松代のリゾートホテルで2泊。
松代は大河ドラマ「真田丸」の舞台とあって、町は数年前に訪ねた時と違って観光モードに入っていました。
松代城址は以前訪問済みだったので、界隈にある真田宝物館、真田邸、文武学校を見学しました。
宝物館は町に寄付された代々受け継がれてきた真田家の宝物が展示してありました。
大阪城から真田信繁(幸村)の父と兄側の側近宛にあてた信繁の生前最後となる手紙もありました。勿論墨書は読めないので、内容の現代語訳で読むのですが、状況を思うと痛ましさがにじんできます。
真田邸は1864年に9代藩主の城外御殿として建てられたもの。現存する幕末の大名屋敷です。明治以降は真田家の私邸利用されていたそうです。ちなみに8代当主は老中として幕政に携わっていたとのこと。
文武学校は江戸時代後期に建てられた松代藩の藩校です。講義の間だったであろう畳敷きの部屋のたくさん連なっていたのが印象的でした。もちろん外との仕切りは障子戸。防寒のためのガラス戸もありません。その外側に雨戸があり、片隅には開けられた雨戸が何枚も重なっています。雨戸を閉めることが防寒なのでしょう。今の生活との違いを思いました。
炎暑の中の城下歩きでした。
そのあと、佐久間象山の「象山記念館」に足を延ばしました。以前松代の街を回ったときは、松代壕を訪ね、帰り道に立ち寄ったときは閉館時間となっていました。
幕末の経世家というのでしょうか。幼い時から文武に優れ、江戸へ出て儒学を学び、、、、。徳川の封建の世に近代的思考が雪崩を打って入ってくる、その時代の一人、吉田松陰の20歳ほど年上に当たります。町案内のボランティアさんたちの話でも、今は佐久間象山は町の誇り、英雄です。でも、徳川の世においては危険人物。50代で刺殺されています。この手の記念館に行くと、よくビデオで、人物像の説明があるのですが、その中に、渡辺崋山や河井継之助と親交があったとも出てきました。吉田松陰も蟄居。渡辺崋山(※)も蟄居。佐久間象山も蟄居を命ぜられています。河井継之助は長岡藩士として長州勢力の官軍と戦い討死。ままならぬ世を懸命に生き抜いた賢人たちです。 (※)この春に、渥美半島へいったときに田原町に渡辺崋山の資料館を尋ねました。 知ることは楽しいです。こんな賢人たちがあって、今の時代につながっているのだと思うと、教えられること数知れずです。