「山の彼方の空遠く、幸い住むと人のいう・・・・・」
たまたま見たBS1テレビで、「もうひとつのファイナル」The Other Final という感動的な映画に出会った。2002年6月30日、あのFIFAワールドカップの決勝戦が横浜で行われた当日、アジアのブータンで世界の最下位を決める試合が行われた。アジアの小国ブータンとカリブ海の火山島であるモントセラトの対戦であった。FIFAランキングではブータンは202位、モントセラトは203位にランクされていた。寡聞にして、こうした試合が行われたことも、その記録がこれほどすばらしい形で残されたことも知らなかった。
日本で行われた決勝戦は、見応えのあるものであったが、見ようによってはスポーツのグローバリゼーションの一大商業的ページェントといってもよいものであった。他方、「もうひとつのファイナル」はスポーツの純粋さ、あるべき姿という点では、はるかに感動的なものであった。試合に投入された金額でも、精神的純粋さ・感動度という点でも、両極に対していたかもしれないと思われるほど異なっていた。この番組を見ながら、現代社会における「富」と「幸せ」の問題を再度考えてしまった。
総国民幸福度GNH
「もうひとつのファイナル」の舞台となったブータンは、この難問を提示した国であった。ブータンの現在の王であるワンチュク Jigme Singye Wangchuk は、国民の幸福度を測る尺度として、GNP(Gross National Products: 総国民生産物)とは異なるGNH(Gross National Happiness、総国民幸福度)を提示した人物であった。
時に、あの文明から遠く離れ、秘境ともいわれた「シャングリラ」にもたとえられるこの国は、人口が推定90万人くらいの小国である。中国とインドという大国の間に押しつぶされるように存在し、1949年以来、インド寄りの政策方向をとっている。1999年まではテレビもなく、人々は伝統衣装をまとっている。 現在の王は1972年に王位を継承し、今日にいたっている。即位の時にも GNHを重視する方向で進むことを明らかにしている。
科学では測れないGNH
ブータンの指導者たちはこの尺度が「科学化」されて具体的数値として測定されるという方向には懐疑的であった。しかし、こうした思いとは異なり、国連開発プログラムの人的開発指数 human development index などの形で「幸福度」を測ろうという試みがすでに具体化し、進行してきた。ちなみにこの指数では、ブータンは177カ国中で134位である。
しかし、グローバル化の波はこの秘境にも例外なく押し寄せている。2003年にはケータイも入ってきた。交通信号が設置されるのも時間の問題となった。まだ、ハイウエイは文字通り1車線である。しかし、インターネットはこの国も例外にはさせていない。人々は日々せわしなくなり、物財を追い求めるようになっている。
ノスタルジャの尺度か
Gross National Happinessは、所詮ノスタルジャの表現にすぎないのだろうか。近代化によって失われるかもしれないことについての警告信号なのだろうか。 ブータンに住む人はいう。「10年前に設置された電灯は煙ったいケロシンランプよりずっといい。泥道の山を歩くよりバスはずっといい・・・・・・」*。
Reference
The Other Final: Bhutan v. Montserrat
映画 オフィシャル・サイト HP
http://www.theotherfinal.jp/
*
'The pursuit of happiness', The Economist December 18th 2004
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http://blog.goo.ne.jp/old-dreamer/d/20051226