前回取り上げた「クレイドル・ウィル・ロック」の焦点は、同名のミュージカルが当時の非米活動(反アメリカ的活動)にあたるとされ、非米活動委員会の命令で突如上演禁止となる点にあった。「赤狩り」ともいわれるこの悪名高い委員会は、アメリカの多くの知識人・文化人を窮地に追いつめ、多数の犠牲者を出した。
記憶に刻まれた映画
この委員会に関連して、私にとって今に残る一本の映画がある。「陽のあたる場所」(A Place in the Sun)という作品だが、この映画を実際に見た人は今ではきわめて少ないだろう。なにしろ、1951年の作品なのだから。私も実際に見たのは、高校生時代が最初で、その後、銀座の名画座で60年代中頃だったろうか、英語の習得を兼ねて2ー3回は観た記憶がある。
原作はセオドア・ドライサーの『アメリカの悲劇』であり、この原作は高校時代に英語の担任であったT先生に勧められて『シスター・キャリー』に続いて読んだ。大部な小説でひどく骨折った記憶が残っている。辞書からの訳語の書き込みでページの余白がなくなるほどだった。今思うと、なぜこんな難しい作品を読ませたのかと思うのだが、不思議と苦労したものほど後になって思い出すことになっている。同じ時期に読んだ『オー・ヘンリー短編集』などと併せて、英語そしてアメリカ社会を理解する重要な手引きとなった。
社会主義的思想の作家
セオドア・ドライサー(1871-1945)は、インディアナ州の貧困な家庭から身を起こし、新聞記者、フリーライター、編集者などの仕事をしながら、アメリカ社会を鋭く観察した小説を残した。処女作は『シスター・キャリー』(1990)で、その後1925年の『アメリカの悲劇』 によって作家としての地位を不動のものとした。しかし、アメリカ社会のさまざまな運動にも加わり、共産党員であったこともある。
アメリカン・ドリームとその陰影
映画化は二度目であり、1951年の2作目は円熟したジョージ・スティブンス監督によって制作された。題名に『アメリカの悲劇』を採用し なかったのは、反米映画とみなされることを恐れたからといわれる。
筋書きは単純である。企業家として成功し、シカゴに大企業を経営する叔父を頼って中西部の田舎から出てきたまじめな青年ジョージ(モンゴメリー・クリフト)が、工場で働くうちに上流階級の娘アンジェラ(エリザベス・テイラー)と恋に落ちる。ところが、ジョージにはすでに工場で知り合った娘アリス(シェリー・ウインタース)がいて、彼女は妊娠していた。しかし、美しいアンジェラを前にして、ジョージのアリスへの愛はさめてしまっていた。ジョージは叔父のおぼえももめでたく、出世の階段をトントン拍子にかけ上っていた。アンジェラ との将来も開けてきた。 ジョージは、ラジオでふと耳にしたことをきっかけにアリスを殺害することを思いつく。そして、ある日アリスを森の中の湖のボート遊びに誘う。湖上で別れ話を持ちだしかけた時に、思いもかけず、ボートが揺れ、アリスは湖中に転落、溺死する。 裁判で、ジョージは事故死を主張するが、神父の一言に「心の中でアリスを殺していた」ことを思う。そして、電気椅子へと向かうのである。(この映画のことを考えると、どういうわけか、1969年7月18日ケネディ大統領の弟、エドワード・ケネディ上院議員が深夜、チャパキディック島に架かる橋で自動車事故を起こし、助手席に乗っていた秘書メアリー・ジョー・コペニクが死亡した事件を思い出してしまう。同上院議員は懲役2ヶ月(執行猶予付き)の判決を受けた。)
アメリカ資本主義の原風景
最初に映画を見た頃は、今ほどアメリカについての情報が豊かではなく、映画が提供してくれる情報はとても貴重なものであった。アメリカ資本主義の興隆期ともいうべき時代を背景にしたこの映画は、私にとっては大変影響力があった。田舎出の青年ジョージ(実在のモ デルが存在したといわれる)が野暮ったい身なりで叔父の会社を尋ねる光景、発展の途上であったシカゴのビルの林立、叔父の経営する工場の風景、そこに形成されていた上流階級の隔絶されたような社会、そしてその象徴がアンジェラであった。エリザベス・テイラーは 当時19歳、上流階級の令嬢というのは、こういう人かと思わせる美しさであった(その後、8回も離婚したとは信じられない)。対するジョージは、心理的にも屈折した弱々しいところがある青年だが、モンゴメリー・クリフトは実に巧みに演じていた。まだ、大型車が流行 していた頃、ジョージが乗る大衆車とアンジェラの乗る高級車の対比がいかにもアメリカらしかったのを覚えている。そして、アリスを演じたウインタースという女優の巧さは、後になるほどわかってきた。エリザベス・テイラーの引き立て役だったのに、役柄に徹していた。
アメリカを考える手がかりに
原作は社会派ともいうべき内容なのだが、映画は貧困から身を起こした青年が、成功にもう少しというところで、暗転、挫折するというアメリカ的なメロドラマ構成である。しかし、この時代のアメリカの一面が実に生き生きと描かれていた。あのモノクロの写真がなんともいえず、忘れがたい。映画は監督、脚本など6部門でアカデミー賞を受賞、ゴールデン・グローブ賞でも作品賞を受賞した。監督、主演男優、女優ともに絶頂期の作品であったといえる。その後、間もなく、アメリカに行くことになった私にとって、『陽のあたる場所』 はいつの間にか、アメリカ社会を考えるひとつの重要な手がかりとなっていた(2003年8月5日記)。
旧ホームページから一部加筆の上、転載。