともに画期的な変化を経験した。フランシス・フクヤマは、この瞬間を「歴史の終わり」と呼び、すべての社会が最終的に自由民主主義と市場経済に収束すると予言したことで有名だ。今日、その予言がいかに間違っていたかを観察することは、ほとんど決まり文句となっている。ドナルド・トランプと彼のMAGA運動の復活により、現在の時代を「進歩の終わり」と呼ぶべきなのかもしれない。と言うのである。

   私たちのほとんどは、進歩を当然のことと考えているが、しかし、250年前の生活水準は2,500年前とほとんど変わらなかった。啓蒙時代と産業革命が起こって初めて、現代を特徴づける平均寿命、健康、生活水準の大幅な向上が達成された。
   啓蒙思想家は、科学的実験と改良が自然を理解し、新しい変革的技術を生み出すのに役立つことを認識していた。絶対主義に代わる法の支配、啓蒙主義に勝る真実の尊重、そして人間関係における専門知識の向上が必要であったが、MAGA革命の最も不穏な特徴の1つは、これらの価値観を完全に拒否していることである。

   進歩は続くのであろうか。現在権力を握っている人々は富の追求に完全に突き動かされており、搾取と利権追求を通じて富を蓄積することに何の躊躇もない。彼らはすでに、市場支配力を行使し、メディアとテクノロジー プラットフォームを利用して、広範囲にわたる操作と偽情報を通じて私的利益を推進する独創性を発揮している。
   今日のアメリカ式の腐敗が過去の形態と異なるのは、その規模の大きさと厚かましさである。進歩には基礎科学と教育を受けた労働力への投資が必要である。しかし、トランプは最初の任期中に研究費を大幅に削減することを提案し、共和党の同僚たちでさえ躊躇した。今回も共和党はトランプに抵抗する意欲を見せるであろうか?

   いずれにせよ、知識の進歩と伝達を担う機関が絶えず攻撃を受けている場合、進歩はまだ可能であろうか? MAGA運動は、最先端の研究が数多く行われている「エリート」機関を破壊したいだけである。
   国民の大部分が教育、健康、栄養のある食事の不足に苦しんでいる国は、真の意味で繁栄することはできない。唯一の解決策は、公共支出を増やし、改善することだが、トランプと彼の寡頭政治家チームは、できる限り予算を削減することに全力を尽くしている。そうすることで、米国は外国人労働者への依存をさらに高めることになる。しかし、移民は、たとえ高度なスキルを持った移民であっても、トランプのMAGA支持者にとっては忌み嫌われる存在である。

   米国は長年、基礎科学技術の進歩で世界をリードしてきたが、トランプ政権下でこれがどのように続くのかは見通せない。
   私には3つのシナリオが考えられる。1つ目は、米国がようやく根深い問題を受け入れ、MAGA運動を拒否し、啓蒙主義的価値観へのコミットメントを再確認すること。2つ目は、米国と中国がそれぞれ寡頭資本主義と権威主義的国家資本主義への道を歩み続け、世界の他の国々が遅れをとること。最後に、米国と中国は進路を維持するが、ヨーロッパが進歩的資本主義と社会民主主義の旗印を掲げること。である。
   残念ながら、2 番目のシナリオが最も可能性が高いため、米国の増大する欠陥がいつまで管理可能なままでいるかを検討する必要がある。中国は、巨大な市場、膨大なエンジニアの供給、長期計画と包括的な監視への取り組みにより、テクノロジーと AI の開発で大きな優位性を持っている。さらに、西洋以外の 60% の国に対する中国の外交は、米国よりもはるかに成功している。しかし、もちろん、中国もトランプ政権下の米国も、18 世紀後半以来の進歩を推進してきた価値観にコミットしていない。

   悲しいことに、人類はすでに実存的な課題に取り組んでいる。テクノロジーの進歩により、私たちは自滅する手段を手に入れた。それを防ぐ最善の方法は、国際法である。気候変動とパンデミックがもたらす脅威に加えて、規制されていない AI についても心配する必要がある。
   進歩は一時停止するかもしれないが、基礎科学への過去への投資は引き続き貴重な利益をもたらすだろうと反論する人もいる。さらに、楽観主義者は、すべての独裁政権は最終的には終わり、歴史は進むと付け加えるかもしれない。1世紀前、ファシズムが世界を席巻した。しかし、それが民主化の波につながり、植民地解放と公民権運動が人種、民族、性別による差別に対抗した。
   問題は、それらの成功した運動は限界があり、時間は私たちの味方ではないこと。気候変動は、私たちが行動を起こすのを待ってはくれない。アメリカ人は、教育、健康、安全、コミュニティ、クリーンな環境に基づく共有された繁栄という形で、継続的な進歩を享受できるであろうか。私はそうは思わない。そして、アメリカにおける進歩の終焉は、世界的に連鎖反応を起こすだろうか。ほぼ確実に。
   トランプの2期目の大統領就任がどのような結果をもたらすかを完全に知るには時期尚早だ。歴史は確かに進むが、進歩は置き去りにされる可能性がある。
   以上が、スティグリッツ教授の警世の言である。

   科学技術の進歩によって触発された啓蒙時代と産業革命 によって一気に停滞を脱して大躍進を遂げた人類社会も、MAGAを掲げたトランプの時代錯誤の政権の誕生で、暗い影を落とし始めた。「歴史の終わり」をもじって、「進歩の終わり」と言うのである。
   科学技術の進歩に一顧だにせず、知識の進歩と伝達を担う教育や研究機関に絶えず攻撃をかけ、MAGA運動は、最先端の研究が数多く行われている「エリート」機関を破壊したいだけだとの指摘には、言葉もない。
  「パリ協定脱退」「WHO脱退」はともかく、地球温暖化対策の破壊者として、宇宙船地球号を窮地に追い詰めた元凶として、後世に名を遺すことは間違いない。これがトランプの「黄金時代」の勲章なのであろう。

   偉大なベンジャミン・フランクリンが創立した全米最古の総合大学ペンシルべニア大のウォートン・スクールで、トランプは何を学んできたのか。
   アメリカにおける進歩の終焉は、ほぼ確実に世界的に連鎖反応を起こす。と言う。人類の歴史が終わってしまう。
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トランプ大統領就任演説「黄金時代が今始まる」

2025年01月21日 | 政治・経済・社会
   トランプ大統領の就任演説をNHKの録画で見て、読売新聞電子版の演説全文を読んだ。
  今から、アメリカの黄金時代がはじまる。The golden age of America begins right now. からスタートした30分ほどの演説。
   ホワイトハウスのHPを開いたら、先日のバイデンから、全く様変わりで、第1ページは、トランプの映像写真の下に、次の文章、
   America Is Back
Every single day I will be fighting for you with every breath in my body. I will not rest until we have delivered the strong, safe and prosperous America that our children deserve and that you deserve. This will truly be the golden age of America.
   さて、the golden ageになるのか、the dark ageになるのか、神のみぞ知るということであろうか。

   私が気になったのは、
   「今日、私は一連の歴史的な大統領令に署名します。これらの行動により、私たちはアメリカの完全な回復と常識の革命を開始します。まず、南部国境に国家非常事態を宣言します。あらゆる不法入国は直ちに停止されます。 」と言うところの「常識の革命the revolution of common sense 」と言う文言で、「常識 common sense」と言う言葉などトランプには最も縁のない言葉である。アメリカの発展もその後の爆発的な成長も、すべからく、移民あってのアメリカ。その移民排斥が、「常識の革命」と言うのなら、何をか況やである。
   尤も、バイデン政治を否定した一連の歴史的な大統領令が、「常識の革命」と言うのなら、殆ど常識外れのような気がする。

   しかし、一番気になるのは、
   バイデン氏が退任演説でトランプ政権で少数独裁到来と警鐘を鳴らした
   「ハイテク産業複合体」―の不気味な台頭。
   軍産複合体による支配の危険性を唱えたアイゼンハワー元大統領の退任演説に言及し、人工知能(AI)開発を含む「ハイテク産業複合体」の台頭が「同様の脅威をもたらす可能性がある」と指摘した。のだが、 
   今回の就任演説会場では、テスラのイーロン・マスク氏、グーグルのスンダー・ピチャイ氏、アマゾンのジェフ・ベゾス氏、メタのマーク・ザッカーバーグ氏などビッグテックのCEOたちが、閣僚より前の席に配置されて目を引いた。と言う。正面演台のすぐ後ろ左側、トランプファミリーとの並びである。
   
   トリプルレッドで殆ど白紙委任状を得て超独裁権を握ったトランプ政権と、人類の文化文明史上最先端産業であり最高の経済権力を握るハイテク産業が癒着してアメリカのみならず世界全体を支配すれば、どんなことになるか、バイデンは、最後の白鳥の歌を歌って去ったのである。
   移民問題や関税の問題、ウクライナや中東の問題より、はるかに強力な文明破壊力が炸裂するような気がしている。
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