時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

ラトゥール: リュネヴィルの悩み?

2009年09月03日 | 書棚の片隅から

C.Marchal..Histoire de Lunéville.Paris:Res Univers,1989, pp.188.

 
 ジョルジュ・ド・ラ・トゥールは、1593年現在のフランス北東部、ロレーヌ地方、ヴィック・シュル・セイユに生まれ、1620年27歳の時、妻となったネールの実家のあるリュネヴィルへ移住した。この画家はこの地で1652年、59歳で世を去った。その生涯で1年以上の期間にわたり、住んでいたと思われるのは、生地ヴィックと画家生活のほとんどを過ごしたと思われるリュネヴィルに過ぎない。パリ、ナンシーなどへ行っていることは判明しているが、長い期間、居住していた確たる証拠はない。

 ほぼ二世紀半の長きにわたり、ほとんど忘れられていたこの画家は、今では17世紀フランス美術を代表する巨匠の一人にまでになった。ラ・トゥールの生地ヴィックには画家の名を冠した美術館もあって、この小さな町の最大の観光資源となっている。

 他方、リュネヴィルは画家が工房を置き、その制作活動の本拠とした地であるにもかかわらず、画家の活動を思わせる跡はなにも残っていない。度重なる戦火で、工房や住居あるいはそこに残っていたであろう作品もすべて消滅してしまったのだ。

 今日、リュネヴィル宮殿にある観光案内所を訪れて尋ねると、ラ・トゥールの工房があったらしい?場所や、この画家そして家族が訪れたであろう教会の場所などを熱心に説明してくれるのだが、残念ながらそれを当時のように目のあたりにすることはできない。ラ・トゥールの時代にもあったリュネヴィル城、宮殿は、現在の宮殿のある場所に最初築かれたと思われるが、これもそれらしき跡はほとんど見いだすことができない。この画家とリュネヴィルに関わる話はかなり多数あるのだが、実に残念なことだ。リュネヴィル市としては、大きな観光の目玉となりうるこの画家を売り出す具体的材料がなく、切歯扼腕しているに違いない。

  リュネヴィルにとって、唯一の観光資源は、ミニ・ヴェルサイユと呼ばれる壮大な宮殿だ、これは18世紀初めに、ルイ14世の賛美者だったロレーヌ公レオポルドがヴェルサイユにならって建造営したたものである。レオポルドはナンシーの宮殿を離れ、しばしばリュネヴィルに滞在していた。さらにその後スタニスラス王の好んだ宮殿となり、王も1776年に死去するまでここに滞在することが多かった。盛時にはヴォルテール、モンテスキュー、サン・ランベールなどの文人、芸術家たちもしばしば滞在した。ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの時代にも宮殿はあったのだが、今日なにも残っていない。ミニ・ヴェルサイユも壮大で往事の栄華を思わせるが、2003年の大火災で修復途上であり、集客力がない。


 最近、フランスの町村シリーズの一冊として刊行されている Histoire de Lunéville  (『リュネヴィルの歴史』)を手にした。しかし、この画家の名前は、biographie des hommes marquans de Lunéville 「リュネヴィルの重要人名録」に、この地に関連する著名人のひとりとして、わずか数行記載されているだけである。他方、生地ヴィックについては、ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの生い立ち、作品について記した、かなり多数の文献が刊行されている。リュネヴィルでは、この時代に市史のたぐいも戦火で焼失しているのだから、やむをえないのかもしれない。

 しかし、少し深読みをすれば、リュネヴィル市民にはこの画家について複雑な感情もあるのかもしれない。
17世紀の戦乱・災禍の時代に、ヴィックでパン屋の息子から身を起こし、妻の実家のあったリュネヴィルでは貴族の妻の家系の縁で貴族となり、ルーヴル宮に部屋を持つフランス王室付きの画家にまでなった。リュネヴィルでは、修道院に並ぶ大地主としてしばしば農民などとの軋轢・怨嗟の的となった。

 とはいってもラ・トゥールは自らの作品以外には、ほとんど人格判断の材料となりうるものを残していない。すべて、断片的に残る公文書などからの後世の類推である。しかし、リュネヴィルには、広大な土地も保有した
強欲な画家というイメージが残っているのだろうか。今日のリュネヴィル市民には、郷土が生んだ大画家に複雑な思いがあるのかもしれない。いずれにせよ、ジョルジュ・ド・ラ・トゥールという画家の本質を理解するのは、かなりの努力が必要なことだけは間違いない。

 

コメント
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