時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

エリス島物語(1)

2005年02月14日 | 移民の情景


移民・外国人労働を研究テーマのひとつとしてきた者にとって、エリス島は何度訪れても興味尽きない場所である。同じニューヨーク、マンハッタン島の沖合に浮かぶリバティ島の自由の女神は観光客が必ず訪れる場所だが、エリス島は案外知られていない。しかし、アメリカ人のある世代の人々にとっては、この島は特別の感慨を呼び起こす場所なのだ。
 
ヨーロッパを始めとして、世界中から新大陸への希望をかけて移民船で渡航してきた人々の多くが、かつてはここで入国を認められるか、拒否されるかの「審判」を受けたのである。エリス島の移民記念博物館で上映される映画のタイトルは「希望の島、涙の島」だが、文字通り天国と地獄を分ける島であった。医学水準が低い時代には、今ならば直ぐに治療されるトラコーマなどの眼病でも入国を拒否され、送還されることもあった。英語や心理のテストが行われたこともあり、移民にとっては不安の極致であったに違いない。
 
エリス島の博物館には、一筋の光を求めてはるばる新大陸までやってきた人々が、果たして入国できるか否かの不安と恐怖におののきつつも、審査の順番を待っている印象的な写真が数多く展示されている。移民たちが新大陸に持ち込んだ数々の手荷物も見ることができる 。入国管理官から、鈎の手のような一寸怖い器具で、目の検査を受けている移民たちの写真もある(日本人移民の写真も展示されている)。それらを食い入るように見ている人々の姿は、アメリカという国の成り立ちを考えるに、きわめて感動的である。

私もイタリア移民の子である友人の両親から、初めてエリス島に着いた時の様子を聞いたことがある。ほとんど着の身着のままで、貧困の極みにあった南部イタリアからアメリカにやってきた彼らにとっては、エリス島から眺めた高層ビルが並び立つマンハッタンの夜景は、この世のものとは思えなかったそうである。その友人が親から聞いた話では、イタリアでは本当に歯ブラシ一本持っていない貧しさだったという。現在は、移民記念博物館になっている旧入国管理事務所ホールに立つと、さまざまな国から新大陸に来た人々の希望や不安が時空を越えて聞こえてくるような気がする。

(旧HP2003年8月5日掲載記事に加筆掲載)
コメント
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