絶え間ない越境者:アメリカ・メキシコ国境*
もし、日本と中国が地続きになると、どんなことになっているか。ウエゲナーの大陸移動説**を持ち出すまでもなく、太古の昔、日本は大陸の一部であった。幸か不幸か、われわれは日本という島国に住んでいる。13億人と1億人の間の格差も大きい。今や世界の漁獲量の3分の1近くは、中国人の胃袋に収まっているそうだ。地続きであれば、当然人の移動も激しい。水が高きから低きに流れるように、すさまじい変化が起きているかもしれない。こんな夢想めいたことを考えさせる現実が、アメリカとメキシコの間には存在している。世界最大の先進国と中進国とはいえ、未だ発展途上の国が地図上の一線を境に地続きに併存している。
地平線はるかまで続く国境線。アメリカとメキシコ間につらなるこの国境を越えようとする人々は絶えたことがない。そして絶えず多くの問題を生んできた。今日のABCテレビによると、太平洋側メキシコ国境の町ティフアナからアメリカ国境を横断する730メートルのトンネルが発見されたという。すでにこうしたトンネルはこれまでに40カ所も見つかっているとのことである。
昨年12月30日、カリフォルニア州サンディエゴ近くの国境を越えようとした18歳のメキシコ青年がアメリカ国境パトロールに射殺された。パトロールは正当防衛とし、犠牲者は移民を商売とするコヨーテと呼ばれる人身密売業者だと述べた。メキシコのフォックス大統領は外交問題として取り上げ、事態の真相究明を要求した。他方、テキサス州では12月に国境パトロールのエイジェントがメキシコ国境側から撃たれたと伝えられている。
困難な不法入国阻止
こうした中、12月16日アメリカ下院は239対182でセンゼンフレナーJames Sensenbrenner (ウイスコンシン州共和党)議員提出の移民法案を可決した。新法は不法移民を重罪とし、(入国に必要な)書類不保持の入国者を雇用したり、入国の扶助をすることを罰し、3300キロの国境の3分の1以上に物理的な防壁、垣根を構築することを主たる内容としている。しかし、センゼンブレナー法案はブッシュ政権が支持していないので、上院を通過する可能性はほとんどないとみられている。
このブログで紹介したように、ブッシュ政権は、ゲストワーカー・プログラムと連携した厳しい法制の方向での新法導入をキャンペーンしている。ブッシュ案では推定で約1千万人くらいの不法滞在者に合法性を与える。その60%くらいはメキシコ人である。
法案は成立しない見込みなのだが、センゼンブレナー法案はメキシコを怒らせた。フォックス大統領は恥ずべき考えだとした。彼は移民は「英雄」であり、彼らはいかなることになろうと国境を越える道を探すだろうと述べた。
以前からメキシコはアメリカとの移民交渉に大きな期待をしていた。ところが、2001年9月11日の同時多発テロの勃発後、メキシコは国連安全保障理事会でイラクの戦争に反対の立場をとった。これを機にアメリカとの関係は冷え切った。だが、希望はいつも非現実的なのだとするメキシコ人もいる。メキシコ政府、特にルイス・デルベズ外務大臣は、冷たい状況をつくり出した責任を負うべきだという者もいる。デルベズは、主として個人的対立から前任者カスタネーダが描いた移民改革の構想を放棄してしまったからである。
ロビイングの不足
それ以上に、フォックス大統領の最大の過ちはワシントンで移民について、有効なロビイングをしてこなかったといわれている。力の入れようが、1993年NAFTA成立当時とは大違いといわれる。さらにいまや12人に一人といわれる在米メキシコ人のチャネルを活用しなかったことである。その多くは合法市民であり選挙権を行使できる。
メキシコとアメリカはNAFTAのパートナーとして実際には密接な関係ではある。しかし、ブッシュ政権の下で目に見えた移民改革を達成するチャンスはきわめて少ないと見られている。 メキシコ側にも大きな課題がある。ブッシュ政権が考えている新法の線でゲストワーカー・プログラムなどを前進させるためには、書類不保持者の移民についてメキシコがもっと努力しなければならないという政治的合意がある。しかし、7月のメキシコ大統領選挙を前に候補に上る政治家で、この問題をとりあげる者は誰もいない。メキシコ・アメリカの関係を損ねると自分の政治生命に直結するからである。
弱まらない供給圧力
しかし、移民問題は両国間の継続的な問題であることは変わらない。カリフォルニア、テキサスにつらなる障壁のために、国境を越えようとする者はアリゾナ砂漠の方に移っている。しかし、それで移民が阻止されたわけではない。2005年には約40万人が不法に国境を越えたと推定されている。そのうちおよそ90%がメキシコで仕事をしていた。アメリカ側では不熟練労働の賃率でもメキシコよりはるかに高いといわれる。NAFTAの成立でこうした格差はもっと縮小するはずであった。しかし、格差はほとんど縮まっていない。国境の南からの労働力供給がそれだけ潤沢なことを暗示している。
移民のあり方に地政学的条件がいかにかかわっているか。「国境」とは何なのだろうか。アメリカとメキシコの実態はさまざまなことを考えさせる材料に事欠かない。
Reference
*Shots across the border, The Economist January 14th 2005
本ブログ内関連記事
http://blog.goo.ne.jp/old-dreamer/d/20051223
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http://blog.goo.ne.jp/old-dreamer/c/79aebadb82fcec52279cb11733722d69
Note
2005年1月28日、メキシコ北部ティフアナからアメリカに向かって370メートルというトンネルが掘られていたことが発見された。本格的な掘削技術によるもので、組織的な麻薬密輸、密入国などに使われていたと考えられる。国境をめぐる実態が、きわめて複雑怪奇であることを示す例である。
「朝日新聞」2005年1月29日