郊外 banlieu
前回11月14日のブログで今回のフランスでの暴動について記し、シラク大統領の発言が少ないことに触れた。ド・ヴィルパン首相やサルコジ内相の発言がさまざまに伝えられる中で、これだけの事態に大統領がなぜ自らの見解を示さないのかという疑問があった。ブログに記したように、今から10年前、シラク氏が大統領就任直前に述べた内容からすれば、今回の危機についてもう少し踏み込んでの発言があってしかるべきだと思っていた。
国民に向けて大統領はやっと深部に触れる演説を行った。11月14日夜のテレビ演説で、シラク大統領は「どれだけの履歴書が名前や住所を理由にゴミ箱行きになっていることか」と述べ、はじめて郊外に住む移民の若者が直面する雇用差別の実態についてまで触れた。大統領はやはり問題のありかを知っていたのだ。 フランスはしばしば言葉の咲き栄える国である。大統領の演説には、印象に残るフレーズがちりばめられている。大統領就任前、「郊外」banlieuの荒廃について述べた時の言葉もそうであった。しかし、10年が経過する間に、状況は「非常事態」を告げるまでに悪化していた。
大統領演説では、暴動の背景にある問題に理解を示し、就職支援を約束する一方で、子供の監督を怠る親に対する制裁や不法移民対策への取り組みなど、硬軟双方の対応を提示した。
広く深く張りめぐらされた「雇用差別」の根
労働市場における「雇用差別」の根は深い。今後いかなる具体策が打ち出されるか明らかにされていないが、応募書類の段階で名前や住所によって、差別をすることを禁止する条例が出されたとしても、いかほどの効果を生むか定かではない。長年にわたって社会に浸透した差別の程度を減少させることがどれだけ難しいことかはすでに多くの実例が示している。いかにすれば企業や官公庁などの組織風土を平等が支配する場へと変化させることができるか。しかし、傍観することなく実施することは政治家の使命である。
大統領は具体的には、2007年に若者5万人を対象とした就職支援に着手することや、雇用差別の解消に向けて経済界や労働組合と協議することを約束した。 履歴書に移民と分かる名前や、郊外に住んでいることを示す住所が書かれているだけで就職面接に呼ばれないという差別の実態については、かねてから人権団体などが問題視していた。 アメリカのように、書類選考の段階で先入観にとらわれた差別が行われないように、応募書類に写真や住所などの記載を禁じた例もある(これは、これでまた別の問題を生むのだが)。
「見えない壁」「見えない国境」は
この「見えない壁」「見えない国境」の問題は、フランスばかりではなく、日本でもすでに存在する。派遣業者が仕立てた通勤バスでアパートから職場へ通い、ひたすら仕事をした後、再びアパートへ戻るだけの毎日という外国人労働者の実態は、すでに日本でいたるところに展開している。地域社会にいつの間にか、そこに長く居住する住民と外国人を隔てる「見えない壁」が生まれている。かつてインタビューの際に出会った日系1世の方が、母国へデカセギに来たが、「日本人の友達も少なく、東京へ行ったこともなく、社会生活ゼロの毎日です」と語ったことが、今でも思い出される。
いまや多くの人が口にするようになった「フリーター」や「ニート」の問題も、彼らに冷たく、受け入れを拒む社会に対する「マイナスの反乱」、「冷えた反抗」ともいえる部分がある。ヨーロッパ諸国ではながらく「若年失業」といわれてきた問題だが、日本はもっと早く対応していたら、これほどまでにはならなかったはずだ。フランスの暴動については他人事のような日本だが、実は底流にはかなり同じものが流れている。
Reference
http://news.yahoo.com/fc/world/france
『「フリーター」「ニート」から見えるもの』『朝日現代用語 知恵蔵2006』」
*非常事態法は2006年1月3日になって解除された。