フランスのCPEをめぐる学生、労働組合などのプロテストは、当初予想しなかった形で幕引きとなった。シラク大統領、ド・ヴィルパン首相側が提案を全面撤回したことで、学生側は勝利を得たかにみえる。しかし、彼らはなにを得たのだろうか。
昨年の「郊外暴動」に続く、今回の「若者たちの反乱」でいかなる前進があったのか。政府側は事態を打開するために、CPEを取り下げるとともに、若者の訓練プログラムと若者を雇用した企業への助成金給付を中心とする旧来型の施策で対応した。しかし、これが綻びを取り繕っただけであることは説明するまでもない。
デモに道を譲った議会制民主主義
将来に不安を感じた若者がデモに走ったことは理解できるが、新たに多くの難問が生まれ、今後に大きな課題を残した。とりわけ、れっきとした議会制民主主義の道がありながら機能せず、衝動的で振幅の大きな学生主体の運動によって、本来の道が拒否されてしまうという動きは、いかにもフランス的ではある。しかし、社会的に鬱積した不満が、ことあるごとにこうした形で噴出するのは好ましいことではない。このところ、この方向が定着しつつあるかにみえる。
9週間にわたった政府側の対応は、傍目にも右往左往していた。CPEの導入プロセスはいかにも拙速であった。エリート主導型政治の悪い側面が不要な反発を招いたところもある。議会での十分な検討、新制度の持つ意味のPR、学生、労使など関係者の合意形成など、いずれも不徹底であった。学生を含めて多くの人は、紛争が大きくなって初めて、CPEなるものが含む意味に関心を持つようになった。
消えてしまった政策評価
残念だったことは、肝心の政策討議と評価が冷静に行われなかったことである。TV報道で、CPEの検討に当たった経済諮問委員会のエリック・コーエン氏が述べていたように、政府側はこれを最善の施策と考えていた。こんな結果になるとは思ってもいなかったようだ。
資本主義社会での失業が避けがたいとすれば、その重荷を誰が背負うかが問題になる。フランスやイタリアでは公共部門を中心に雇用保障が手厚い。そのしわ寄せは労働市場の入り口にいる若者や女性などに集中しかねない。フランスの労働市場の最大の問題は、単純化すればその二重性にある。すなわち、居心地良くしっかりと雇用を保護されている公的部門を主とする長期雇用部門(インサイダー)と対極に置かれた流動的で雇用保障が薄弱な部門(アウトサイダー)である。この特徴は、多くの先進国に共通してみられるが、フランスの場合は明暗がかなりはっきりしているようだ。
若年者失業の重み
失業が不可避だとしても、その負担が若者や女性などに重くかかってくる状況は決して望ましくない。教育の過程を終えて、「大きな希望と少しの不安」を持って仕事の世界(労働市場)に向かう最初の段階で襲いかかる冷酷な試練は、社会経験を積んだ中高年者が受けるものとはかなり異なる。しばしば、その後の人生にマイナスの衝撃を与え、大きな社会的損失になりかねない。「若年失業」youth unemploymentと呼ばれるこの問題への対処は、1970年代の石油危機以降、ヨーロッパの労働市場の大きな課題であった。しかし、その後の怒濤のごときグローバル化の展開は、内在する問題を包み隠していた。
今回の失敗で、フランスの雇用改革は一段と難しくなった。来年の大統領選挙は、確実に「社会モデル」の内容を問うものとなる。雇用政策を中心とする労働市場の改革は、その中心部分を占めることになる。しかし、理念の上では多くが語れても、実効性ある施策を提示することは、かなり困難である。提案いかんでは、再び不満が噴出することになりかねない。
今回の「若者の反乱」はフランス以外の国にとっても、「対岸の火事」ではない。発祥の地であるイギリスでは知る人が少ない「ニート」NEETとか、英語の辞書にもない「フリーター」という妙な言葉が広まってしまった日本だが、若者は総体におとなしい。彼らは現状に満足しているのだろうか。それとも冷めてしまっているのか。「物言わぬ若者」、「怒らない若者」は「静かな反乱」をしているのかもしれない。政治の責任の重みを改めて思う。
Reference
"A Tale of two France" The Economist, April 1st, 2006.
Note
NHKの『クローズアップ現代』が4月12日、「フランス:若者たちの反乱」と題して紹介をしていた。しかし、掘り下げが足りないし、放送されたときには現実は先に進んでしまっている。番組編成まで時間がかかるのだろうが、これではとてもインターネット時代に対抗できない。在仏の方々のブログの方が、はるかに迅速かつ多様な側面を伝えてくれた。あまりに多数あるのでサイト名まで記しきれないが、状況を理解するには十分な情報量であった。とりあえず感謝の念を記しておきたい。