「しろばんば」「夏草冬濤」につづく、主人公伊上洪作の中学卒業後浪人時代の物語です。
金沢には旧制四高のレンガ造りの建物が現在も残っている。数年前のOB会に出たとき、小一時間ほどのスケッチをしたことがあります。
私が暮らしていた頃は、広々とした中央公園の真ん中に居座っていたその建物はそのままあったけれど、周りの樹木は大きく育って、あたりはすっかり趣も変っていました。
その公園の一角に、井上靖の詩碑がありました。
詩句は定かではないのだけれど、夜の北陸の海を目の前にした砂浜で星を眺めながら、青年の思いを詩文にしたものでした。いいな、と思ったことははっきり覚えています。
後年の井上靖氏は大作家となり、ノーベル文学賞発表の日は編集者たちと酒盛りして待った、とどこかで読んだことがあるほど、名声高い人でした。
でも、その詩文は、四高に通う青年の心中を語っており、後年の栄誉とは無関係な青年の魂がありました。
「今度金沢に行くことがあったら、あの詩碑読んでみてね」といつもながらのお節介屋のワタシは、つい話題にしました。
たまたま、話の輪の中のひとりが、「最近読んだ『北の海』よかった」と紹介。
前置きが長くなりました。
そんなわけで、金沢の街も出てくる「北の海」を読みました。
平易な書きぶりです。
内容が不甲斐ない洪作青年のドタバタに見えても、筋を追っている読み手の前に、文章が立ち上がってくるような箇所が何箇所かあります。
親のすねを齧った柔道三昧の話ではありますが、こんな仲間の中で、ひとと言うものは成長していくのだな、と解説されているような気分にもなります。
昨今、子育てにしても、勉強や受験にしても、ハウツーを語る人が溢れすぎています。
井上靖氏の中学卒業後ですから、時代は昭和13年頃でしょうか。主人公=作者と言うわけではないでしょうけれど、この物語の書き手は充分、読む側にいいものをプレゼントしてくれる本ではありました。
柔道部員たちは、荒々しい練習で疲れきっているところに、元気者の鳶と2年生で一番弱いと思われている川根と10番勝負をするように言い渡され、誰もが川根は10分も持たずに負けると思っていたところ、結果は川根6勝となった。その翌日、川根と稽古のあとの洪作との会話
―以下抜粋ー
稽古をやめてから、洪作は川根に訊いた。
「川根さんは疲れないのですか」
「そりゃ、疲れるさ」
川根は言った。
「僕などなかなか三十分は続かない。立ち技なら三十分ぐらい何とかなりますが、寝技になると、休むことができないので、三十分やるとへとへとです。川根さん平気じゃないですか」
「そうでもないさ。やっぱりへとへだ」
「そうでしょうか」
「そりゃあ、そうさ。人間だから、誰でも疲れる。ただ、僕は毎日毎日の稽古の時、休みなしにやっている。稽古だけはひとの倍やろうと、自分で誓っているんだ。そんなことでもしないと、僕などが柔道やる意味がないよ。選手になれるわけでもないし、強くなれるわけでもない」
「でも、きのう鳶さんに勝ったじゃないですか」
「仕合だったら負けているよ。最初の一本で決まるんだから。――昨日鳶に勝ったと言っても、あんなのは勝ったうちにはいらん。俺自身勝ったとは思っていない」
それから、
「とにかく柔道というものは面白いものだな。俺みたいに、全然強くなる見込みのない者でも、柔道のやり方というものはある。自分とやるんだよ。相手に勝つんではなくて、自分に克つんだ。自分との闘いだ」
川根は言った。そして、
「な、こうして休んでいるとらくだろう。いつまでも休んでいたいだろう。が、休んでいてはいけないのだ。自分との闘いだ。休みたい気持ちに克つんだ。辛いが、立ち上がるんだ」
そういうと、川根は立ち上がって・・・
―以上抜粋―
作者は、青年洪作をいろんな人に出会わせている。
金沢には旧制四高のレンガ造りの建物が現在も残っている。数年前のOB会に出たとき、小一時間ほどのスケッチをしたことがあります。
私が暮らしていた頃は、広々とした中央公園の真ん中に居座っていたその建物はそのままあったけれど、周りの樹木は大きく育って、あたりはすっかり趣も変っていました。
その公園の一角に、井上靖の詩碑がありました。
詩句は定かではないのだけれど、夜の北陸の海を目の前にした砂浜で星を眺めながら、青年の思いを詩文にしたものでした。いいな、と思ったことははっきり覚えています。
後年の井上靖氏は大作家となり、ノーベル文学賞発表の日は編集者たちと酒盛りして待った、とどこかで読んだことがあるほど、名声高い人でした。
でも、その詩文は、四高に通う青年の心中を語っており、後年の栄誉とは無関係な青年の魂がありました。
「今度金沢に行くことがあったら、あの詩碑読んでみてね」といつもながらのお節介屋のワタシは、つい話題にしました。
たまたま、話の輪の中のひとりが、「最近読んだ『北の海』よかった」と紹介。
前置きが長くなりました。
そんなわけで、金沢の街も出てくる「北の海」を読みました。
平易な書きぶりです。
内容が不甲斐ない洪作青年のドタバタに見えても、筋を追っている読み手の前に、文章が立ち上がってくるような箇所が何箇所かあります。
親のすねを齧った柔道三昧の話ではありますが、こんな仲間の中で、ひとと言うものは成長していくのだな、と解説されているような気分にもなります。
昨今、子育てにしても、勉強や受験にしても、ハウツーを語る人が溢れすぎています。
井上靖氏の中学卒業後ですから、時代は昭和13年頃でしょうか。主人公=作者と言うわけではないでしょうけれど、この物語の書き手は充分、読む側にいいものをプレゼントしてくれる本ではありました。
柔道部員たちは、荒々しい練習で疲れきっているところに、元気者の鳶と2年生で一番弱いと思われている川根と10番勝負をするように言い渡され、誰もが川根は10分も持たずに負けると思っていたところ、結果は川根6勝となった。その翌日、川根と稽古のあとの洪作との会話
―以下抜粋ー
稽古をやめてから、洪作は川根に訊いた。
「川根さんは疲れないのですか」
「そりゃ、疲れるさ」
川根は言った。
「僕などなかなか三十分は続かない。立ち技なら三十分ぐらい何とかなりますが、寝技になると、休むことができないので、三十分やるとへとへとです。川根さん平気じゃないですか」
「そうでもないさ。やっぱりへとへだ」
「そうでしょうか」
「そりゃあ、そうさ。人間だから、誰でも疲れる。ただ、僕は毎日毎日の稽古の時、休みなしにやっている。稽古だけはひとの倍やろうと、自分で誓っているんだ。そんなことでもしないと、僕などが柔道やる意味がないよ。選手になれるわけでもないし、強くなれるわけでもない」
「でも、きのう鳶さんに勝ったじゃないですか」
「仕合だったら負けているよ。最初の一本で決まるんだから。――昨日鳶に勝ったと言っても、あんなのは勝ったうちにはいらん。俺自身勝ったとは思っていない」
それから、
「とにかく柔道というものは面白いものだな。俺みたいに、全然強くなる見込みのない者でも、柔道のやり方というものはある。自分とやるんだよ。相手に勝つんではなくて、自分に克つんだ。自分との闘いだ」
川根は言った。そして、
「な、こうして休んでいるとらくだろう。いつまでも休んでいたいだろう。が、休んでいてはいけないのだ。自分との闘いだ。休みたい気持ちに克つんだ。辛いが、立ち上がるんだ」
そういうと、川根は立ち上がって・・・
―以上抜粋―
作者は、青年洪作をいろんな人に出会わせている。