時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

アメリカにもあった「癒しの道」:アパラチアン・トレイル

2007年09月13日 | 回想のアメリカ

    このところ、著名な人物や政治的主導者にかかわる衝撃的な出来事が続く。横綱朝青龍の挫折に、身体の大きさと精神の強靭さの間には何の関係もないのだと気づかされる。土俵上でのふてぶてしいばかりの顔とその後は、あまりに対照的だ。続いて、昨日9月12日、安部首相の突然の辞任表明にまた驚く。

  社会的人気や名声の頂点を極めたような人を含め、いかなる人間にも苦悩の時や挫折の時がある。生まれた時からなんの憂いや悩みもなく、順風満帆といえる人生を過ごしてきた幸せな人もいるかもしれない。しかし、そうした人はむしろ稀なのかもしれない。サンジャック・デ・コンポステーラへの旅、熊野古道や四国霊場めぐりなど、世界にはさまざまな心の救いや癒しを求めての旅の場がある。今年巡ったアルザス・ロレーヌにも中世以来の巡礼の道が残っていた。

  たまたま安部首相辞任表明の前日に見たTVに、アメリカ東部アパラティアン山脈の山中を徒歩で旅する人々の姿が映し出されていた。*  登場した人々はそれぞれに人生の煩悩や苦悩を背負っていた。若い頃に犯罪を犯し、その罪を償う更生のために、集団で旅する若者も映されていたが、多くは一人旅であった。数は少ないが、女性も含まれていた。20キロを越えるザックを背負い、テントや避難小屋で夜を過ごす旅をしていた。鳥や鹿、栗鼠など心を和ませる触れ合いもあるが、熊やがらがら蛇も出てくるかなりの難路でもある。アメリカには「公認」された「癒しの道」や霊場のたぐいはないと、なんとなく思っていたので、認識を新たにした。


  旅に出た動機はそれぞれ個人的に異なったものだが、仕事上の挫折を含め人生の途上で直面した問題をそれぞれに考え直す時間を持つという点では共通していた。朝鮮戦争やヴェトナムそしてイラク戦争で受けた心の傷を癒そうとする人々、自分の代わりに戦死した同僚たちへの贖罪を求める人、企業社会での激しい競争に心身ともに疲れきった人々の姿が印象的だった。戦争やグローバリズムの苛酷な展開は、人々の心に容易には癒しがたい、深い傷を残している。幸い、映し出された人々はそれぞれに立ち直りや希望への道筋を見出しつつあるようだった。

   1960年代末、友人とこのトレイルの一部、ベア・マウンテンに登ったことがあった。ニューヨークから60キロくらいの所である。当時はヴェトナム戦争でアメリカの敗色が濃厚になりつつあった頃だったが、このトレイルがTVで伝えられたような癒しや社会復帰を求める場にまではなっていなかったように記憶している。山頂で会った人は数少なかったが、純粋のトレッキングを楽しんでいるように見えた。だが、本当のところは分からない。

  一時期、寄宿舎で部屋をシェアしていた友人が朝鮮戦争のヴェテラン(帰還兵)で、そのトラウマに悩まされていたこともあり、戦争の暗い影がアメリカ社会に深く影を落としていることには気づいていた。ヴェトナム戦争で戦死した卒業生の名前が学生ホールの壁に刻まれ、次第に増えていった。

  アパラチアン山脈については、山麓の繊維企業や炭鉱の調査に何度か訪れた。ここでも想像を超えた経験をした。さまざまな記憶がよみがえるが、ここで記すには長すぎるので、別の機会にしたい。

  しばらく忘れていた、あのはるかに霞んだような山並みが、ズームアップしたようにまぶたに浮かんできた。戦禍や競争社会に傷ついた人々を受け入れ、癒し、新たなきっかけを与える懐の深い自然な山がそこにあった。


* BS 9月11日 「アパラチアン山脈3500キロの旅:人生のロング・トレイル」

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