外国人の日本への入国に際して、指紋採取と写真撮影の措置*が導入されたことがひとしきり話題となった。日本人もアメリカへ入国する時には、同様な措置の対象となる。
ところで、日本の外国人(移民)政策はどこで決まるのか。そのプロセスは国民にはほとんど見えてこない。アメリカのような議員提出法案も少ないので、国民の目に触れることも少なく、ほとんど議論もないままに、いつの間にか法案が提出されて施行される。国会の審議能力などを見ていて、かなり不安な部分も多い。国民も、外国人が対象であって自分たちには関係ないと思っているのだろうか。
ひとつ、はっきりしているのは、外国人受け入れに関わる政策の領域で、入国管理に関わる政策だけは、かなり迅速に導入されることである。要するに旧来の出入国管理=外国人政策という色彩が強く表出している。それに対して、一度入国した外国人やその家族と地域や社会との「共生」に関わる「社会的次元」の政策は、導入がきわめて遅い。入り口だけ管理しておけば、後はなんとか対応できると考えているのだろうか。
イギリスなどヨーロッパの諸国でも、同様な対応が来年以降導入されることが検討されている。日本の対応については、いくつかの外国メディアに感想が述べられている。ただでさえ「鎖国」のイメージが強い日本がいち早く導入することは、やはりそうかという印象を強めているようだ。 しかし、「国民国家」の権力は衰えることなく強力だ。うっかり逆らって入国拒否にでもなれば、仕事ができなくなると思う人たちも多い。アメリカは、2004年1月から導入された当時は両手の指1本の指紋であったが、ついに本年12月21日までに、両手の指5本の指紋を採取することになり、すでにワシントン郊外のダラス空港などで実施に入った。
文脈はまったく違うのだが、過日ルターの肖像画を描いたルーカス・クラーナハについての作品**を読んでいた時、「現代のドイツでは身分証明書を携帯するように義務づけられているので、ドイツ国民は少なくとも一枚の肖像写真を持っている。つまり理論的にはすべてのドイツ人の人相が、国家に知られているという状況にある」というくだりで考えさせられたことがあった。要するにドイツ人は身分証明書として自分の写真(肖像)を提出しているので、ある意味で写真を国家に預けているのと同じことだという。ドイツの継承している歴史的問題などを考えると、この話は尽きなくなるので、ここでは扱わない。
ただ、ひとつだけ挙げてみたいことがある。写真を「撮られる」ということは、現実には強制されてのことであっても、その行為において、多少は受動的な感じもする。ところが、指紋となるとかなり印象が異なる気がする。まさに「指を差し出す」Giving you the finger という主体性が強い行為となるように思われる。これは私だけの感じなのだろうか。 ジャーナリストはこうした点に敏感でもある。しかし、立ちはだかる城壁を前にしては、多少嫌みをいうくらいしかできないのかもしれない。9.11対策を持ち出されれば、異論も出しにくいのだろうか。
日本については、メディア#が指摘するように、別の気になることもある。最近でも、年金記録の大量行方不明、医療機関の情報流出など個人情報の扱いには多くの問題があり、不安の種には事欠かない国である。導入するからには、前車の轍を踏まないよう十全な管理を願うばかりだ。
Reference # "Giving you the finger." The Economist November 24th 2007.
** マルティン・ヴァルンケ(岡部由紀子訳)『クラーナハ:ルター』三元社、pp.122
*日本では一部の免除者を除き、すでに日本に滞在している外国人が再入国する場合も含め、日本に入国する外国人全員が対象となる。免除される者は、1)特別永住者、2)16歳未満の者、3)「外交」及び「公用」の在留資格に該当する活動を行おうとする者、4)行政機関の長が招聘する者、5)(3)又は(4)に順ずる者として法務省令で定める者。免除者でない外国人が指紋又は顔写真の提供を拒否した場合は、日本への入国は許可されず、退去を命じられる。