時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

氾濫するフェルメール

2008年09月01日 | 絵のある部屋

   
Girl Reading a Letter at an Open Window. c.1657. Oil on canvas. Alte Meister Gallerie, Dresden, Germany


     日本人のフェルメール好きは、世界でも突出している。始まったばかりの東京都美術館のフェルメール展*は、かなりの人気を呼びそうだ。『芸術新潮』『ユリイカ』などいくつかの雑誌も特集を組んでいる。フェルメールはどちらかといえば好きな画家だが、最近の〈氾濫〉ぶりにはいささかへきえきしている。

  美術館などの興行側も、フェルメールを展示すれば多数の観客が期待できるので、高額の賃借料を支払っても、採算が合うのだろう。最近では国立新美術館の『フェルメールとオランダ風俗画展』では、いわば目玉商品
一点で、約50万人を集めたといわれている。今回は会期も異例に長く、主催者は入場者100万人を目指すという(詳細は『芸術新潮』9月号をご参照あれ。) 

  フェルメールの作品は、現代の日本人に受ける条件をそなえている。宗教色が弱く、色彩がきれいで、よく描きこまれており、大作ではないため重たくなく、画題もなんとなく分かったような気になる。このように一般受けする作品となると、フェルメールやモネなのだろう。画題もほどほどに分散していて、ちょっとした話題にするに適当だ。深刻な題材ではないので、なんとなく癒される感じもするのかもしれない。現在の日本人が求める文化的水準?にほぼ合致するのだろう。

  
しかし、便乗した安易な企画も多い。例のANA機内誌『翼の王国』に連載されていた、福岡伸一氏の「アメリカの夢 フェルメールの旅」も、3回の連載で、野口英世とフェルメールの関連を訪ねることを目指したようだが、完全に的が外れてしまっていた。元来、野口英世がフェルメールを見たかという仮説自体が思いつきにすぎず、仮に見たとしても、それがどうしたということにすぎない。結局、なにも検証できず、単にアメリカへフェルメールを見に行ったエッセイに終始してしまった。いくら機内誌の連載といっても、企画を疑ってしまう。

  このブログでも少し記したが、19世紀末から20世紀初頭にかけての富豪たちと画商の駆け引きは、虚々実々で子細に立ち入ると、それだけできわめて興味深い。しかも、富豪の所有物が美術館へ寄贈・遺贈され、公有財に移行してゆく過程も、複雑なやりとりを含むものだった。大規模な企画展があれば、少しずつでもそれまでの研究成果の一部がスピルオーバーする。日本のこうした企画展では集客数など興行効果が全面に出て、新しい研究などの普及は少ない。研究者の間では知られているが、フェルメール作品が生まれた環境については、今回『芸術新潮』で朽木ゆり子氏が紹介されている、かつてモンティアス(エール大学教授、経済史家)が実施した地道な調査の成果が大きな突破口となった。新たな光は、思いがけないところから入ってくる。

  歴史の中では長らく忘れられていたこの画家。まもなく4世紀近くなる時間が経過した今日、極東の島国での思わぬ人気をどう見つめているのだろうか。今回のブームが、観客動員数だけを競う、またひとつの仇花に終わらないことを祈るのみ。



*  東京都美術館『フェルメール展 光の天才画家とデルフトの巨匠たち』8月2日ー12月14日


References
『芸術新潮』2008年9月
『ユリイカ』2008年9月
 福岡伸一「アメリカの夢 フェルメールの旅」『翼の王国』2008年6-8月
John Michael Montias. Vermeer and His Milleu. Princeton:Princeton University Press, 1989.

コメント
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