尾ひれのような旅話ばかり先行したけれど、高野山の杉木立は迫力ありました。
開祖空海は奥の院にお住まいになっていらっしゃることから、そのあたりになると撮影も禁止と注意書きも記されていて、古来からの信仰の世界は守られています。
空海については、学生時代の日本史で知った程度に、数ヶ月前に読んだ司馬遼太郎の「空海の風景」で入手した付け焼刃程度(それも下巻の半分以降は未読)の知識しかありません。
生きたまま地中に埋められて、空気穴から聞こえてくる鈴の音で、空海の命の続いていることを確認したのだ、との話も聞いていて、
…だから、奥の院は「お住まいになっていらっしゃる」という表現なのだと察する。
徳川、織田、豊臣、加賀の殿様、肥前の守、などなどを始め、その後の明治時代の有名人だけでなく、現代の企業名の墓所も連綿と連いている。弘法太子様のお膝近くに骨を埋めたいという先人が随分昔からあったのだという証です。それがお家の格式の証だったり、名誉だったのでしょうか。
「空海の風景」では、彼の才能のぬきんでていたことが書かれていた。
遣唐使船で唐の海岸に上陸したときも、唐に仏教を学びながらの間も、彼の持てる力はフル回転で仏教習得に費やされている。
そんな才能の持ち主である空海がもし現代に生きていたら、やはり宗教界に向かっただろうか。
密教とか曼荼羅世界にいまいち入りきれない(自分の生活に、あまりかかわってこないもので)私メには、彼が今の社会にいたとしたら、どんな生き方を選択しているだろう、と、つい、そんな世俗的な思いを持ってしまう。
理系の分野で活躍しているだろうか?
民の幸福を願うということで、カリスマ政治家か?
やはり宗教家となって、新興宗教の教祖になっているのだろうか?
太い幹が歴史を思わせる奥の院への道すがら、そんな思いが時々脳裏をよぎるのでした。
開祖空海は奥の院にお住まいになっていらっしゃることから、そのあたりになると撮影も禁止と注意書きも記されていて、古来からの信仰の世界は守られています。
空海については、学生時代の日本史で知った程度に、数ヶ月前に読んだ司馬遼太郎の「空海の風景」で入手した付け焼刃程度(それも下巻の半分以降は未読)の知識しかありません。
生きたまま地中に埋められて、空気穴から聞こえてくる鈴の音で、空海の命の続いていることを確認したのだ、との話も聞いていて、
…だから、奥の院は「お住まいになっていらっしゃる」という表現なのだと察する。
徳川、織田、豊臣、加賀の殿様、肥前の守、などなどを始め、その後の明治時代の有名人だけでなく、現代の企業名の墓所も連綿と連いている。弘法太子様のお膝近くに骨を埋めたいという先人が随分昔からあったのだという証です。それがお家の格式の証だったり、名誉だったのでしょうか。
「空海の風景」では、彼の才能のぬきんでていたことが書かれていた。
遣唐使船で唐の海岸に上陸したときも、唐に仏教を学びながらの間も、彼の持てる力はフル回転で仏教習得に費やされている。
そんな才能の持ち主である空海がもし現代に生きていたら、やはり宗教界に向かっただろうか。
密教とか曼荼羅世界にいまいち入りきれない(自分の生活に、あまりかかわってこないもので)私メには、彼が今の社会にいたとしたら、どんな生き方を選択しているだろう、と、つい、そんな世俗的な思いを持ってしまう。
理系の分野で活躍しているだろうか?
民の幸福を願うということで、カリスマ政治家か?
やはり宗教家となって、新興宗教の教祖になっているのだろうか?
太い幹が歴史を思わせる奥の院への道すがら、そんな思いが時々脳裏をよぎるのでした。