ブッシュ政権が期待していた「包括的入国管理法案」が見送りとなった後、アメリカの移民政策はどんな状況になっているのか。一口に言えば、先が見えない長い空白が生まれてしまった。少なくとも、新しい大統領が選ばれ、新たな政策が導入されるまでアメリカの入国管理政策は綻びを繕っているしかない。完全に手詰まり状態である。
しかし、現実に国境を越える人々の流れは絶えない。国境近傍ではさまざまな変化が生まれている。CBSなど最近のメディアが伝える状況をウオッチしておこう。
アメリカ国内に居住する1200万人近い不法滞在者への対応は、2009年の新大統領就任式後まで持ち越される。その後についてもどんな対策が打ち出されるか分からなくなっている。不法滞在者の合法化へのステップにしても、議員など関係者の間で見解の隔たりは大きく、現在の状況では手の打ちようがない。不法滞在者の数はさらに増え、対応は格段に難しくなるだろう。
移民問題は大統領選の大きな論争点であることは間違いないが、政治的にはスタンスの取り方がきわめて難しくなった。増加したヒスパニック系などの選挙民の考えが読みきれず、どちらに向いて政策対応をしてよいかが判らなくなっている。動向を読みきれずに移民問題へ傾斜すると、マッケイン上院議員のように政治的に失速する可能性もある。
かなりはっきりしたのは、一般に流布しているグローバル化、「国境の開放化」というイメージとは逆に、国境の物理的障壁が高まっていることだ。ひとつの例として、アメリカ・メキシコ国境サンディエゴの近く、スマッグラーズ・クラッチ(smugglers’ Culch「密輸者の谷」)というメキシコ側からの不法入国者が集中する地域の変化が伝えられている。ここでは高い鋼板の障壁が国境を分かち、日夜を問わず煌々とサーチライトが輝いている。多数のボーダーパトロールが配置され、ヘリコプター、地中の探査センサーなどを駆使して不法な進入を防いでいる。
こうした障壁強化にもかかわらず、入国を試みる者が減少する兆しはないようだ。不法入国者と阻止する側とのいたちごっこの状態がずっと続いている。
国境線は長いといっても、進入の難易度で特定の地域が選ばれる。最近ではカリフォルニア州南部サンディエゴ、ティフアナ地域からニューメキシコに近いササベ地域へ越境者の流れが移行している。これはサンディエゴ、エルパソ地域の取り締まり強化の結果であり、越境者はソノラ砂漠を通過する経路を選ぶようになった。アリゾナ州が大きな流入経路となりつつある。これらの地域では、炎天の砂漠を3日から4日かけて徒歩で越境する人が多い。酷熱の砂漠地帯のため多数の犠牲者が出ている。
ブッシュ政権下では連邦法として国境全体の出入国を律する法律が成立しなかったため、国境周辺の地域はそれぞれの地域の事情に応じて、個別に対応するしかなくなった。
ひとつの問題は、南部諸州などの農業分野で働く労働者をいかに確保するかということである。包括的移民法が成立していれば、こうした分野で働く一時的労働者を合法的に受け入れる仕組みが生まれていたかもしれない。しかし、法案不成立となったため、農業、土木分野などでは、入国に必要な手続きをせずにメキシコ国境を越えて入国した労働者が多数就労している。彼らが突如いなくなったらアメリカ人の生活を支える農産物供給は著しく脅かされる。
不法移民でもアメリカ側に必要とする産業があるかぎり、その数が減少する可能性はない。そのために、都市や州レベルでアドホックな法律や対応を導入する動きがみられる。しかし、方向性はなく、地域でばらばらである。
サンディエゴの近くのナショナル・シティではリベラルな施策が採用され、移民が滞在資格を問われることがない。しかし、他の多くの地域ではおそらく警官が執拗に滞在資格を尋ねるだろうとみられている。アリゾナでは州知事のジャネット・ナポリターノが不法滞在者を雇用した使用者を厳しく罰する法律に署名した。最初の違反では営業ライセンスを止められる。次に、違反するとビジネスができなくなる。しかし、知事自身が法律のカバーする範囲は広すぎ、実効性は期待薄と認めている。それでも彼女が法案に署名したのは、連邦が不法移民に十分対応できない以上州が個別に対応するしか方法がないからだという。
移民問題研究機関のピュー・ヒスパニック・インスティテュート によれば、アリゾナ州では労働者の10人に1人は不法滞在者と推定されている。しかし法律が厳密に施行されると、州経済は破綻してしまうというディレンマを抱えている。
南部の農場で働く農業労働者は時間賃率7ドル。日中の気温は摂氏47度、華氏117度にもなる。収穫の期間、農場の小屋などで過ごす。アメリカ人労働者は応募しなくなっている。
こうした状況だが、アメリカに流入する不法労働者の数は、年間50万人の水準から特に減少することはないと見る専門家が多い。このことは、それだけの労働需要が存在することを示している。そして、この労働条件でも国境の南よりもかなり良いと考える労働者がいる。
メキシコ側にも変化の兆しはある。フォックス前大統領は、ブッシュ大統領にアメリカがもっとメキシコ人労働者を合法的に受け入れることを要請していた。しかし、カルデロン新大統領は「雇用の大統領」を標榜し、メキシコ経済の成長を促進することを主張している。国内の産業を活性化させ、雇用機会を拡大するというこの考えはきわめて正当なのだが、メキシコの場合、そうした産業基盤がどれだけ準備されるかという点にある。国境に光が見えるまで道は長く遠い。
Sources
‘Illegal immigration:Nowhere to hide’, The Economist July 7th 2007
‘Death in the desert.’ The Economist August 25th 2007.