リュネヴィルの豪族となった画家
引く手あまたのラ・トゥールの作品
1640年代、この頃までにラ・トゥールの画家としての名声は、疑いもなく確立されていた( たとえば、1644年11月16日、エティエンヌが代父をつとめた洗礼式の記録の中に、ラ・トゥールが「名高い画家」と記されている)。いまや「フランス王室付き画家」の称号を得るまでになった画家の作品は、ロレーヌばかりでなくパリにおいても貴族階級や商人などの富裕層を中心に人気の的となっていた。その結果、作品につけられる価格も急速に上昇していった。(近年、ラ・トゥールの作品についての人気が高まるにつれて、この謎に包まれた画家についての歴史的記録も少しずつ発掘されるようになった。)
今に残る記録から
いくつかの歴史的記録が、画家の人気のほどを示している。それによると、1643年1月29日、宰相リシリューの死後作成された財産目録の中で、このロレーヌの大家の作品は、ほぼ同時代の画家ヴーエやラ・イールによって、250リーヴルという高い金額に見積もられている。この作品の説明は「ラ・トゥールによる聖ヒエロニムスの絵画、縦5から6ピエ、横4ピエの大きさ、つや消しした金の額付き」というもので、その当時パリのリシリュー枢機卿の宮殿の「枢機卿の部屋」の衣裳部屋にあったものである。
この作品についての記述を検討すると、現在、ストックホルム国立美術館に所蔵されている「枢機卿帽のある聖ヒエロニムス」とも寸法が一致する。ラ・トゥールが1638-39年頃にこの「聖ヒエロニムス」を描き、「国王付き画家」の称号を得るためにリシリューに贈ったことは十分ありうることである。
同じ頃のナンシーのある財産目録の中に、「夜の情景マグダラのマリアの絵、額縁なし、見積もり額25フラン」という絵画が記載されているが、その作者の名については述べられていない・・・・・しかし、この絵は改めて、約20年後の1661年1月22日、商人セザール・ミルゴダンの遺産目録に「ラ・トゥール風に描かれた絵画、金の葉飾りつきの黒い木製の額縁入り」と記載されている。そしてこのミルゴダンの最初の妻は、1643年に死去している。時はほぼラ・トゥールの名声が確立された頃である。 富裕な商人であったミルゴダンがなんらかの理由で入手、所蔵していたものと思われる。
貴族階級がパトロンに
この1643年から死ぬまでの時期に、ラ・トゥールはリュネヴィル市から、アンリ・ド・ラ・フェルテ・セルテールへ贈るための絵画の注文を受けている。ラフェルテは1643年にマザランによってロレーヌの地方総督に任命されたが、教養ある芸術愛好家でもあった。彼は年始に贈り物として地方総督に贈られる大金よりも、ロレーヌの画家の作品を好んだ。こうして1645年、「われらの主の生誕を描いた絵」(ルーブル所蔵の「羊飼いの礼拝」か)を、ラ・トゥールは700フランという巨額の代金と引き換えに渡している。ラ・フェルテはいわばラ・トゥールのパトロンの一人だった。
ラ・トゥールの手になるものらしいと思われる別の絵画についての記録もある。リシリューの所有となっていた絵画とは別の「ロレーヌのラ・トゥールによる聖ヒエロニムス、額縁なし」という記述が、1644年8月23日のシモン・コルニュの遺産目録にある。今回は25ルーブルの値がつけられている。コルニュは国王付きの画家であり、婚姻を通じて画家ジャック・ブランシャールとも従兄弟の関係であった。
大地主となったラ・トゥール
ラ・トゥールは、画業を通して得た収入によって、リュネヴィルにおいて大地主となっていた。その点にかかわるひとつの資料が残されている。それは次のような内容である。
1646年、7月18日、その頃一時的にルクセンブルグに身を寄せていたものの、未だ権勢を保っていたロレーヌ公に宛てて、リュネヴィルの住人から嘆願書が出されている。内容は、特権を享受するラ・トゥールを含めた何人かのリュネヴィル市民を非難するもので、そのうちの何人かが、戦争や軍隊の宿営にかかわる負担への協力を拒否したと告発している。問題の嘆願書は、こうした公共の費用を負担しようしない人たちに対して次のように抗議する内容となっている:
「これらの修道僧、修道女はあたりいったいの耕地を所有しており、フールとシャルジェーの貴婦人たち、画家のラ・トゥール殿は、彼らだけで合わせて当該のリュネヴィルで見られる3分の1の家畜を所有しております。その人たちは、残りのリュネヴィルのすべての住人たちより多く、そこで耕し、種をまいております。・・・・・前述のシャルジェーの貴婦人とラ・トゥール(スパニエル犬とグレーハウンド犬を同じくらい多く飼い、まるでこの土地の領主であるかのように、種まきした畑の中で野うさぎを狩らせ、踏み荒らしだめにしてしまうので、人々にとって憎むべき人物です)はナンシーの総督殿下により、兵隊の宿舎の提供義務から免除されており、同様にすべての負担金の免除を得ています。」
リュネヴィルの大地主となったラ・トゥールや貴族の生活のイメージを彷彿とさせるものだが、抗議文であることもあって画家には大変厳しい内容である。広大な土地を所有し、あたかも領主であるかのごとく振舞う画家というイメージである。これが客観的な描写であるか否かは、分からない。告訴した農民はフランス国王とロレーヌ公という二重政治の狭間で高い税金を徴収され、困窮していた存在であった。他方、非難の対象となったラ・トゥールや貴族階級の婦人たちは、そうした状況においては、社会の上層部を占める存在であった。不安な環境での重い租税負担など、苛酷な生活状況に置かれていた農民にとっては、それらをよそ目に課税対象から除外されるなど特権を享受する貴族階級への反感はきわめて強かったのだろう。
Reference
Jacques Thuillier. Georges de La Tour, Flammarion, 1992, 1997(revised)
ディミトリ・サルモン「ジョルジュ・ド・ラ・トゥール:その生涯の略伝」『ジョルジュ・ド・ラ・トゥール』国立西洋美術館、2005年