時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

キルヒナーとベルリン時代(3)

2005年12月10日 | 絵のある部屋

 
Credits:
Ernst Ludwig Kirchner, The Drinker; Self-Portrait, 1914/16 Nuremberg, Germanisches Nationalmuseum (Left)

Ernst Ludwig Kirchner, Self-Portrait as a Soldier, 1915, Oberlin, Ohio, Allen Memorial Art Museum (Right)

  キルヒナーの研究者であるヴォルフ Norbert Wolf が形容したように、時代とともに、画家自身も「時の奈落の淵」On the Edge of the Abyss of Timeに立っていた。 キルヒナーの画風は、20世紀初め、世界の存亡をかける最初の大激変の時代に生きた画家として激しく変化している。ほぼ一貫しているのは色彩の使用が大胆、エネルギッシュで、迫力がある点であろう。とりわけ1905年から1918年にかけての時期は、画家として最も充実していたといえる。この間に画家は、ドレスデンからベルリンへ活動の中心を移している。

  特に、今回取り上げたベルリン時代は、この世界的な大都市の複雑でダイナミックな特徴を背景に、きわめて興味が惹かれる時期である。 キルヒナーはその生涯にかなり多数の画家の影響を受けている。作品を通してみると、どの画家の影響が強かった時期か、ほぼ類推ができる。とりわけ、ヴァン・ゴッホ、ゴーガン、セザンヌ、マティス、カンディンスキー、ムンク、あるいはアフリカン・アートなどの影響を強く受けている。ロイヤル・アカデミーの特別展にも出品されていたが、ジャポニズムの影響も受けたようで、ドレスデン時代の1909年には 歌舞伎の舞台を描こうとしたと思われる「日本の劇場」Japanese Theatre と題する作品を残している。(ドレスデンでの歌舞伎興行?を見ての作品らしい。しかし、この作品も見ているとエキゾティックという次元を超えて、不気味な感じが漂ってくるような気がする。)

危機と不安の中で
  1911年にベルリンに移ったキルヒナーは、この時代の先鋭さと大戦前の緊迫した状況から衝撃といってよい影響を受けた。ベルリンでは芸術の世界もきわめて競争的であるとともに実験的・前衛的雰囲気に満ちていた。この時期の作品は全体に重苦しい陰鬱さと複雑さに満ちている。特にベルリンの街路の光景を描いた一連の作品は、洗練された町並みの背後に潜む時代の緊張と恐れ・不安、そして退廃性を鋭く伝えている。これらは最もキルヒナーらしい作品といえるかもしれない。 

  1915年にキルヒナーはハレの砲兵師団に徴兵(最初は画家自身が「非自発的に」自発的応募したと表現している)されるが、まもなく心身ともに疲労、精神に異常を来たし、肺の疾患と病弱を理由に兵士に適さないと除隊を宣告される。キルヒナーは多数の自画像を残しているが、アブサンのグラスを前にした自画像は、やつれた容貌で、倒錯した生活を送っていたことを直感させる。ネグロイドの容貌で描かれ、アフリカン・アートの影響がうかがわれる。

心を病んで
  特別展の一番最後に配置されていた著名な「兵士としての自画像」は、軍隊生活経験後の精神的な苦悩を明らかに示している。キルヒナーの着ている軍服には所属した砲兵師団番号の75が肩章として記されている。背後のヌードは彼のよりどころである愛人と芸術へのこだわりを象徴しようとしたのだろうか。 あたかも切断されたような右手は、奪われつつある制作活動を象徴しているのかもしれない。形容しがたい不安と倒錯した感情が漂っている。

  この後、画家は精神障害が激しくなり、スイスなどで療養生活を過ごす。その間にいくつかのグラフィックな作品などを残している。しかし、ドレスデン・ベルリン時代のような卓越性と集中力は次第に褪せている。晩年の作品などは、一見するとムンクの筆になるものではないかと思わせるほどであり、キルヒナーらしい先鋭な個性が消えている。   

  ナチスから退廃的な芸術家とされ、ベルリン・美術アカデミーからも追放された。そして、作品は1937年の「退廃芸術展」に退廃的作品の例示のために出品された。これは、画家のナチス・ドイツにおける所在の否定となり、その後の挫折と1938年の自殺へとつながることになった。

  軍靴の響きは近づいていたのだが、ベルリン市民はほとんどそれに気づいていなかった。後で回顧してみれば、戦争が現実のものになるまでは、沈んだ時代を鼓舞するような響きさえ持っていた。しかし、作家でダダイズム詩人のメーリングWalter Mehringが感じていたように、ベルリンは「サーベルの音とともに、死が忍び込み、舞踏する都市」へと変化していた。
*

*Norbert Wolf, Ernst Ludwig Kirchner, Taschen, 2003

Jill Lloyd (Editor), Magdalena M. Moeller (Editor) Ernst Ludwig Kirchner: The Dresden and Berlin Years , The Royal Academy, 2003.


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