時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

ラ・トゥール「占い師」をめぐる論争

2007年06月18日 | ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの部屋

    たまたま見たBSハイビジョン「ニューヨークまるごと72時間」(6月16日)なる特別番組の一部で、メトロポリタン美術館の紹介がされていた。同館の17部門それぞれで、学芸員が3点を紹介していた。ヨーロッパ絵画部門では、フェルメールなどの作品が取り上げられていた。  

  フェルメールの作品も多数アメリカへ流出した。国外貸し出しをしないので、アメリカへ行かねば見られないものがある。その典型例が、ニューヨークのフリック・コレクションが所蔵するフェルメールの3枚である。このコレクションは、作品を館外貸し出さないことを方針として堅持している。また、メトロポリタン所蔵の「眠る女」もかつての所有者ベンジャミン・アルトマンが、遺贈に際して館外に貸し出さないことを条件としているので、門外不出である。

  この点、このブログで記したラ・トゥールの場合もきわめて似た状況である。フェルメールの上記作品ほど厳しい条件はないが、海外へはなかなか出展されなくなった。ちなみに、このBSの番組では、ラ・トゥールの作品については「二本の蝋燭のあるマグダラのマリア」が紹介されていた。

  少し残念だったのは、メトロポリタンが所蔵しているラ・トゥールのもう一枚「占い師」
が紹介されなかったことである。この作品、17世紀に制作されてからメトロポリタンへたどり着くまでの経緯が、かなりのいわく付きでなかなか面白いのだ。この画家とのつき合いも長くなり、一枚の作品についても、きわめて多くのことを知ることができるようになった。

  作品「占い師」については、メトロポリタンが取得してから真贋論争を含めて多くの議論の対象となってきた。真贋問題についても研究書が出ているほどだ。メトロポリタンの学芸員ファイルも他にあまり類がないほど大変分厚いものとなったようだ。その点について少し触れると、この作品がアメリカへ流出してから、メトロポリタンは贋作(forgery)をつかまされたのではないかという議論が起きた。

  なにしろそれまで長らくこの画家の「夜の作品」世界に親しんできた人たちには、「占い師」や「いかさま師」の発見は、驚天動地?ともいうべきものであった。いくら画家の署名もあるではないかと言われても、主題からしていかがわしく見えて信じがたい。加えて、この驚くべき作品が、いつの間にかアメリカへ流出してしまったとなると、フランス人としては心中あまり穏やかではないのだろう。大西洋を挟んで、新旧大陸研究者間の論争ともいうべき側面も生まれた。

  作品の真正さについての議論は、1960年に同館がこの作品を取得してまもなく始まった。ひとつの例をあげてみたい。メトロポリタンの購入時の来歴記録(provenance)は、かなり簡単なものであった。論争は、ひとつには描かれた人物の着ている衣装の当該時代との関連性と、その一部に書き込まれていた汚い用語(merde)をめぐって展開した。これは贋策説を主張する人たちには格好の論拠となった。そして、作品の理解や画家の品性にかかわるという議論にまで展開した。しかし、それにもかかわらず、この作品が、ラ・トゥールの手になるものであるという評価は揺るがなかった。

  1981年にメトロポリタン美術館は、作品の赤外線調査、顔料のサンプル分析などの結果を含めて、この作品の真正さについて、説得力のある回答を提示した。要約すると、「画面右上の署名は後から書き込まれたものではなく、完全にオリジナルなものであること、そのほか画面に記されている文字は、AMORとFIDESであり、問題とされたMERDEは左から二人目の女性の衣装の装飾デザインに、後年修復時などに誰かがいたずらに加筆したものであり、衣装の顔料には使われていない荒い粒子の黒色の絵具が使われている」などの論拠が示された。

  さらに、他の部分の顔料分析などによっても、ラ・トゥールの生きた17世紀の作品であり、後世の贋作ではないことも明らかにされた。ある種の顔料(鉛錫黄色)は、1750年以降は使われていない種類のものであることも判明している。「占い師」 はラ・トゥール「再発見」の前から存在したことが分かった。 こうした科学的調査で作品や画家の制作状況などについて、興味ある知見が付け加えられたが、論争が完全に終結したわけではない。メトロポリタンのファイルは、かなり厚みを増している。

  それにもかかわらず、今では「占い師」は、「いかさま師」シリーズと並び、ラ・トゥールの作品ジャンルにおいて確たる位置を占める。こうした作品の新たな発見においては、顔料の化学分析や赤外線調査などが強力な手段として当然のように使われてようになった。ラ・トゥールは今でも絶えず「再発見」されている画家である。

Reference
John M. Brealey and Peter Meyers, "Letter: The Fortune-Teller' by Georeges de La Tour," Burlington Magazine 123 (July 1981)

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