日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

加計問題とか。

2017-07-26 11:52:24 | 社会問題
昨日は、いくつものチャンネルが国会中継のLIVE流し、民放は合間合間にボードの解説が入って、微に入り細に入り、です。

あんまり、興味が持てません。素人(外野)のボヤキです。

長らく獣医学部新設が認められなかった。
許認可を支配しているのは?

なんで許認可がいるの?
獣医師がふえすぎては困るから? 誰が?

獣医師業界が、かな。

例えば医者の数は、保健行政に影響があり(健康保険等で、国家予算にモロに影響が来るから)、調整も必要かもしれないけれど、獣医師さんは民間事業だから、規制の必要がないのでは?と素人は考えます。

そこのところを規制して、既得権の劣化を防ぎたいという業界があるのでしょうか。

文部省がその業界の思惑を組んで、長らく認可しなかったのかな?

その規制を打ち砕く政策が、このたびの特区扱いでの新設。

でも、そうなったとたんに、便宜がセットでついてくるというのは、何で?

公平であってほしいのに、便宜を図ってほしいひとと、便宜を図るスタンスを利用する人。

古来、政にはついて回ることなのだろうけれど、うんざりしています。

重箱の隅をつついたような議論に終始するだけでなく、一般的な学部新設のパーターンと比較して、どこがどう特別で、というところを開陳してほしいものです。

何年か前に、法学部の上部組織として法科大学院が作られました。われもわれもと70を超える大学が法科大学院を作りました。その後、本来の目的達成できないということから、進学希望者が激減して、急速な縮小傾向にあります。
1校だけの新設だから、業界への影響は大波ではないかもしれませんが、こそっとやって、誰かが得をする、という流れを「国」がやるのは、うんざりです。

議論を右往左往させて、時間を消化して終わるを待っているのでしょうか。政治ってそんなもの?

なんだかな~、です。





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映画『ペインテッド・ヴェール  ある貴婦人の過ち』を見る。★★★★

2017-07-26 09:05:51 | 映画・テレビドラマ・音楽
なんだかな~、というタイトルです。
日本のお昼のテレビドラマのタイトルみたいですね。苦笑
先日見た(今度、友人らと映画鑑賞会をする予定のジェーン・オースチン原作)『マンスフィールド・パーク』を見た人におすすめ、という案内があったので、ま、見てみるか、とクリックした程度でした。

鑑賞途中で、「なかなか骨のある映画」という印象に変わりました。副題が観客を遠ざけているケースです。トホホ
2006年製作ですが日本で公開されていなくて、2014年DVDで発売になった作品です。
原作は、サマーセット・モーム『五彩のヴェール』だそうです。

以下、ネタバレあり。

時代は1925年。イギリス人カップル(細菌研究者で医師の夫ウェルターと有産階級育ちの妻キティ)が上海で暮らし始める。
まじめな研究者の夫に愛情を抱いていないので、上海で知り合った有妻の男性と情事にふけるようになる。
夫が気づくことになるが、直接責めることはなく、しばらくして、コレラの流行している僻村に赴任することを告げる。
妻には、同行するか、離婚するかを選択するように、と。

同行する気持ちもなく、離婚を考え、情事の相手に結婚を迫ると、そのつもりはないと断られる。
結局、僻村に赴任に同行する。

村はコレラの蔓延と国民党のイギリス人排斥運動で、日中ひとりで過ごしている妻は孤立感にさいなまれる。
イギリス人の修道女らが活動している修道会の孤児院の仕事を手伝いたいと申し出る。
妻の見返りを求めない修道女らの活動に心を動かされたという話題に、
夫は、それは一面であって、村の貧しい家族へのわずかなお金と引き換えに子供たちを引き取り、クリスチャンに育てようとしているのだよ、とも。子供たちは生活費稼ぎとして手仕事をさせられています。
…原作者の視点がシビア。


心の通わない夫婦。

妻:あのとき(情事の最中だと気付いたのに)なぜドアを開けなかったのか。
夫:自分のプライドが傷つきたくなかったから。

妻:あなたは、わたしを軽蔑しているでしょ?
夫:イヤ、キミではなく、僕はキミを好きになった自分を軽蔑している。

夫は内省派の研究者なのです。

コレラの蔓延を食い止めようと奔走する夫。井戸水、蔓延地域の川の水が汚染源となっていると突き止め、上流で水車を作って、水をくみ上げて竹で作った水路で生活水を確保しようと必死に働く夫。

コレラ蔓延地域からの難民キャンプで奮闘する夫。
「感染が危ないから、もう町に来るな」との夫からの伝言を聞いて、妻キティも地域の人たちのために、という思いのたけを修道女に告げる。

修道女は、毅然と断り、今あなたが選択すべきなのは、ここで犠牲になることではない、と諭すのです。

(このコレラ感染地域の修道院で働きたいのは)義務だから、という妻キティに対して

修道女のセリフ。

(今のあなたは、あなたを愛しく思う夫の伝言に従って)汚れた手を洗う。それが義務よ。

わたしは17歳の時に恋をした。
神様に。
バカな少女だったわ。
宗教に人生を捧げることを夢見た、情熱的な恋だった。
でも、長い年月で変わった。
神に無視され、失望した。行きついた先は穏やかだけれど無関心な結びつき。
老夫婦は並んで座りながら、ほとんど話さないでしょ。私が神を捨てないのは、義務だからよ。
でも、愛と義務が一体になれば、恵は大きいわ。


このシーンの翌日。
夫が発病したとの知らせが入る。
コレラの発病は命取りです。身ごもっていた子供の誕生を見ることもなく、夫死亡。

その5年後。
イギリスにもどって5歳になった息子を連れた妻。
偶然に情事の相手と出会う。

挨拶を取り交わす。

また、会いましょうという男に。

さようなら

でオシマイ。


パールバックの「大地」の文庫本の4冊目ぐらいの時代(3代にわたる長編物語なので)を思い浮かべたりもしました。
中国人がヨーロッパ人の使用人に成り下がっている時代です。
そして、パールバックも宣教師の子供として中国にわたっているので、この時代のキリスト教布教の空気を知っているのだろうな、などと思ったりしていました。

キリスト教会が孤児を養子縁組の代償としてお金を受け取っているという映画を2作品見たばかり(イギリスから大量にオーストラリアへ移送した実話。裕福なアメリカ人に金銭で売り渡された実話)のこともあり、またか!!という思いなくもない、でした。

誠実な信徒さん、すみません。













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