時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

ラ・トゥールを追いかけて(52)

2006年01月03日 | ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの部屋

 
アルビ大聖堂全景
http://www.all-free-photos.com/show/showphoto.php?idph=IM3670&lang=en

「アルビの12使徒シリーズ」をめぐって(1)
  


  ジョルジュ・ド・ラ・トゥールという希有な画家の作品に、人生の途上でたまたま巡り会った。昨年の東京での特別展をきっかけに、それまで見聞してきた知見を含めて「覚え書き」のつもりで書き始めたシリーズだが、予想を超えて回数を重ねてきた。それは、この画家の作品と生涯が文字通り「発見の歴史」であったことにも関係している。作品の背景を調べていると、時代とともに次々と新たな発見がある。

  この「ラ・トゥールを追いかけて」
の旅は、単にラ・トゥールという長らく埋もれていた画家、そして作品についての知見の充実にとどまらず、画家の生き方について迫る旅のようなものであった。美術史上は文字通り歴史の闇の中から発見されたラ・トゥールだが、次々と新たな作品も発見され、当初は思いもかけなかった「昼の世界」の作品解明も進んだ。この画家の精神、そして作品世界の本質は、厳しい「闇」の中に埋もれているのだが、光はその深く沈んだ世界をわずかだけかいま見せるものとして、どこからともなく差し込んでくる。   

  この画家がいかなる思索の上に作品を構想し、制作したかというわれわれが最も知りたい部分について、画家自らの手になる制作記録、日誌、書簡などの類は、ほとんどなにも残っていない。しかし、世俗の世界における画家の生き様を推測させる記録が年を追って発見されてきた。だが、それらはあくまで画家の人生のわずかな断片を第3者が記録したものか、画家本人の世俗的生活のほんの一部に関わるものにすぎず、画家の心象世界を推測しうるものではない。   

  ラ・トゥールの作品は、それらと無心に対することによって、その深い精神世界をかなり享有することができる。画家がなにを心に描いて作品制作に当たったか。一度見た作品でも、後日再び見ると、思いがけない発見をすることもある。

「アルビの使徒」シリーズの背景  
  ラ・トゥールの作品をかなり見ている人々の間でも、必ずしも正当な評価を得ていないと思われる作品がある。「大工ヨセフとキリスト」、「生誕」あるいは「いかさま師」など、現代人にも大変人気のある作品の傍らで、やや取りつきがたい、しかしかなりはっきりとした特徴を持った一連の絵画がある。昨年、日本で初めての「ジョルジュ・ド・ラ・トゥール展」の開催動機となった「聖トマス」Saint Thomas を描いた作品もその中に含まれる。そのほとんどはキリストの使徒たちを描いた宗教的作品である。

  この宗教的背景ということもあって、東京での特別展でも「聖トマス」の人気度?はいまひとつであった(重要な使徒の一人なのだが、容貌が厳しく描かれている上に、手にしている槍が見る人にやや取り付きがたい印象を与えることも影響しているかもしれない)。

  他の作品の方が良く知られていたり、直接的に訴えるものがあるためと思われる。この点は、キリスト教文化により近接しているヨーロッパの人々などについても、かなり当てはまる。何人かの友人たちに聞いてみると、ラ・トゥールによって描かれた使徒たちの出自まで知っている人は、今日ではかなり少ない。  

  今回とりあげるのは、この「アルビの12使徒シリーズ」The Apostles Series in Albiと呼ばれるキリストと12人の使徒を描いた作品(ただし、後述するように全作品が現存するわけではない)である。制作年代としては、ラ・トゥールの生涯で比較的初期に描かれたと推定されている。 この作品群については、フランス博物館科学調査・修復センターの協力で、昨年の東京での特別展に合わせて、その研究成果の一部がDVDの形で制作・販売されている*。使徒シリーズのみならず、ラ・トゥールの生涯が最新の研究成果に基づき、大変コンパクトにまとめられている。この画家と作品に関心を持つ者にとっては、きわめて便利な一枚である。また、東京での特別展のカタログも「アルビの12使徒」シリーズについて、多くの情報を含んでいる**。それらも参考にしながら、改めて「12使徒シリーズ」を見てみたい。

まとまっていた作品  
  これらの作品は1690年代末にフランスの南西部にあるアルビのサント=セシル大聖堂に贈られた。大聖堂のCanon(司教座聖堂参事会員)であったニュアラールJean-Baptiste Nualardの要請で、大聖堂の内陣にある第6礼拝堂funeral chapelに掲げられたはずであった(次回に場所を記す)。パリの著名な収集家であったカン僧院長abbot François de Camps が、1694-1695 年にアルビに作品を贈ったとの記録がある。このシリーズのすべてをカン僧院長自らが所有したものか、他の収集家の所有であったかどうかは分かっていない。作品が制作された目的とか、1624-1694年の間の経緯については、今日の段階ではなにも分からない。 キリスト像を含めて13枚あったはずの作品の中で、5枚だけが真作として発見され、現存している。そのうち2枚は今日もアルビの美術館にある。

  原作があるのは、使徒の名前でいえば、Saints Andrew, James the Lesser, Philip, Judas Thaddeus, and Thomas である。コピーが残っているので、他の6枚の作品については構図が確認できる。しかし、Saint Johnと Saint Matthew については、どんな構図であったか分からない。しかし、ここへたどり着くまでには、失われた作品の発見を含めて、美術史家などの多大な努力が注がれてきた。それらを通して、なにが明らかになったのか。「アルビの使徒たち」の行方を少し追ってみたい。


Reference
* C2RMF-Centre de Recherche et de Testauration des Musées de France. (2005). Les Apôtres de George de La Tour: RÉALITÉS ET VIRTUALITÉS. Codex International S.A.R.I.
(日本語版 神戸、クインランド、2005). ちなみに、このDVD-ROMはDVDプレイヤーでは閲覧できず、Windows環境でしか使えない。

**
    「アルビ・シリーズ」の1枚である「聖トマス」が、国立西洋美術館の所蔵になったことをきっかけに開催されたこともあって、下記特別展のカタログには、このシリーズについて、簡潔だが最新の情報が含まれている:
国立西洋美術館『ジョルジュ・ド・ラ・トゥール』読売新聞社、2005年

コメント
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