地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

バンコクの庶民の味方・赤バス万歳!!

2017-10-09 00:00:00 | アジア諸国の路線バス


 私が始めてヤンゴンを訪れた2013年3月、ヤンゴンの街は日本国内の数多のバス事業者塗装のバスがあふれ、まさに百花繚乱の感がありましたが、やがてラッピング車とウリナラ・エアロエースが氾濫し、ついには中国宇通の植民地に変わるまでの時間は僅か4年強! 本当に何事も諸行無常、変わるときには変わってしまいます。ヤンゴン未訪問で「いつか自分も」と思っていたバスヲタの皆様は今頃、さぞや涙を飲んでいることでしょうが、しかしそれはひとえに、「アジアの乗り物における諸行無常・一期一会の鉄則」に従わなかった者が自ら一生背負い続ける罪なのです (爆)。
 しかーし、そんなヤンゴンを横目に、依然として日本メーカー製ボロバスの天下となっている大都会があります。それがバンコク!! 



 街そのものは、最近まで英領時代のまま時間が止まっていたかのようなヤンゴンとは比較にならないほど、バンコクの方が圧倒的近未来都市ですが、そんなバンコクでは高度成長が続いた80〜90年代に日本やドイツのメーカーから新品の下回りを買い続け、タイオリジナルの車体を架装した結果、如何にも80〜90年代の日本気質な雰囲気のバスが未だに大して故障もせず洪水のように市内を走っているのです。勿論、中国製勢力の伸長もありますが、とにかくバンコクのバスは、主要バスターミナルに居続けても決して飽きることはないほど多様で楽しめます。
 そんなバンコクのバスの中でも、個人的に一番好きなのは、一番安い赤バスです。均一運賃で6.5Bという激安ぶりですが、たまに社会政策の一環として無料バスも来るという凄さ……。そんな赤バスがエンジン音をガラガラ言わせながら神風運転するのにはシビれます (笑)。
 というわけで、赤バスの画像、ここ数年ミャンマーを訪れる度にバンコクにも寄り道している関係上、三菱ふそうといすゞそれぞれに画像を撮り貯めているのですが、とりあえず今年3月に撮影した画像をアップしておきます。上はいすゞ (@バーンスー)、下は三菱ふそう (@戦勝記念塔) です。赤バスは全ての車両が両社の製品ですので、時間帯と場所によっては赤バスが洪水のようにを現すのは、まるで1980年代の町田駅前や本厚木駅前を思い出すノリがあり、マジ感激ものですぜ旦那……。
 ともあれ、赤バス・青バスをはじめ、様々な色のバスをそれなりに撮り貯めておりますので、整理してアップしたいのですが、時間ばかりが過ぎて行く……。

ヤンゴンで大増殖する宇通製バス・赤

2017-10-08 00:00:00 | アジア諸国の路線バス


 ヤンゴンの路線バスがYBSへと改組されたのを機に、氾濫するかのように走り始めた中国・宇通製バス。3月の時点で、ヤンゴン中心部のバスはそれなりに置き換わっており、その後も膨大な量の予備軍が待機している画像をネットで眺めたりしていましたので、訪問から半年を過ぎた今頃には郊外を含む主要路線の大部分が宇通になってしまっているのでしょうか?!
 そんな宇通車の一部は前にアップしました通り、YBSのミャンマー新国旗に合わせた標準塗装となっています。しかしさすがに、膨大な数の車両の塗り替えは間に合わないと見え、河南省(とりわけ鄭州市)時代と同じ赤や葡萄茶色でヤンゴン・デビューを果たした車両も大量に走っています。



 え?何故河南省や鄭州市だと分かるのかって……? そりゃ〜車体の後部にデカデカと「豫」で始まるナンバーが大書されていますし(漢字一文字で直轄市・省・自治区を略称する際、河南省は「豫」)、側面に掲げられた路線番号と停留所一覧も鄭州市のそれだったりしますので (笑)。
 そこで見方を変えますと、「ゴッソリ車両を入れ替えて余剰車をヤンゴンにプレゼントせよ」という中共中央の指示が、中共鄭州市委員会あたりにでも下されたのかも知れません (上級の正しい命令には絶対に従わなければなりません w)。
 ちなみに1枚目の画像は、まさに導入直後と見えて非常にピカピカな状態で、YATA (ヤンゴン地域交通局?) のステッカーを全く貼っていない状態ですので、これはこれで貴重なシーンです。ともあれ、これら赤や葡萄茶色の車両は、今後YBS色に変わる可能性が無きにしもあらずですので、中国製バスマニアの方はどうぞお早めに (そんな人は日本にいるのか?……ちなみに私は、計画経済時代のボロバスやボロトロリーバスにつきましては、若い頃のバックパッカー旅で散々苦労しながら乗りまくったこともあり、超絶に思い出深く好きですが、もっと写真を撮っておけば良かった……)。むしろ今後の個人的焦点は、これら中国中古路線バスが地方の中長距離路線に入ったとき、果たして神奈中色や横浜市営色など、ミャンマーでも人気のある塗装を纏うことになるのだろーか、ということです (そうなったら、かな〜り激写したいかもです。笑)。

美濃路歩き鉄 (3) 豪華鈍行キハ75

2017-10-06 00:00:00 | JR発足後の車両


 美濃太田所属のDCは今やキハ75とキハ25によって占められていますが、正直なところキハ75が来ると超デラックス大当たりの感が強く、キハ25 0番台で「座り心地のグレードが落ちるけど、まいっか」という気分になり、キハ25 1000番台で「アチャー!」という気分になるのは免れないところでしょう。勿論、太多線〜岐阜間であれば、キハ25 1000番台であっても、静岡地区313系と同じく、JREあたりと比べれば格別に好待遇だと思わなくもありませんが、やはり景色が宜しくローカル気分も強いところでは当たりたくないものです。



 というわけで、今や美濃大田区の受け持ちエリアでは、ときとしてキハ75とキハ25 1000番台の両者が並ぶことによる明暗を痛感させられる機会が頻繁に起こります。例えば……中山道歩きを一旦美濃太田で区切り、後日改めて中央東線鈍行〜しなのを乗り継ぎ、太多線で美濃太田に向かったときのこと (太多線も冷静に考えてみれば、未成だった中山道本線の一翼を成しています。もっとも、恵那〜御嵩間の実際のルートが余りにも山深くアップダウンが多いため、南に迂回するかたちとなっていますが)。多治見で正午過ぎの岐阜行き (3625C) に乗り換えますと、うほっ♪そこにはキハ75の姿が☆ 
 そこで、悠々余裕の座り心地と、太多線では完全に性能を持て余しまくった走りを楽しみつつ (?……否、些か欲求不満を感じつつ)、ついに木曽川鉄橋を越えて美濃太田に着いたところ、ななな何と!目の前に停車していた高山行き (4717C) はキハ25 1000番台……。しかもちょうど18きっぷシーズンの休日ということもあり、18きっぱーと外国人観光客が座席を埋め尽くし、立ち客多数のカヲスと化していました (爆)。キハ48時代であれば全員座れたものを……。
 巨大なトラベルケースを伴った外国人観光客が特急料金をケチって敢えて鈍行に乗ってくるならば、キハ25 1000番台でもちょうど良いのかも知れませんが、しかしまぁ風光明媚な区間でロングシートの「おもてなし」というのもぞっとしません (笑)。これからの時代の美濃太田機関区エリアの鈍行旅は、『普通列車編成表』の類が必携と言えましょう。

墨東東武散歩2017夏 (4) メトロ半蔵門

2017-10-04 00:00:00 | 都市民鉄 (首都圏)


 黙っていても怒濤の勢いで黒字を得られる (?) 東京メトロは現在、東京五輪の開催を見据えて、都心部の駅の模様替えを大規模に進めており、とりわけ大手町駅がシックな高級感を纏って生まれ変わりつつあります。そして複数種別・行先が入り乱れる半蔵門線や千代田線のホームでは (東西線も同様でしょうけど滅多に使わないのでノーチェック ^^;)、真新しい行先案内機が稼働して情報量が格段にアップしています。しかし……列車種別としての「各駅停車」の漢語訳は「毎站停車」とはこれ如何に? 小田急と同じく、フツーに「慢車」と書けば良いものを……。チンタラ走る客レのイメージを嫌ったのでしょうか? 



 それとも、中国でも台湾でも「慢車」というカテゴリーが現実に消えつつあることから、そもそも「慢車」と書いてもピンと来ない中国人や台湾人 (の若者) が増えているのかも知れず (基本的に全ての駅に停まる地下鉄を慢車とは呼ばないでしょうし)、それに伴い新たに説明し直す必要があるということなのかも知れません。中国の場合、ド田舎でないと鈍行らしい鈍行は残っていませんし、台湾の場合はほぼ「区間車」というカテゴリに吸収され、南廻線で毎日1往復走る藍色普通車 (=昔ながらの慢車) も来年で消えることが確定したとか何とか……。
 ともあれ、こうして言葉の盛衰を伴いながら時代というものは流れて行くのだな~ということを思いつつ、半蔵門線で今後しばらくは変わりそうにないメトロ8000系と08系の画像をアップしておきます。13000系の増備が終わった後、当面は有楽町・副都心7000系の置き換えが優先されることになるでしょうから、全車VVVF化が終わって間もない (?) 8000系の廃車が始まるのは当分先でしょうか (08系も少数派につき、8000系と同時に廃車になって欲しいのですが)。東急・東武・メトロを比較すると、東武50050前期車の椅子改良が済んだ現在、メトロ車は圧倒的に一人あたりの座り幅が狭く (8000系→椅子への仕切りパイプ設置により、事実上の「6人掛け」が不可能となり、7人掛けキツキツ地獄に……)、あるいは座り心地が悪い (08系) というイヤ過ぎる特徴がありますので、『東京時刻表』でチェックして避ける代表的存在となってしまいましたが……小柄な人が多いインドネシアに持って行けば誰にとっても十分快適な車両ですので是非早急な輸出を!などと思ったりもします (滝汗)。

美濃路歩き鉄 (2) キハ25 0/100番台

2017-10-03 00:00:00 | JR発足後の車両


 長い長い山の道を抜けて美濃の平地に出て来た中山道。最初に名鉄6000ワンマン車が機織りをする御嵩界隈を眺め、明智駅の北1km少々のところで八百津線の廃線跡 (サイクリングロード化) を横切ったあとは、しばらく台地の上を進んで国道21号線のトラックに悩まされ、イイ加減イヤになったところで再び旧道へ。すると出会うことになるのが、可児~美濃川合間の太多線です。ケータイで時刻表を調べてみたところ、10分少々で岐阜行きが来るようですので、「何が来るかなぁ~」とガラポンくじ気分で待っていたところ、キハ25 0 (100) 番台が猛スピードで駆け下って来ました。



 周知の通り、キハ25の0 (トイレ無し100) 番台は、伊勢神宮の式年遷宮に伴う「快速みえ」の増結に駆り出された武豊線キハ75の不足分を補うために製造され、313系と余りにもそっくりな姿に驚かされたものです (実際に乗ってみるとエンジンが唸って改めてびっくり ^^;)。もっとも、屋根やドア隅の煤汚れで、電車とは全く別物であることが一目瞭然でしたが……(笑)。その後、武豊線電化で全車余剰となった結果、キハ75ともども美濃太田に転じ、新造分のロングシート1000 (1100) 番台と合わせて、キハ11とキハ40系列をミャンマーへと追いやったものです。
 そんなキハ25、転換クロスシートということで、0番台は主に高山線の山岳区間に入り、太多線~岐阜間の低地区間の運用は1000番台がメインなのだろうかと思いきや、意外とここら辺はアバウトなようで、太多・高山線の全線にわたって、何が来るかは運用表を知る者のみが把握するガラポンくじ状態となっているようです。0番台は5編成であるのに対し、1000番台は9編成ということで、ロングが来る確率の方がはるかに高いことは言うまでもありませんが、後日、そのことが引き起こす悲劇を見てしまったのでした……(笑・つづく)。