グローバリゼーションの展開は、厳しい優勝劣敗、淘汰の過程を伴う。競争に敗れた企業には再生、回復の道はないのだろうか。倒産企業の従業員やその家族にとっては、悲惨な生活しか選択の可能性は残っていないのか。日本の実態を考えながら、少し元気づけられるTV番組を見た。*
「“回復工場”の挑戦」と題したアルゼンチン、ブエノスアイレスの倒産企業の“回復”の努力の姿である。 2007年2月、同市でも有数なクリーニング工場が競争に敗れ、倒産する。経営者は失踪し、日本円で4000万円近い負債と30人の労働者が残される。最盛期には150人近い従業員を擁していた。路頭に迷った従業員たちは、最後の救いの手がかりを従業員による自主再建に求める。企業倒産で貧困に追われ、家も失い、工場内に住み込んで働く家族もいる。
2001年のアルゼンチン経済危機の苦い経験が、“回復工場”という道を構想するきっかけになる。当時、このプランを考えつき、100以上の具体的経験を持つルイス・カーロ弁護士の力を借りて、従業員が連帯組合を組織する。一人一人は経営のなんたるかも知らない労働者だが、弁護士の指導を受け、自主経営の計画を立てて公的認可の申請をする。工場再建計画を裁判所へ提出し、認可が得られれば、自治体の管理の下で倒産企業経営の経営権を公開入札するプロセスをたどる。通常は連帯組合が落札する。その後、工場が所在する自治体が負債を立て替えて、長期に組合が返済する仕組みである。
”回復工場”の経営は、再建プランに参加する旧従業員が平等な権利を持って行う。利益が出れば、賃金も労働時間だけの差だけですべて平等に支払われる。これまでは、協同組合方式による倒産企業の再建の仕組みであり、日本にも労働者自主管理企業を含めていくつかの例があり、とりたてて珍しいというわけではない。
注目させられたのは、こうした“回復工場”がお互いに「連帯」して相互に助け合い、「連帯経済」ともいうべきユニークなシステムを作り上げていることだ。これまでは自主管理企業は、多くの場合孤立無援であり、資本主義的、効率重視の企業と真っ向から競争を迫られていた。そのため、再建を図っても経営効率の劣る自主管理企業が再び苦杯をなめるという例が多かった。
この新たなシステムでは、たとえば同じグループで再建途上にある病院の従業員組合が、仲間の“回復企業”へ医療サービスの無償提供を行う。足りない人材を相互に融通しあう、などの連帯が進められている。連帯グループの企業が毎月集まって、相互になにができるかを話し合う。素人集団のような“回復工場”の真摯な努力の姿を見て、顧客が製品価格の値上げに応じて、救済の手を差し伸べるなど、人間味のある情景が映し出される。「連帯経済」の環の外にも市場は次第に広がって行く。文脈は異なるが、フォルカー・ブラウンが期待した「人民所有と民主主義」のアイディアの具体化につながっているようなところもある。
倒産閉鎖してしまったガソリンスタンドが“回復工場”システムで再建しようとするが、壊れた設備を修理する技術者がいない。すると、連帯経済グループの電気屋さんが手助けにかけつけ、再建裁定の時間切れ寸前のところで修理に成功する。復元し始めた企業を見て、失踪したもとの経営者の息子が戻ってきて、会社は自分たちのものだと主張する動きにも、従業員は懸命に対抗する。
倒産した企業は、どれも設備も老朽化し、労働条件も悪く、経営ノウハウもなく、見るからに再建は難しそうである。”回復企業”のそれぞれの実態はいかにも頼りなく、グローバル化の荒涼たる強風の前には、吹き飛ばされそうなはかなげな存在に見える。それでも、利益追求だけが企業としての目標ではないという人間の相互愛のようなものがひしひしと伝わってくる。「会社は資本家のもの」という近年の流行に、厳しいながらも別の道もありうるのだということを示してくれた。冷酷なグローバル経済に翻弄される南半球の小さな”回復工場”、”連帯経済”の成功を祈りたい気持ちになった。
Reference
2007年12月8日、BS1ドキュメンタリー「“回復工場”の挑戦」