体罰は無能指導者の証明

5月23日、東京都教育委員会は「都内公立学校における体罰の実態把握について(最終報告)」という報道発表をしました。

ある校長先生の言葉によると、これは東京都教育委員会の決意の表れだということです。この発表によって、各地域の教育委員会も、多くの学校も1校ももれなく対応に追われ、また、世間の教育に対する不信感を増長するのではないかという批判もありながらも、あえて公表するということは、体罰を含む教員の不祥事に対して、本気で根絶しよう。革命的な意識変革をしていこう。そういう決意の表れだと捉えられるというご意見でした。

私自身は、小学生バレーボールチームのホームページが活発に立ち上がりはじめた2000年頃から一貫して、「体罰をする指導者は、自ら自分は無能だと宣伝しているようなものだ」と主張してきました。2001年10月10日には次ようなことを書きました。

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『体罰はなぜいけないのか』(2001年10月10日)

なぜ今、このようなことを書くのか。それはアメリカの軍事行動が始まったからです。今からその共通点を私なりに明らかにします。

「同時多発テロ事件」
暴力によって何かを分からせてやろうという思想から行動している。
「報復攻撃」
暴力によって何かを分からせてやろうという思想から行動している。
「教育上の体罰」
暴力によって何かを分からせてやろうという思想から行動している。

みんな根っこは同じ。土の上に出てくる幹が太いか細いかのちがい。たった1度でも体罰で解決することを味わった子どもは、その子が指導者や親になって、せっぱ詰まった時に「体罰」で解決することを思い出すのです。何人もの親がそのことを証明してくれました。「私も子どもの時にそうだった」と言って・・・・・。
この思想を根絶やしにすること以外に平和はないと確信しています。

体罰をする指導者を見たとき、その指導者のことを私は大笑いしているのです。
「ハハハハハ! あの人は自分のことを『私は指導力がありません』と宣伝しているようなものなのだ。」

『体罰をする人間は、実力がない人間。』これが私の信念です。

指導者は「忍耐の鎧(困難を耐え忍ぶこと)」を身にまとった勇者。これが辰巳ジャンプの指導者像です。

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この考えは今でもまったく変わっていません。「体罰をする者は自分の無能を周囲に宣伝しているようなものである」この言葉を辰巳ジャンプは合い言葉にしていきます。と、かっこよいことをいっても、私自身、多少の威嚇的な指導をしていないとは言えず、そのたびに反省をしています。


ところで、体罰はなぜ起こるのでしょう?それはたぶん次のような仕組みがあります。

(1)指導者は自分の理想とする高いチーム像や選手像を持っている。

(2)子どもたちの現実と指導者の理想像には大きな隔たりがある。

(3)指導者は自分のイメージに近づけようとする。しかし子どもたちは指導者の思うようにはなかなかプレーできない。

(4)この成功イメージと現状の力量のずれが、指導者の大きなストレスとなる。要するに、自分の思い通りにならないストレスを感じるわけである。

(5)ストレスがたまると人はイライラする。

(6)このイライラを解消するために、怒鳴ったり、怒ったり、体罰するといった発散の仕方で行動化される。

(7)体罰指導や威嚇指導で育てられた子は、指導者の顔色を気にするようになり、自ら成長しようとする意欲が低下する。



私に指導力があるなんてことは思っていませんし、他チームのことを指摘するつもりもまったくありませんが、体罰や威嚇をしないで圧倒的に子どもたちを伸ばす小学生バレーボール指導方法を、多くのチームの指導者の皆さんと一緒に開発していければいいなぁと思います。

【参考文献】
叱らず、問いかける--子どもをぐんぐん伸ばす対話力 (ファミリー新書)
クリエーター情報なし
廣済堂出版


サッカーで子どもをぐんぐん伸ばす11の魔法 (edu book)
クリエーター情報なし
小学館


サッカーで子どもの力をひきだす オトナのおきて10(DVD付)
クリエーター情報なし
カンゼン


サッカーで子どもがみるみる変わる7つの目標 (edu book)
クリエーター情報なし
小学館


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