Seascape
(1952)『海の光景』
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ラウリーのことを書き出すと、案の定長くなってしまう。管理人の人生では、長い付き合いの画家である。ブログに頻出するラ・トゥールとの付き合い?とほぼ同じくらいの時空が経過しているので、さまざまな思いがある。
お断りしてあるように、このブログは管理人の備忘録のようなものなので、時にあるテーマが必要以上に長くなったりすることがある。元来、ブログはかつて若い世代の人たちと共有した時間の中から生まれた部分もあり、そのつながりは大事にしている。そのため時にはゼミの後の気楽な雑談のようになってしまうがやむをえない。アクセス数などはまったく関心外で、Twitter、Facebook, mixi などもご希望もありますが、現在までまったく利用しておりません。
要するにテーマに興味を抱いた方だけお読みいただければと思うブログです。ただ、コメント、ご質問やご感想、セミナーなどへのお誘いは大歓迎で、これまでもできるかぎり対応してきました。
閑話休題
さて、前回記した通り、ラウリーが長い間ロンドンなどの美術エスタブリシュメントから軽視されてきた理由のひとつには、この画家独特の画法や画題の選択も関係していると思われる。「マッチ棒のような人々」や北西部工場地帯に特有の青空のない風景を多数描いたことなども該当するかもしれない。しかし、ラウリーは長年美術学校、大学へ通い、個人教授も受け、画家としてのスキルは十分すぎるほどに会得している。さらにフランスの画壇の状況にも通じていた。なによりもラウリーのファンがそれを知っていた。この画家の愛好家がどれだけいるか、かつてイギリスに滞在した時の経験から推測すると、もしかするとターナー以上かもしれないと思うこともある。
なにもない風景
ラウリーの作品は実に多岐にわたる。熱心なファンでも全部を見たことがある人は、ほとんどいないはずである。作品数は1000点を越えると思われるが、正確には分からない。ラウリーは人物としても大変ユニークかつ愛すべき人柄で、画家にまつわる多くのエピソードが伝えられている。
その一つ、この画家のある作品に関して、「なにもない海の風景」”Empty Seascape”という逸話があるの紹介しておきたい。
20世紀を通して、ラウリーがながらく住んだサルフォードの美術館 Salford Art Gallery の歴代館長は、例外なくラウリーの大ファンであった。そのために機会があれば、なんとか作品を入手することにつとめてきた。今日、この画家の多数の作品が散逸せずに所蔵されてきた一因となっているのはこの美術館の努力のたまものである。
しかし、美術館がラウリーの作品を取得することがいつも容易であったわけではない。1954年のこと、当時の館長が評議員会で、誇らしげにラウリー制作の「海の風景」Seascape (上掲)1点を、54ギニアで購入したと報告した。当時の54ギニアはかなりの大金で、今日では推定1千万円以上の価値があると思われる。
ところが、評議員たちは作品を見て怒り狂った。そして、こんな絵に大金を払うなど馬鹿げているとして、「3本の色の違った直線があるだけではないか。黄色かベージュが浜辺を、青が海、灰色の線が空を区切っているだけで、浜辺には小石もない、海には波もなく、空には雲の一片もない」。さらに別の評議員が「我々は串刺しの豚肉を買ったはずだ。これは豚肉のない海の景色だ」と息巻いた。彼らはラウリーの作品なら、工場、煙突、マッチ棒のような人間、が描かれていれば、価値があると思い込んでいたらしい。確かに作品は言われてみれば、ラウリーのお得意の煙突一本見当たらない。
こうしてしばらく紛糾したが、腹の据わった長老の評議員がいて、サルフォードのコレクションは人気が出ていて、価値が高まっているjと発言、結局賛成多数で作品購入が決定した。評議委員会の後、傍聴していた新聞記者が一部始終を当時の『マンチェスター・ガーディアン』紙に寄稿したが、それを読んだラウリーは大変楽しんだようだ。
「工場の煙突をなにもない海の上に描き込もうと何度か思ったが、もしそうしたら、かれらは私のことをサルヴァドール・ラウリーと呼ぶだけのことさ」と画家は友人に話ししている。
IT画面上で、ラウリーのこの精緻な作品を鑑賞することは、ほとんど不可能だが、いちおう掲載させていただく(Rhode 2001からの転載、上掲『海の光景』)。確かに、画面3分の1ほどに横に一線、その少し上に水平線を示すかすかな一線が海と空とを分け隔てている。それ以外のものは一切描かれていない。管理人も作品を観たことがあるが、その絶妙な色彩と筆さばきに驚くほど感動した。あのイングランド北西部独特の灰色の空とその下に広がる海の光景が見事に描かれている。
くだんの作品に限らず、ラウリーは海に魅せられ、長い時間浜辺を歩いたり、荒波が打ち寄せる海にj漁船に乗り込んで、心に映った光景を描いた。画面に描かれたものの多くは、波立つ海だけだったが、時には沖に浮かぶ船やまっ黒な大きなタンカーそして、海底深くから屹立する奇妙なオベリスクのようなものも描いた。
折に触れ、かれは作品について、こんなことを言っていた。
「人生は戦いなのさ......... 海の荒れ狂うさま...........そして人生も大きく揺れ動く。そうではないかね... それで、すべて終わりということさ。」*
産業の世界の多様な情景を描くとともに、故郷の海を愛した画家は、海についても多数の作品を残している。もちろん、海だけが描かれた作品ばかりではない。下掲の作品のように沖に潮待ちで停泊中の船を眺めて楽しむ人々を描いた作品もある(画家の名誉のため)。ラウリーは別の機会に、「人生はうまく潮が来るかどうかで、運命が決まる。潮次第で破滅も成功もあるのさ。」という主旨のことも述べている。そうした話をする時、ラウリーは大きな声で快活に笑い、決して人生を悲観的にはみていないように見えたという。この画家の人生については、またいずれ..........。
Waiting for the Tide (1965)
454 x 686 mm of the original painting in a private collection.ArtistL S Lowry Last Published October 2007
「潮の満ちるのを待って」
*
Shelley Rohde。, Lowry Lexicon, Salford Quays, The Lowry Centre Limited, 2001 所収の逸話を管理人が要約した。