日本に外国人労働者が来るようになった1980年代中頃から、かなりの数のインタビューを行ってきたが、印象に残る出会いも少なくない。日系人の方々が数の上では多いが、まったく、日本人と異ならない容貌のために、うっかり日本語で話しかけてしまったが、きょとんとした目つきで応じられ、「しまった、ポルトガル語なのだ」と気がついたことも一度、二度ではない。そうかと思うと、インタビューの後で「つたない話を聞いていただいて恐縮至極です」と鄭重に挨拶されて、こちらの方が恐縮してしまったこともあった。さすがに一世はほとんどお会いしなくなったが、戦後移民した日系二世の方々が夫妻ともども、日本人のやらなくなった工場労働を若い日本人管理者の下で、黙々とこなしている姿をみて、言葉がなくなってしまったこともある。
すでに10年余り前になるが、浜松市での調査の時、インタビューした中小企業経営者の方が、「日本人の若い人を採用したが、半日いなかったよ 」と云われたことを思い出す。フリーターやニートが社会的関心事となって、かなりの時間が経過したが、関係者の対応が遅きに失したことが残念でならない。バブル崩壊後、社会を構成する家庭や企業、学校などにおける教育の基盤が大きく揺らいでしまった。ここまでくると、「ゆとり教育」の修正程度では到底追いつかない。
旧聞になるが、1999年は日本からペルーへの移民開始100周年に当たった。ふだんはあまりTVは見ないのだが、たまたまペルーのリマ市から「NHKのど自慢」の実況中継というキャプションに惹かれて見ることになった。外国人労働者が珍しくなくなった今日の日本では、この国がかつては移民の送り出し国であったことを知る人も少なくなった。南米への最初の移民船「笠戸丸」が神戸港を出港したのは、1908年(明治41年)である。筆者の机上にも一時期、移民船として活躍した「ぶえのすあいれす丸」のガラス製文鎮が置かれていたが、引っ越しの時にどこかに紛れ込んでしまった。
さて、のど自慢に出演していた人たちは、一世、二世、三世、四世、それに日系以外の人たちも加わり、歌唱のためにふだん使わない日本語を最初から習ったという涙ぐましい光景も紹介された。当然ながら、一世など高齢者になった人々の祖国への思いは熱い。近年のように航空機に乗れば、一日余りで日本にやってこられる時代とは異なり、大戦前で情報も少ない南米の地へ1カ月以上も移民船の船底で過ごし、二度と日本の土を踏むこともないかもしれないと思い定めて渡航していった人々の祖国への感情は、われわれには計り知れない。出演者ばかりでなく、観衆の中にも正装をされている方々が目立った。劇場などの公的な場におけるドレス・コードが生きているのだ。ヨーロッパの劇場などで、日本人がジーンズやミニスカートなどの服装で入場し、周囲の人々との違和感ばかりかひんしゅくを買っているのとは違い、今の日本が失ってしまった良き社会的規範が遠く南米の地に継承されていることに胸を打たれた。
南米への移民
移民はTVばかりでなく映画や小説の材料にも、しばしば取り上げられる。1976年テレビシリーズ化され「フランダースの犬」とともに、30%近い視聴率を記録し、2002年アニメ映画として復活した「母をたずねて三千里」は、19世紀イタリアからアルゼンチンへの移民の物語を背景としている。母が乗っている船を追って、ジェノヴァの桟橋を駆けて行くマルコの姿を記憶している人々も次第に少なくなった。
映画のシーンで印象に残る情景のひとつは、スペインの巨匠カルロス・サウラ監督の「タンゴ」(1998年)のフィナーレである。大戦前、アルゼンチン、ブエノスアイレスの港に到着した移民たちのさまざまな姿が、暁の地平線上へ次々と浮かび上がる美しい映像を背 景に、劇中劇としてのミュージカルの結末部分が展開する。タンゴを撮影する映画監督と美しいダンサーとの危険な恋(裏に移民を商売とする暗黒街のボスが存在)が、虚実交錯する物語として官能的なタンゴの調べとともに展開する。ストーリーはややメロドラマ的では あるが、この監督の映画のカメラワークは素晴らしい。このブログでも、時々こうした「移民の情景」を紹介してみたい(2003年8月3日記)。
画像は、2003年に発行された日本アルゼンチン修好100周年記念切手。なかなか渋い色合いですね。
旧ホームページから加筆の上、転載。
すでに10年余り前になるが、浜松市での調査の時、インタビューした中小企業経営者の方が、「日本人の若い人を採用したが、半日いなかったよ 」と云われたことを思い出す。フリーターやニートが社会的関心事となって、かなりの時間が経過したが、関係者の対応が遅きに失したことが残念でならない。バブル崩壊後、社会を構成する家庭や企業、学校などにおける教育の基盤が大きく揺らいでしまった。ここまでくると、「ゆとり教育」の修正程度では到底追いつかない。
旧聞になるが、1999年は日本からペルーへの移民開始100周年に当たった。ふだんはあまりTVは見ないのだが、たまたまペルーのリマ市から「NHKのど自慢」の実況中継というキャプションに惹かれて見ることになった。外国人労働者が珍しくなくなった今日の日本では、この国がかつては移民の送り出し国であったことを知る人も少なくなった。南米への最初の移民船「笠戸丸」が神戸港を出港したのは、1908年(明治41年)である。筆者の机上にも一時期、移民船として活躍した「ぶえのすあいれす丸」のガラス製文鎮が置かれていたが、引っ越しの時にどこかに紛れ込んでしまった。
さて、のど自慢に出演していた人たちは、一世、二世、三世、四世、それに日系以外の人たちも加わり、歌唱のためにふだん使わない日本語を最初から習ったという涙ぐましい光景も紹介された。当然ながら、一世など高齢者になった人々の祖国への思いは熱い。近年のように航空機に乗れば、一日余りで日本にやってこられる時代とは異なり、大戦前で情報も少ない南米の地へ1カ月以上も移民船の船底で過ごし、二度と日本の土を踏むこともないかもしれないと思い定めて渡航していった人々の祖国への感情は、われわれには計り知れない。出演者ばかりでなく、観衆の中にも正装をされている方々が目立った。劇場などの公的な場におけるドレス・コードが生きているのだ。ヨーロッパの劇場などで、日本人がジーンズやミニスカートなどの服装で入場し、周囲の人々との違和感ばかりかひんしゅくを買っているのとは違い、今の日本が失ってしまった良き社会的規範が遠く南米の地に継承されていることに胸を打たれた。
南米への移民
移民はTVばかりでなく映画や小説の材料にも、しばしば取り上げられる。1976年テレビシリーズ化され「フランダースの犬」とともに、30%近い視聴率を記録し、2002年アニメ映画として復活した「母をたずねて三千里」は、19世紀イタリアからアルゼンチンへの移民の物語を背景としている。母が乗っている船を追って、ジェノヴァの桟橋を駆けて行くマルコの姿を記憶している人々も次第に少なくなった。
映画のシーンで印象に残る情景のひとつは、スペインの巨匠カルロス・サウラ監督の「タンゴ」(1998年)のフィナーレである。大戦前、アルゼンチン、ブエノスアイレスの港に到着した移民たちのさまざまな姿が、暁の地平線上へ次々と浮かび上がる美しい映像を背 景に、劇中劇としてのミュージカルの結末部分が展開する。タンゴを撮影する映画監督と美しいダンサーとの危険な恋(裏に移民を商売とする暗黒街のボスが存在)が、虚実交錯する物語として官能的なタンゴの調べとともに展開する。ストーリーはややメロドラマ的では あるが、この監督の映画のカメラワークは素晴らしい。このブログでも、時々こうした「移民の情景」を紹介してみたい(2003年8月3日記)。
画像は、2003年に発行された日本アルゼンチン修好100周年記念切手。なかなか渋い色合いですね。
旧ホームページから加筆の上、転載。