日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

今は昔、忙しかった頃

2011-09-07 07:06:15 | 子育ての周辺
なんだか、ここ2、3日あの頃の光景が頭をよぎる。
朝のダイニングキッチン(広さは6畳程だった)は、小学生3人と夫婦で所狭し状態だった。
子供たちが学校に通っているということは、給食用割烹着やら、体操服やら、連絡事項やらがあって、それが3人もとなると、大賑わいだった。
そして、朝食がすむと、長女が必ずやってきて、「お母さんアタマしばって」と、ゴムを差し出し、私に背を向ける。長い髪をしていた。1メートルほどもあったろうか。ピアノの練習で椅子に腰掛けると三つ編みにした髪の尻尾をお尻で踏むほどだった。
「もう、大きいのだから自分で出来ないの!」
お母さんは大忙しで洗濯物を干して、仕事に出かけなくてはならないのだから…。
そういう気分だった。
食事を終えて、多分新聞タイムだったろう夫は、そんな時こういった。
「結んでやればいいじゃないか。いつまでも言ってくるわけじゃなし。今しか出来ないことだから」

思い返してみても、娘の髪の三つ編みをしていたのは、いつまでだったかは、ぼんやりしている。
確か、今の家に越してきたとき(中学2年の夏)は、彼女の髪はまだ長かった。
転校の挨拶に学校へ行ったときに、校則で肩より長い髪は禁止、と説明されて短くしたのだから。

余禄だけれど、この頃は、学校が荒れるのを気にして、校則による規制が理不尽に厳しかった!前の中学では当然冬に紺のオーバーコートを着用していたのに、転校先の学校では、質実剛健をモットウとかで、オーバー禁止、マフラー禁止で、セーラー服にスカートで冬空を登校したものだ。

すっかり、忘れてしまった遠い記憶を引っ張り出している。
そんな光景があったなんて、と自分で自分に語っている。
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処分します。セロテープカッター

2011-08-15 07:43:12 | 子育ての周辺
わが家には、古参のセロテープのカット台がある。
今の家に越してからの20年。当初時々、最近は滅多に出番がないものだから、ずっと同じ場所に鎮座していた。
あそこにセロテープがある、私にはそんなインプットはあり、ご老体になっているなと知ってはいても、放置状態だった。
今日、退場してもらうことにする。
記念に写真を一枚。

このテープ台は、子育ての歴史とともにあった気がする。
工作大好きな子供たちの必須アイテムだった。
同じ頃、小さな折り畳みテーブルも買ったものだ。粘土遊びをいつでも楽しめるように、というつもりだった。どんなに汚れても、ひと拭きできれいになり、頑丈で、小さいからどの部屋にも持ち運び自由だった。しかしながら、中学生になった頃には出番もなくなり、小テーブルはいつの間にか姿を消した。
セロハンテープ台は、子供たちの姿が消えても、お役目ゼロということではないから、廃棄処分を逃れて、今まで残っていたのです。

金具の歯は、迫力を失い、プラスチックも経年劣化で崩れかかっています。
潮時です。
子供たちの手によって、いろんな工作が生まれた時を知っている、子育ての相棒を失うような気持ちです。
縁側を子供部屋にしていた頃が、キミの一番の晴れ舞台だったかしら。
キミの退場を、一人拍手して送ります。
ありがとう。
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番外で、落書き、親ばか話

2010-05-28 22:38:53 | 子育ての周辺
夕刻、北海道の息子からアスパラガスが届いたので、
親ばかバージョンで、自分のココロを遊ばせます。

休みが取れなくて、滅多に顔を見ることもありません。
大リーグで野球をしている、イチローや松井選手のほうがシーズンオフにゆっくり帰国しているじゃない、と文句を言いたくなる気分です。
だから、誰にも迷惑がかからないだろう、ここに、過ぎ去った昔を思い出しての親ばかを書かせてもらいます。

絵の好きな、工作の大好きな子供でした。
3年保育の幼稚園にいきました。
年少さんの秋に描いた絵を覚えています。
運動会の絵を描きました。
練習をしていたかも知れませんが、まだ運動会未経験だった時期だったかもしれません。
八つ切り画用紙だったと思います。
赤いクレヨンで玉入れの絵が描いてありました。
赤い竹かごを目指して、何人もの赤いクレヨンで描かれた子供が、赤い玉を投げています。
そして、画用紙の裏には、
白いクレヨンで、白組の玉入れが描いてありました。白いクレヨンで描かれた子供も何人もいるのですが、白い画用紙なので、目立たないのです(笑)。
赤組は赤で、白組は白で描こう。
我が家の年少さんが精一杯考えて、幼稚園で描いていた姿を目に浮かべながら、持ち帰ったその絵を、秋の日が射す縁側で眺めたこと、覚えています。
その幼稚園は、毎年運動会前になると、園児が運動会案内のポスターを描くのです。絵、大得意の息子は張り切って、一生懸命描くのでしょう。
で、みんなに持ち帰って、そのポスターを自宅前などに貼るように、と指示が出ます。
息子は、悩みます。
「雨が降ったらどうしよう」
で、このお母さんは考えました。
「サランラップで雨対策」
今でも、こんな対策をしているご家庭があるでしょうか(笑)。

もうひとつ、幼い子のあのころのつぶやきを思い出しました。
母の日用だったか、父の日用だったか、それは覚えていません。
人の顔を描くとき、顔の中の鼻をどうかいたらいいか、困るんだー、と。
みんなは、クロい線で鼻を描くけれど、そんな線は顔にないよねー。
幼稚園児のクレヨンには、顔の陰影を描く色はありません。
「見て描こう」としたとき、「鼻をどうやって描くべきか」、幼いながらの課題を見つけたのでしょう。

世のお母さんの集音マイクと録画装置は高性能だから、幼子の一挙一同が、ココロのアルバムにファイリングされています。アハハ
絵を裏表に描いたときも、鼻を黒い線で書くのはおかしいと、迷っていたときも、大人のサジェッシヨンはしないのです。
だって、その新鮮な固有の発想こそが、幼いときでないとありえない宝物に思えたから。

あの頃は、楽しんでいたなー。懐かしい。
明日、アスパラガスいただきます。




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携帯にメールが届く。

2009-12-10 22:01:47 | 子育ての周辺
「今日 無事入籍しました」と。
10月頃から同居していたから、これで苗字がひとつになったっわけ。
二度ほど荷物を送るとき、あなたの苗字で届く?
と聞かねばならなかったし、
娘の返信メールは「うん、届く」
だったから、ふたつの苗字を並べていたのかもしれないけど、
細かいことは聞いていなかった。

「本人達が企画する結婚式だったら、お父さん出席OKだと思うからね」と、伝えてあるから、時期を見て結婚式の案内が届くかもしれない。
娘、今、受験勉強中。

思考のスパンが違うのか、小さいときから、周りとしっくりこない体験をいっぱいしている子供だった。
本に夢中なって、一緒にいた友達が外遊びに行ってしまっても気づかない子。
工作が大好きで、なぞなぞが大好きで、物語作りが大得意で、
いつも自室でもくもく何かをやっているから、家守(ヤモリ)だね、と私たちは言っていました。
20代後半で大学院へいって、新たな仲間に出会ったことが、彼女に衝撃だったようです。

彼女の立っている足元が見えない、なんか、彼女の小さいときから、そんな思いをさせる子でした。・・・思考の組み立て方が、いつも低迷している私とは違うのです。

これから先、どう進路をとっていくのか。

結婚しない若者が多いと聞くけれど、二度もしちゃうのだから、我が娘ながら、彼女、魅力的なのだろうか。
うーん。
ともあれ、二人三脚していく相棒がいることは、めでたい。

娘のパートナーは、人望の厚いひと、らしいです。
よかった、よかった。
晴れて今日、入籍した二人に幸あれ。











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郷愁の光景

2009-07-09 09:50:02 | 子育ての周辺
6月に、愛知万博記念公園に保存されている「サツキとメイの家」に行ってきた。
宮崎駿監督のアニメ「となりのトトロ」の主人公の住まい、とのこと。
アニメなのに、現存建物保存の風なのか、なんか変。
そもそも作者が考えた家。それをなぞって、昭和30年代風に拵えて、大層に保存し、入場料を取って観覧させているのだから。⇒企画の幼さというか、まったく平和ですねー。

さて、入館してみて、かつて暮らしたことのある一軒家を思い出した。
良く似ている。
ガラガラとガラスの格子戸をあけるところ。
入って右手に洋室があること。
畳の続き間があること。
日の当たらないところにある、台所の狭さ、使い勝手の悪さ。
支部長宅用の官舎だったから、敷地100坪で、縁側も広くてなのですが、築年から相当経っている旧式でした。

そして、そこに住んでいた頃には、我が家にもサツキとメイ世代の子供たちがいました。
彼女らのお父さんは大学の先生だけれど、我が家の子供たちのお父さんは裁判官。
帰宅は5時過ぎと早いのですが、子供たちが寝た後、毎日夜9時から12まで書斎で仕事という生活。

旧式の和式トイレはハイハイの子供が落ちたら大変と、外鍵を付けたり、幼い息子にはトイレが届かず、ブロックを並べて置いたり。
父子でお風呂に入っていたのもこのころです。お父さんに子供たちがおねだりする定番の物語もありました。
サツキとメイの家は、そんなかつてを思い起こさせてくれました。

以前に書いたことがあるけれど、
父の日を前にしての作文を書くことになって、お父さんの仕事を娘が訊ねたので「『悪いことをした人に、これはいけません』っていう仕事」と返事したら、
「なーんだ、そんなの当たり前じゃない。簡単なのー」と答えたりしていたのも、この頃。

おもえば面白い娘でした。
ある日、子供3人に留守番させて、1,2時間ほどの外出から帰った時のことです。
といっても、留守番という概念が判るのは6歳の娘ぐらいで、小さな弟妹は、お姉ちゃんがいるから安心、というぐらいでしょうか。
いや、1歳の末娘にはそのことすら理解できなかったかもしれません。

子供たちは確かに3人元気に玄関に出迎えてくれたのですが、
8畳の和室の様子が変です。
食卓の椅子が3つ、4つと何かを囲むように置かれています。
えっ!一瞬何事!
そうは思いました。
理由があったのです。
整理ダンスの上に置いてあった、電気スタンドのコードが垂れていて、ヨチヨチ歩きの末っ子が、興味でコードを引っ張ったらしいのです。
ガチャン!!です。
蛍光灯のガラスは飛び散ります。
ヨチヨチ歩きに、危ないから近寄るな、と言っても、どこまで理解するかわかりません。
で、彼女がしたこと。
隣室の食卓用の椅子でぐるりとガラスの破片が落ちたあたりを囲んで、ヨチヨチでも、ハイハイでも近づけないようにしよう、そう考えたわけです。

文字で書くと、説明が長くなりますね。
私の目に入ってきた光景は一瞬です。
あっ!彼女の知恵!
です。

「あなたは子供のときは、キラッと光る行動をしたり、言ったりする子だったよね」と、いったことがあります。
彼女、なんと返すと思いますか。
「今でも、私は同じだよ。お母さんの耳にそう聞こえないだけのはずなんだけれどなー」

本当でしょうか。
うーん。
煙に巻くのも上手いようです。

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三谷作品の手作り感から、こんな小品が引き出しにあることを思い出しました。

2009-04-11 11:18:24 | 子育ての周辺
映画「ラジオの時間」に手作りのぬくもりを感じたからでしょうか。
我が家の引き出しにある、こんな小品のことを思い出しました。

みんな 一生懸命 なんです。





そして・・・







随分前の紙片です。子供が小学生の頃に書いたものですから。



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つれづれに思い出すこと・・・。

2009-04-05 09:51:41 | 子育ての周辺
育児してきた思い出が、いつになっても去来するのは母親の特権で宝物。
父親にも、父親側からみた思い出があるのだろうけれど。

彼女は本を読むのが大好きだった。
というより、活字が好きだった。
だから、新聞折込チラシの文字を読み、家々の表札の文字を読み、お菓子の包装紙に書かれている応募方法にまで気が付く子だった。
自分の家の幼児本だけでなく、お友達の家の本棚の本も、ドンドン読んでいった。
だから、小学校1年のとき、夏の宿題に「本を読むこと」が課されると、彼女にとっては日常であるから、なんの苦にもでもないのだけれど、
このお母さんは、言った。
ホラ、一日に何をやったかを書く欄はこんなに、狭いでしょ。だから、1日に読む本は2冊までににしなさい。そうしないと、読んだ本の題名は書ききれないから、と。
そういう風にして、何とか外遊びしてくれないかと、願いながら育てた子だった。

案の定、目が悪くなるコース。
そう、4、5年生ぐらいから、近視気味。
私は近眼ではないから、メガネの苦労は知らなかった。(今は老眼鏡のお世話になっている)
中学生頃には、いつもメガネ状態になった。
高校まではメガネ。
で、卒業の前後だったろうか、コンタクトレンズにしようか、という流れになった。
で母娘で、近所の眼科医に。
検査を受けて、イザ装着という段になって。
待合室から見えたシルエットを覚えています。
診察室で座っている横姿。伸ばしていた背筋がグラッと傾いて、看護婦さんがあわてて支えたシルエット。
エー!その子、ウチの娘。何が起こったの?
コンタクト入れようとして、貧血?
・・・彼女、気を失って倒れてしまったのです。
あー、向いていないの?

彼女は、物知りなのですが、超怖がりダイプでもありました。
仕方がないか。そのときは一旦帰りました。

その時、私の脳裏に去来したこと。
あー、この子は、ウェディングドレスもメガネ姿なのだろうか、という想い。
もし、読んでいらっしゃる方があるとすれば、笑ってください。
自分がメガネをかけていないものだから、こんなケース、どうするのか判らないのです。
18歳の彼女はそんなことは想いもしないし、母娘で話題にもしていません。
世間ではコンタクトが当然普及していました。
でも、わが娘はメガネのウェディング・・・、そんな取り越し苦労のお母さんでした。

こんな、母親の陳腐なまでの取り越し苦労、男親は想いも寄らないでしょうね。

幾星霜。
世の中の技術が進歩して、彼女はメガネをかけない生活をしています。

彼女、ウェディングドレスを着るのかどうかは知りません。
だけど、ひとり、おバカな取り越し苦労をしたことを思い出しました。
私、ヤッパリ母親です。





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我が家の場合

2008-10-12 07:37:38 | 子育ての周辺
宮崎あおいさんと関係深いんです。
なーんて、言っても、誰にも判りません。

不思議なのです。
その朝、宿泊先のホテルのテレビでNHKの朝のドラマ(純情きらり)の主人公宮崎あおいさんが挙式を挙げる場面を見て、夕刻、長男のささやかな結婚式がありました。
そして、今年も、またしても二女のささやかな結婚式を終えてホテルでテレビをぼんやり見ていると、篤姫様の結婚の儀が放映されているのです。

なんという偶然。
私だけが「あっ!」と思った秘密(笑い)。

こんな偶然って、あるかしら。
不思議です。

昨日、お隣さんに、二女の写真の何枚かを見ていただいたら、
幸せを分けていただいた気分、と、言っていただいたので、
(お隣さんは、お世辞が上手く、私はお世辞に弱い)
一枚だけ、こっそり掲載してみます。
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道すがらコーラスを聴く

2007-09-07 16:06:51 | 子育ての周辺
遠方の図書館まで、車で30分余りの道すがら、フランス映画「コーラス」で歌われた少年達の合唱をCDで聴く。
透きとおる独唱の響き、整ったハーモニー。
日本封切と同時に観た映画が思い浮かぶ。
ボーイソプラノのあの少年も、今はすっかり声変わりしているだろう。やがては、この美しい瞬間が終わってしまう、そんな期限付きの声調だから、とくに人の心に響くものがあるのだろうか。

子供達3人を引き連れて、今の町に越してきたのは、息子が6年生の8月の終わりでした。
9月の新学期から通いだしたその小学校では、合唱コンクールに一クラスが代表で出ることになってたらしく、息子の転入したクラスが、ちょうど、出場するクラスだったそうです。
夫婦とも仕事を抱え、引越しのてんやわんや、の中で、どうにか新しい学校になじんでくれたら、とそのことで精一杯でした。
「毎日の放課後、合唱の練習をしてるよ」
「歌の練習なのに、腹筋もやるんだ」
「終わったら(途中?)、先生、みんなに飴を一粒くれるんだ」
家事をしている私の耳元で、そんなことを、話してくれたように覚えています。
何しろ、電車通勤と5人分の家事に追われて、「うん、そうー」と、頷く程度でした。
コンクール出場のことは覚えていないのですが、その後に、小学校の文化祭がありました。
時間をやりくりして、どうにか、息子のクラスの合唱には間にあいました。
舞台で合唱が始まり、ワンコーラスが終わったとき、すっと、息子が前に進み出て、一人でスキャトで歌いだしました。
「えっ!」何も知らずに、合唱に間に合った、と耳を澄ましていたのに、自分の子が、わが子の独唱もあり、という、場面に、ビックリしました。
その後で、女の子も一人でワンコーラス、そして、また合唱に戻り、息子達のクラスの舞台は終わりました。

そのころは引越してまだ2、3ヶ月です。
帰り際、ご近所の小学生の子供さんがいる奥さんに、「6年生のコーラスで、独唱したの、お宅のお子さんでしょ。きれいなボースソプラノね」そういわれ、「はい」と返事をしたことは覚えている。息子の独唱は、親ばかだから、思わぬことで、超嬉しいはずなのに、相好を崩さないように、つとめて平常心で返事しました。
普段着の青いトレーナーと黒のジャージーズボンの小柄な息子が、すっと、前に出て歌いだしたときの、ビックリ加減は、母親用の思い出ポケットの中に入っています。
今日聞いた、洗練された「コーラス」とは程遠いハズなのに、消えてしまった息子のボーイソプラノ時代、母親の思い出ポケットの中で進化(ランクアップ)しているのかもしれません(笑い)。

ボーイソプラノは陽炎のように消え行くものだと、判っているから、心打つのでしょうか。車での行きかえり、音量を大にしてフランスの合唱団のコーラスを楽しみました。








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この週末も、後日の思い出となる一日でした。

2007-07-17 12:39:52 | 子育ての周辺
お母さん、心配してる?
ある本で読んだのだけれど、と娘は語る。

二つの選択で迷っている時、そのひとつはハンディというかリスクがあり、もうひとつがそうでない場合、それはリスクのある場合を選ぶ、とその人は書いていた、と。
なぜかというと、選択肢としてその二つを並べたということは、二つの内容的を比べるとリスクのあるほうが、より魅力的という判断が既になされているということなのだから・・・。

うーん。そういわれてみれば、そうだね。

でも、今の私は、なにも心配はしていないし、全然迷うことなく決めてたことだから。

そういって、このお母さんの心配に付き合ってくれている。

昨日の新聞で教育者蔭山○○氏の記事が目に留まった。
「私はよく、考えがぶれないひ人ですね」といわれるけれど、振返って考えてみると、若い頃読んだ三木清の人生論ノートの「幸福について」の章の影響があるのかもしれません云々・・・と。

いま手元に新聞がないので、引用はできないけれど、もう一度人生論ノートを読み直してみようと思う。

確かに、娘の選択は、若さから来る大胆さにあふれているけれど、夢もあるし、将来振返っても、私はぶれていなかったと、多分彼女はそう思うだろう。

あっ、彼女は選択に迷ったのではなく、ダントツに決まり、そんな言い方をしていた。










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