エリス島物語 (書評)
20世紀前半までにアメリカへ移民した多くの人々が、決して忘れることのない場所のひとつがエリス島である。ニューヨーク、ハドソン河口に位置するこの小さな島は、1892年から1924年にかけてアメリカへ移民を志した1600万人近い人々が通過した、いわば新大陸の入り口であった。ここに連邦諸機関が移民の受け入れセンターを設置していたためである。その意味で、アメリカ人の多くを見えない糸でつないできた一点といえるかもしれない。アメリカへの移民の原点ともいえる場所である。
移民たちが新世界に希望を求めて、長い船旅の後にたどり着いたのが、この小さな島であった。一等先客などの恵まれた移住者は、船上で入国許可などの手続きを受けることが多かったので、受け入れセンターを経由した者は、三等船客として不衛生きわまりない船底で過ごした人たちである。彼らは旧大陸であるヨーロッパに絶望し、あるいは見放されて、ようやくアメリカにたどり着き、その後の人生のすべてを新大陸での生活にかけたのである。
エリス島の果たした役割については、すでに数多くの書籍、写真集などの形で残されている。しかし、ここに紹介するジョルジュ・ペレック(酒詰治男訳)『エリス島物語:移民たちの彷徨と希望』青土社、2000年(原著はフランス語で1994年出版、英語版もある)は、類書とかなり赴きを異にしている。ヨーロッパ大陸での貧困、飢え、迫害などを逃れ、新天地アメリカにたどり着いた移民たちとのインタビューを中心に、史実の記録を織り交ぜた異色のドキュメンタリー小説ともいうべき作品である。もともと、本書は作者が加わった映画の台本を基礎に生まれたものであるだけに、多くの印象的な写真を含め、最初から読者を飽かせることがない。アメリカ移民史に多少なりと関心を抱く者は、たちどころに引き込まれてしまうだろう。
訳者あとがきによると、著者ペレックの両親はフランスに移民したイディッシュ語を話すポーランド系ユダヤ人であり、第二次大戦で父親は戦死し、母親はアウシュヴィッツの犠牲者となったという重い過去を背負っている。戦争孤児となったペレックは、精神的にも孤独な境遇の中で彷徨する人間となったのである。その思い入れもあってか、本書はエリス島について書かれた他の書籍とは、異なった魅力を持っている。エリス島は、私自身も移民労働に関心を持つようになってからは、ニューヨークに行く機会があると、磁石に引かれるように、この小さな島へ足を運んだ。その時々にさまざまな思い出がある。
ペレックほどの規模ではないが、私自身もアメリカで友人・知人の両親などに移民当時の思い出についてインタビューを試みたこともあった(その一端は、拙書『国境を越える労働者』岩波書店、1991年にも記した)。こうしたインタビューは原体験として、その後のフィールド調査の際に役立つことが多かった。アメリカ移民史に多少なりと首を突っ込んだ者には、ペレックの著書に掲載されている写真の多くは、大変なじみ深いものである。私自身、掲載されている写真のほとんどは見た記憶がある。それもそのはず、古い写真は、ほとんどが著名な写真家ルイス・ハインによって撮影されたものだからだ。ルイス・ハインについては、このブログでも紹介している(「移民の情景」)。
本書にも記されているように、アメリカへやってきた移住希望者の誰もが入国を許されたわけではなかった。病気の保有者(特に、トラコーマなどの伝染性の病気)、犯罪者、政治的・思想的に問題ありとされた者など、移住者の2パーセント近い人々、数にして25万人は、入国を許されず、送還された。時には識字テストという英語を母国語としない移民にとっては、恐怖そのものともいえる障壁が待ち構えていた。
長い船旅の後に疲れ果ててエリス島に上陸した移住希望者が、いかに不安と恐怖に苛まれ、この島での短い時間を過ごしたことか。20歳の夫婦と1歳の子供が数ヶ月をかけて着の身着のままで、ロシアからやってきて、エリス島の検疫で夫だけがトラコーマの疑い(結果は無事)を受け、隔離された話なども、インタビューに出てくる。彼らが到着したアメリカ大陸は、ヨーロッパとの比較において決して富裕な地ではなかった。多くの移民たちの前には、しばしば過酷な生活が待ち受けていたのだった。アメリカへやってきた人々の多くは、それぞれに重い過去を背負っていた。その後、努力や幸運に恵まれ、アメリカン・ドリームを実現できた人もいないわけでないが、多数の人々は「希望の国」のイメージにはそぐわない厳しい現実と対決しなければならなかった。
移民問題を考える折に
近年、グローバル化の進行によって国境の存在が次第に希薄化する反面で、民族や人種への関心が高まっている。インターネットに代表されるIT技術の発達は、「国民国家」の基盤を根底で揺るがしている。IT革命は、一人一人の人間を国境の存在を意識させずにむすびつけている。われわれの想像を超えて、国家の枠組みは揺らいでいるのだ。しかし、グローバル化の進展は単純ではない。IT技術の発展などに伴い、経済活動の画一化が進む反面で、国民国家への関心とは異なった次元で、民族や宗教への関心や帰属を強めている。市場主義は直線的には進まない。すでに、グローバル化への反対や警戒はいたるところに表明されている。
日本では失業率が高水準のままに推移し、顕著な改善の兆しを見せないにもかかわらず、中・長期的には労働力不足が深刻化することが懸念されている。「3K労働」の名で知られる低熟練分野で働く日本人が減少している。他方では、拡大するハイテク産業での技術者・専門家の不足も課題となっている。一部には、日本も定住移民を受け入れるべきだとの提言もある。しかし、この問題は単なる労働力不足あるいは国の活力低下といった観点から安易に選択されるべきものではない。多くの国民的議論が必要だろう。『エリス島物語』は、アメリカという移民大国がたどった歴史の断片を、生き生きと伝えてくれるとともに、移民が抱える問題がいかなるものであるかを現代に生きる人々に語りかけている(2000/11/03記)。
旧ホームページから転載
20世紀前半までにアメリカへ移民した多くの人々が、決して忘れることのない場所のひとつがエリス島である。ニューヨーク、ハドソン河口に位置するこの小さな島は、1892年から1924年にかけてアメリカへ移民を志した1600万人近い人々が通過した、いわば新大陸の入り口であった。ここに連邦諸機関が移民の受け入れセンターを設置していたためである。その意味で、アメリカ人の多くを見えない糸でつないできた一点といえるかもしれない。アメリカへの移民の原点ともいえる場所である。
移民たちが新世界に希望を求めて、長い船旅の後にたどり着いたのが、この小さな島であった。一等先客などの恵まれた移住者は、船上で入国許可などの手続きを受けることが多かったので、受け入れセンターを経由した者は、三等船客として不衛生きわまりない船底で過ごした人たちである。彼らは旧大陸であるヨーロッパに絶望し、あるいは見放されて、ようやくアメリカにたどり着き、その後の人生のすべてを新大陸での生活にかけたのである。
エリス島の果たした役割については、すでに数多くの書籍、写真集などの形で残されている。しかし、ここに紹介するジョルジュ・ペレック(酒詰治男訳)『エリス島物語:移民たちの彷徨と希望』青土社、2000年(原著はフランス語で1994年出版、英語版もある)は、類書とかなり赴きを異にしている。ヨーロッパ大陸での貧困、飢え、迫害などを逃れ、新天地アメリカにたどり着いた移民たちとのインタビューを中心に、史実の記録を織り交ぜた異色のドキュメンタリー小説ともいうべき作品である。もともと、本書は作者が加わった映画の台本を基礎に生まれたものであるだけに、多くの印象的な写真を含め、最初から読者を飽かせることがない。アメリカ移民史に多少なりと関心を抱く者は、たちどころに引き込まれてしまうだろう。
訳者あとがきによると、著者ペレックの両親はフランスに移民したイディッシュ語を話すポーランド系ユダヤ人であり、第二次大戦で父親は戦死し、母親はアウシュヴィッツの犠牲者となったという重い過去を背負っている。戦争孤児となったペレックは、精神的にも孤独な境遇の中で彷徨する人間となったのである。その思い入れもあってか、本書はエリス島について書かれた他の書籍とは、異なった魅力を持っている。エリス島は、私自身も移民労働に関心を持つようになってからは、ニューヨークに行く機会があると、磁石に引かれるように、この小さな島へ足を運んだ。その時々にさまざまな思い出がある。
ペレックほどの規模ではないが、私自身もアメリカで友人・知人の両親などに移民当時の思い出についてインタビューを試みたこともあった(その一端は、拙書『国境を越える労働者』岩波書店、1991年にも記した)。こうしたインタビューは原体験として、その後のフィールド調査の際に役立つことが多かった。アメリカ移民史に多少なりと首を突っ込んだ者には、ペレックの著書に掲載されている写真の多くは、大変なじみ深いものである。私自身、掲載されている写真のほとんどは見た記憶がある。それもそのはず、古い写真は、ほとんどが著名な写真家ルイス・ハインによって撮影されたものだからだ。ルイス・ハインについては、このブログでも紹介している(「移民の情景」)。
本書にも記されているように、アメリカへやってきた移住希望者の誰もが入国を許されたわけではなかった。病気の保有者(特に、トラコーマなどの伝染性の病気)、犯罪者、政治的・思想的に問題ありとされた者など、移住者の2パーセント近い人々、数にして25万人は、入国を許されず、送還された。時には識字テストという英語を母国語としない移民にとっては、恐怖そのものともいえる障壁が待ち構えていた。
長い船旅の後に疲れ果ててエリス島に上陸した移住希望者が、いかに不安と恐怖に苛まれ、この島での短い時間を過ごしたことか。20歳の夫婦と1歳の子供が数ヶ月をかけて着の身着のままで、ロシアからやってきて、エリス島の検疫で夫だけがトラコーマの疑い(結果は無事)を受け、隔離された話なども、インタビューに出てくる。彼らが到着したアメリカ大陸は、ヨーロッパとの比較において決して富裕な地ではなかった。多くの移民たちの前には、しばしば過酷な生活が待ち受けていたのだった。アメリカへやってきた人々の多くは、それぞれに重い過去を背負っていた。その後、努力や幸運に恵まれ、アメリカン・ドリームを実現できた人もいないわけでないが、多数の人々は「希望の国」のイメージにはそぐわない厳しい現実と対決しなければならなかった。
移民問題を考える折に
近年、グローバル化の進行によって国境の存在が次第に希薄化する反面で、民族や人種への関心が高まっている。インターネットに代表されるIT技術の発達は、「国民国家」の基盤を根底で揺るがしている。IT革命は、一人一人の人間を国境の存在を意識させずにむすびつけている。われわれの想像を超えて、国家の枠組みは揺らいでいるのだ。しかし、グローバル化の進展は単純ではない。IT技術の発展などに伴い、経済活動の画一化が進む反面で、国民国家への関心とは異なった次元で、民族や宗教への関心や帰属を強めている。市場主義は直線的には進まない。すでに、グローバル化への反対や警戒はいたるところに表明されている。
日本では失業率が高水準のままに推移し、顕著な改善の兆しを見せないにもかかわらず、中・長期的には労働力不足が深刻化することが懸念されている。「3K労働」の名で知られる低熟練分野で働く日本人が減少している。他方では、拡大するハイテク産業での技術者・専門家の不足も課題となっている。一部には、日本も定住移民を受け入れるべきだとの提言もある。しかし、この問題は単なる労働力不足あるいは国の活力低下といった観点から安易に選択されるべきものではない。多くの国民的議論が必要だろう。『エリス島物語』は、アメリカという移民大国がたどった歴史の断片を、生き生きと伝えてくれるとともに、移民が抱える問題がいかなるものであるかを現代に生きる人々に語りかけている(2000/11/03記)。
旧ホームページから転載