なんだか、ここ2、3日あの頃の光景が頭をよぎる。
朝のダイニングキッチン(広さは6畳程だった)は、小学生3人と夫婦で所狭し状態だった。
子供たちが学校に通っているということは、給食用割烹着やら、体操服やら、連絡事項やらがあって、それが3人もとなると、大賑わいだった。
そして、朝食がすむと、長女が必ずやってきて、「お母さんアタマしばって」と、ゴムを差し出し、私に背を向ける。長い髪をしていた。1メートルほどもあったろうか。ピアノの練習で椅子に腰掛けると三つ編みにした髪の尻尾をお尻で踏むほどだった。
「もう、大きいのだから自分で出来ないの!」
お母さんは大忙しで洗濯物を干して、仕事に出かけなくてはならないのだから…。
そういう気分だった。
食事を終えて、多分新聞タイムだったろう夫は、そんな時こういった。
「結んでやればいいじゃないか。いつまでも言ってくるわけじゃなし。今しか出来ないことだから」
思い返してみても、娘の髪の三つ編みをしていたのは、いつまでだったかは、ぼんやりしている。
確か、今の家に越してきたとき(中学2年の夏)は、彼女の髪はまだ長かった。
転校の挨拶に学校へ行ったときに、校則で肩より長い髪は禁止、と説明されて短くしたのだから。
余禄だけれど、この頃は、学校が荒れるのを気にして、校則による規制が理不尽に厳しかった!前の中学では当然冬に紺のオーバーコートを着用していたのに、転校先の学校では、質実剛健をモットウとかで、オーバー禁止、マフラー禁止で、セーラー服にスカートで冬空を登校したものだ。
すっかり、忘れてしまった遠い記憶を引っ張り出している。
そんな光景があったなんて、と自分で自分に語っている。
朝のダイニングキッチン(広さは6畳程だった)は、小学生3人と夫婦で所狭し状態だった。
子供たちが学校に通っているということは、給食用割烹着やら、体操服やら、連絡事項やらがあって、それが3人もとなると、大賑わいだった。
そして、朝食がすむと、長女が必ずやってきて、「お母さんアタマしばって」と、ゴムを差し出し、私に背を向ける。長い髪をしていた。1メートルほどもあったろうか。ピアノの練習で椅子に腰掛けると三つ編みにした髪の尻尾をお尻で踏むほどだった。
「もう、大きいのだから自分で出来ないの!」
お母さんは大忙しで洗濯物を干して、仕事に出かけなくてはならないのだから…。
そういう気分だった。
食事を終えて、多分新聞タイムだったろう夫は、そんな時こういった。
「結んでやればいいじゃないか。いつまでも言ってくるわけじゃなし。今しか出来ないことだから」
思い返してみても、娘の髪の三つ編みをしていたのは、いつまでだったかは、ぼんやりしている。
確か、今の家に越してきたとき(中学2年の夏)は、彼女の髪はまだ長かった。
転校の挨拶に学校へ行ったときに、校則で肩より長い髪は禁止、と説明されて短くしたのだから。
余禄だけれど、この頃は、学校が荒れるのを気にして、校則による規制が理不尽に厳しかった!前の中学では当然冬に紺のオーバーコートを着用していたのに、転校先の学校では、質実剛健をモットウとかで、オーバー禁止、マフラー禁止で、セーラー服にスカートで冬空を登校したものだ。
すっかり、忘れてしまった遠い記憶を引っ張り出している。
そんな光景があったなんて、と自分で自分に語っている。