日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

いつまでも寒い日が続きます。「極光のかげに」を読んでいます

2008-02-24 10:00:35 | 本・映画・テレビドラマ・絵・音楽
ブログ更新、気力が下がっています。
パソコンのキーは叩いているのですが、投稿というところをクリックせずに、下書きをクリックする、というパターンが何度か・・・。

昨日から、高杉一郎著 新版「極光のかげに」を読んでいます。
先日追悼記事で初めて、名前を知った方です。シベリア抑留体験を記した本とあって、読みたいな、と心に留めていたところ、昨日の朝日朝刊の加藤周一さんのコラム「夕陽妄語」で、再度取り上げられていたこともあり、食卓で、
「アマゾンで買えるかな?」
「多分、その本、ウチにあるよ」
と、返事が返って来た。
「え!」
・・・
・・・
そして、二階の本棚から、少し埃をかぶった本が、私の目の前にやってきました。
随分、前に読んでいたそうです。

昭和52年発行の新書版としての初版本です。
この年は、長男の生まれた年。
私達夫婦もまだ20代。
50年に生まれた長女の世話をしながら、私も、そのころせっせと読んでいた本を覚えています。
住江すゑさんの「橋のない川」
カンボジアのポルポトのニュースを週刊誌が伝えたのもこの頃。
そんな時代だった。
なんて、そんなかつての頃を一瞬思い起こしたりしました。
そのころに、夫が買い求めて読んでいた本なのです。
去年か一昨年に、夫は再読しそうにない本の殆どを処分したのに、残っていたわけです。
ああ、ラッキー。
すぐに読めます。

36歳で1944年に召集され関東軍の満州へ、敗戦でシベリア抑留。
1949年に帰還した後の半年ぐらいの間に、広告の紙の裏に鉛筆で罫線を引いて原稿用紙として書き始めた、とあるくらい、戦後の、帰還後の記憶の濃い時に書き留められたものです。

加藤周一氏の「夕陽妄語」の中の、本書の感想として

捕虜として経験したシベリアの風物を狙いの的確な散文で鮮やかに描き出した。眼のさめるような臨場感。どれほど厳しい経験であっても対象との間に保たれる知的距離。そして折に触れそこにあらわれる繊細な温かい心。
 心あたたかいロシア人の評価と収容所と強制労働の条件のもとで押し付けられた(あるいは「教育」された)イディオロギーの拒否という記憶は、1950年の東京であらためて主張された。

本を通して、出会うことのない人に、出会える。
先人の思いを、自分のうちで、想像できる。
そのことを幸せだと思う。






コメント (4)
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