アメリカの民主・共和両党の大会を見て、アメリカの活力をうらやましく思った。民主・共和両党ともに副大統領候補は、予想外の選択となった。バランス感覚と決断は素晴らしい。民主党大会でのケネディ上院議員の演説には感銘した。脳腫瘍に罹患していながらも、次代に灯を託す仕事をしっかりとなしとげた。マッケイン共和党大統領候補との連携による包括的移民法への努力は実を結ばなかったが、ケネディ議員はこれまでの議会活動においても、アメリカの将来を見据えた構想の大きな、立派な業績を残してきた(私は「客観的にものが見える」と、投げ出した方とは大違いだ)。ケネディ議員にとっては、この大会が最後なのだろうか。
あらゆることが新大統領の決定待ちになっているアメリカだが、ひとつだけ進行していることがある。アメリカ・メキシコ国境の障壁強化という措置である。両国を隔てるおよそ700マイル(1,100km)の国境に障壁を設置、強化するという大工事をなんとか完成させねばならない。
しかし、ワシントンの官僚や議員たちが考えるイメージと現実の姿は、大きく異なっている。 メキシコとアメリカの関係は、長い歴史的経過の中で、複雑な様相を呈してきた。国境に近接する地域の中には、国境は実質無いに等しい状況もある。地域によっては、両国の人々は国境の存在などをほとんど意識することなく、日常生活で自由に行き来している。環境保護団体が障壁は、動植物の移動などを制約し、生態系を毀損するとして法的対抗手段をとっている所もある。こうしたところへ障壁を建てれば、当然新たな問題が生まれる。
メキシコ側からの越境者については、国境を越えるだけで彼らの生活が改善されることの魅力はいかんともしがたい。他方、アメリカ側には農業、商業サービスなど移民労働者(多くは入国必要書類不保持の越境者)に頼らざるをえない産業がすっかり根を下ろしている。この需給双方に強い圧力がある状況を物理的障壁だけで遮断することは、ほとんど不可能に近い。日本のような島国と違って、アメリカ・メキシコのような長い国境線を持っている国にとっての宿命である。
特に、関係者の間でも十分実態が掌握されていないが、両国にとって重要な問題となっているのは、人の移動に伴う麻薬などの密貿易、犯罪の横行だ。南部諸州の国境近接地域を訪れると、単なる出入国管理という次元を超えた複雑怪奇な実態を聞かされる。かつて10年ほど前、日米比較調査を実施した頃から大きな問題となっていた。これらの点は、これまでにもしばしば指摘されながらも、議会など政治レベルでは十分に理解されてこなかった。テキサスなどの一部には国境自体の存在を無用とする考えの持ち主も多い。歴史的経緯からアメリカ・メキシコ戦争でアメリカが獲得した地域をメキシコに返還せよとの主張すらある。
麻薬密貿易は、メキシコの密売グループに600億ドル近い利益をもたらすとの推定もある。しかし、レームダック化したブッシュ政権は認識が浅く、実行力を失っている。メキシコ政府は、アメリカ側の国境近接の都市などでマフィアが強大な勢力をふるい、ほとんど無政府状態になっていることについて、取締り強化を要請してきた。しかし、ほとんど実効が上がっていない。
ブッシュ政権は、700マイルの障壁が不法越境者の阻止、犯罪防止に効果を発揮するとしているが、関係者の間には麻薬の80%近くは、国境の正規のチェックポイントを偽装した貨物などの形で通過しており、取り締まりの重点強化で、かなり実効が期待できるとの主張も強い。麻薬貿易、国境犯罪の横行など、移民政策は単なる国境管理を越える次元を包括することになる。
テキサス州の場合、実際の両国間国境は1,200マイルあるが、今回の政策で実際に垣根が設置されるのは70マイルだけとされている。西部劇で知られたあのリオ・グランデの存在のためだ。急峻な渓谷部分は200マイルもある。ある地域では仮に障壁を設置しても、国境を越えようとする人にとっては、ほとんど意味を持たない。真剣に越境を考えるならば、障壁部分を迂回しても目的を達成できるという。とりわけ、都市の周辺部は彼らが目指す有力地点だ。越境して都市に潜り込めば、探索して見つけ出すことはきわめて難しくなる。抜け穴だらけの国境だが、EUのように消滅するのは、かなり遠い先のことだ。
それまでの間、抜け穴からの入国者をいかに取り扱うかは、アメリカ・メキシコ両国の移民政策の大きな課題として残ることになる。とりわけ、北米自由貿易協定(NAFTA)の根本的見直しが議論されており、移民政策はその重要な一部を構成することになることはいうまでもない。新大統領の手腕が試される。
References
Immigration in California: Escape from LA, The Economist March 31st 2007
"Fighting the fence." The Economist June 14th 2008. David J. Danelo. The Border: Exploring the US-Mexican Divide, Stackpole Books, 2008
S.Rotella. Twilighton the Line: Underworlds and Politics at the US-Mexico Border, New York, Norton, 1998.
桑原靖夫編.『グローバル時代の外国人労働者 日米比較』東洋経済新報社