時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

ラ・トゥールを追いかけて(2)

2005年02月26日 | ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの部屋

ラ・トゥールを追いかけて(2) 

  4月号の美術雑誌は予想したとおりだが、ラ・トゥール特集が目立つ。間もなく開幕の国立西洋美術館「ジョルジュ・デ・ラ・トゥール展」は、さぞかし盛況だろう。17世紀、近世への変わり目、不安と激動の中に生涯を送ったこの画家の作品は、同じ悩みを抱える現代人にとって大きな癒しの源となりうる可能性を秘めている。他方、前回記したが、この画家の作品鑑賞には静謐な時間と空間が欠かせない(難しい悩みだ)。

「再発見された」画家
 ラ・トゥールは、その作品の発見・確認まであまりに長い空白の時期があったこともあり、謎の画家、神秘な画家などといわれてきた。1652年に画家がこの世を去ってから、350年を超える年月の間、ほとんど注目されることなく闇に埋もれていた。

 1915年、ドイツの美術史家ヘルマン・フォスによって、ナント美術館所蔵の夜の光景(「聖ヨセフの夢」、「聖ペテロの否認」)、レンヌ美術館の聖誕図がラ・トゥールの手になるものとする、いわば「再発見」がなされるまでは、美術史の表舞台から消えてしまっていた。これ以前には、ほとんど記述や言及がなかったのだ。しかし、この発見の後、画家およびその作品についての探索、研究は急速に進み、この希有な画家と作品は、現代のわれわれの前に次第にその輪郭を現すようになった。

 1972年のオランジュリー展を契機に私がラ・トゥールに関心を抱くようになってからも、96年のワシントン、97年パリ(グランパレ)など大規模展が開催され、いくつかの新しい作品の発見や文献考証が進んだ。今では17世紀、同世代の画家と並ぶほどの知見が得られるまでになっている。

 X線(auto radiography)や化学分析を駆使してのデッサンや修正の跡あるいは顔料の検討など、科学的手法による作品年次の確定も細密に行われるようになった。 しかし、後にルイXIII時代、「王の画家」とまで名乗った芸術家であれば、しばしば残っている画家としての修業過程、作品についての考え、他の画家との交際、旅行日記など、画家としての中心的部分がうかがえる史料の類は、ほとんど見いだされていない。

 模作、贋作といわれるものも多く、主題の神秘性とあわせて、この画家を長らく謎に包まれた存在としてきた。それでも、近年は新しい作品や資料発掘が進み、画家の人生についての輪郭もかなり明らかになった。これまでのラ・トゥール研究の流れを一人の鑑賞者としてみると、文字通り画家の生涯とその作品双方についての探索・発見の過程が今日まで続いてきた。 

  手元に1巻のビデオ・カセット(*1)があるが、これは美術史家のエドウィン・マリンスがアシストしてラ・トゥール再発見の過程をたどったものである。こうしたビデオが作られるのも、ラ・トゥールの歩んだ人生、作品が多くの人の関心を惹きつける神秘的な部分を残しているからと思われる。ちなみに、このビデオを見た感想はコンパクトにまとまっているが、あまり新味はない。ただ、ラ・トゥールに関するわずかな古文書などがいかなる状態で保存されているかを知るには大変興味を惹く場面が多々ある。研究対象の史料自体がきわめて老朽化しており、これまでのような保存方式でこれから大丈夫だろうかと思わせる光景なども含まれている。美術史研究者が対する多大な困難がいかなるものを目前に見せてくれる。 

  最初ラ・トゥールの作品を見て直感的に感じたのは、ゲルマン的、北方系のつながりを思わせる深みと精神的な沈潜だった。これまで、ラ・トゥールについては、イタリアに修業に出かけたのではないかという推論やカラヴァッジョの影響を受けているなどの指摘がなされてきた。確かにカラヴァッジョ風(カラヴァジェスク)の明暗表現の影響が感じられないわけではないが、カラヴァッジョとラ・トゥールを直線的に同一の流れの中に位置づける見方には、なんとなく違和感を覚えてきた。

  それよりもラ・トゥールの作品には根底にゲルマン的、北方的な脈流がしっかり貫いているような気がしてならなかった。 この点について、近年コニスビー(*2)や田中英道氏(*3)が、ラ・トゥールにはゴシック的、ゲルマン的なヨーロッパの源流が流れていると指摘されているのを読んで、やはりそうかという思いがした。

  このブログでも記したが、70年代初めに、現在はドイツ側のザールブリュッケン郊外の友人宅にしばらく滞在し、ロレーヌの町や古城跡を訪ねた時の印象が未だ残像のように残っている。ロレーヌやアルザスは「外側のフランス」と呼ばれたこともあり、仏独の領地争奪の焦点となってきた。アルフォンス・ドデーの『最後の授業』の舞台である。

実感した闇の存在感
 ロレーヌを訪ねた時に、宿泊や案内役などベース・キャンプの役割をつとめてくれた友人の住んていたザールブリュッケン自体は、ドイツ鉄工業、石炭業を代表する町だったが、郊外はまったく別の世界だった。夜のとばりが下りると、不気味なほど深い森に吸い込まれるような暗闇の世界が展開していた。国境を隔てたフランス側も自然が支配するという意味では、あまり変わりはなかったと考えられる。 

 今ではドイツの食習慣もすっかり変わったようだが、当時は全体的に質素(といっても量や栄養バランスなどは十分)であり、一日の主要な食事(正餐)は昼食である家庭も未だかなりあったようだ。このときに、仕事場の近い父親や家族などは帰宅し、食事の前にはお祈りgraceがあるので、異邦人の私は最初大分面食らったことを記憶している。昼食の重みと比較すると夜食は軽食あるいはお茶を飲むぐらいで、子供は寝室に寝かされ、暗い灯火の下で大人たちだけが話をして、9時頃には就寝、早朝から働くという一日だった。日本と異なり、TV番組も充実していなかったので、ニュースを見るくらいだった。

 居間などの照明は暗く、日本の家庭の明るい照明に慣れていた私には、どうしてもっと明るくしないのかなと思ったほどだ。しかし、その後、フランス、イギリスなどにしばらく暮らす間に、これはドイツに限ったことではなく、ヨーロッパ全般にかなり共通しているのではないかと感じるようになった。日本に戻った時は、光度が高すぎてまぶしい感じがしたほどだった。 

 いうまでもなく、ラ・トゥールの生きた16世紀末から17世紀末の時代においては、闇の存在あるいはその重みは、現代とはおよそ比較にならないものであったろう。とりわけ闇が支配する森は狩りの場でもあり、なにか得体のしれないものが住んでいるかもしれない、底知れぬ恐ろしさを含んだ存在だった。

 その後、1980年代にはいってから、日独学術交流の縁でフランス国境に近いメトラッハにあるVilleroy und Boch社(日本人にも愛好家の多い陶磁器メーカー)の迎賓館に招かれ、宿泊したことがあった(最近は近代的に改築・改装されて同社の本社オフィスになっているようだ。画像は同ホテル・ダイニングルーム)。ザール川を臨むバロックの城館を継承した素晴らしい環境だった。夕刻到着したのだが、厨房の入り口にはその夕、客人たちにふるまうための山鳥、きじなどが無造作に置かれていた。まさに、ほんの少し前に森から猟師がとってきたという光景だった。そして晩餐はかつての獲物であった大鹿や熊などの剥製が壁面を飾った大広間で、蝋燭の光の下で繰り広げられた。

 窓の外は漆黒の闇、森の実在感をこれほど感じたことは、それまでなかった。森はながらく食料や燃料を供給する場でもあったのだが、その奥には神秘と恐怖が潜んでいた。灯火はまさに太古から続く深い闇の前には、わずかに手元を照らす存在にしかすぎなかったのだ。夜のとばりが下りてしまえば、森は魑魅魍魎が跋扈する世界に変わった。ましてや16世紀終わりから17世紀初めは、魔女狩りが荒れ狂った時期であり、時代の災厄や人間の罪悪の原因を、悪魔とその手先に求めようとした狂信的な風潮が現実のものでもあった。魔女裁判が終止符を打ったのは1682年の王令によってであった。 

  こうした時代にあって、森は太古の時代から続く深い闇を育んできた存在であり、その闇の深さに人々は、現代人が計り知れない畏怖の念も抱いていたに違いない。ラ・トゥールがその生涯のほとんどを過ごしたとされるリュネヴィルのあたりも、度重なる戦火で蹂躙されたが、森と漆黒の闇は、そこに生きる人々に畏怖と神秘を与え続けたと思われる。いたる所、煌々たる照明で照らし出される現代の闇とはおよそ異なった存在であったことは間違いない。

  それにもかかわらず、ラ・トゥールの作品は、混迷し先の見えなくなった社会に生きる日本人の多くに、癒しと行く末を考える何物かを与えてくれそうな気がしている。

Reference
*1 Georges de La Tour: Genius Lost and Found, with the participation of Edwin Mullins, written and directed by Adrian Maben, Public Media Inc., 1998.

*2 Philip Conisbee. Georges de La Tour and His World. National Gallery of Art, Washington; New Heaven and London: Yale University Press, 1997.

*3 田中英道「30年戦争の時代に闇を描いたラ・トゥール」『美術の窓』2005年3月。

Photo: Courtesy of Villeroy & Boch

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