時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

ライブドア・フジテレビ事件の先にあるもの

2005年02月25日 | グローバル化の断面
 2月になって突如としてマスコミの舞台に登場したライブドアとフジテレビジョンの経営権をめぐる争奪は、第3者としてみると、きわめて興味深い問題を含んでいる。巨大メディアグループと新興メディア、両者の基本的な考え方の相違、旧世代と新世代の対立を象徴するような当事者の対応、服装、話し方など、ある程度は映像化を意図した対応とはいえ、大変面白い。ついに日本も「株主主権論」の本格的洗礼を受けることになったのかという思いもある。両者、虚々実々の策略を尽くしての展開となっているが、私の関心はそれを超えたところにある。
 事態はニッポン放送がフジテレビジョンを割当先とする巨額の新株予約券を発行する事実上の増資を打ち出したことで、新しい局面に入った。ライブドアは2月24日新株予約権発行を差し止めるための仮処分を東京地裁に申請し、抗争の舞台は司法の場へ移りつつある。仮処分申請を受けた東京地裁は、「企業価値」を維持するためなら支配権の維持や争奪を目的とした新株発行が認められるか、同放送にとってフジと親密な状態の方がなぜライブドアと提携するより「企業価値」が上がるのか、といった点について裁定を下すことになる。会社法の専門家などは、どちらに転ぶか分からないと態度を留保しているが、実際にも新たな判例を築くことになる。コーポレートガバナンス(企業統治)上の最大の課題に裁定を下すことを意味しており、起こりうる将来の問題を考えると、司法の判断はきわめて重いものとなろう。
 興味があるのは、裁判所が「企業の価値」をいかなるものと考えるかにある。きわめて簡潔にいえば、「企業の価値」は狭く考えれば、株主の観点からする企業の評価である。長年にわたり蓄積された配当と株式評価の結合したものといえる。
 業績を上げていない役員を敵対的なビッドで取り替えるとか、競争的な脅威を与えることで経営者に圧力を加えることは、産業組織論でいうコンテスタビリティ(新規参入圧力の維持)の観点からはうまい方法であるかもしれない。しかし、日常の経営者の動向を監視するには適当とは思われない。取締役会で監視する方が効果的である。しかし、取締役会もたやすくコンテスタビリティを失ってしまう。というのは、理論上、監視する者と監視される者の目標が同じだからである。
 現代の大企業では、株主以外の利害関係者、ステークホルダーが多数関与している。そうした状況で経営者が株主を最上位に置くことは他のステークホルダーの利害を損なうことにもなる。とりわけ、日本企業のひとつの特徴である経営者層と従業員層が連続的な状況において、ある日突然経営者が入れ替わり、新しい経営指針やシステムが導入されることについて、従業員はいかなる反応を示すだろうか。攻めるライブドアは現在の経営陣より、もっとうまい事業拡大の道があるといい、守る側のフジテレビは社員の大多数は現状を維持することを支持していると主張している。仮に経営陣が入れ替わるような事態が発生するとしたら、従業員はいかなる対応をみせるだろうか。双方、それぞれの思惑があり、本音のところは見えていないが、今後の展開は日本の労使関係に転換をもたらすものとなるかを占う上で十分注目に値する。
コメント
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