日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

「流れる星はいきている」藤原てい著を読んだ

2012-06-05 07:04:22 | 
藤原ていさんは大正7年生まれ。
昭和20年の8月満州から朝鮮を通って引き上げてきた記録です。
当時のていさんは27歳。5歳(長男)と3歳(次男)と0歳(長女)の3人の母親。
夫は観象台勤めの公務員だったけれど、男性は指令があって引揚団のなかに残ったのは、病弱で臥せっていた男性一人だけ。
3人の子供を抱えた27歳が、ありったけの知恵を絞り、何とか子供たちを死なせないで日本へ連れ帰ろうという気迫に圧倒される。
履物がなくはだしで歩くものだから、足の裏は傷つき、化膿し、その化膿したところに砂利がいくつも食い込み、という痛さが読んで1週間も経つのに、時々私の頭を駆け巡る。次男も靴がなくて裸足。痛くて歩けないという子供に叱声を浴びせる。歩くのをやめるのは生きることをやめることだから。
川を渡るから当然服は濡れる。着替えもない。ひもじい日々で体調極悪。下痢もする。着替えはない。集団で貨車に詰め込まれて、下痢の子供連れ。臭い、非常識とののしられるが、この状態で、罵るほうが非常識と駆り返す。迷惑をかけているのは百も承知。でも貨車から降りたら終わりです。どうしようもないのです。生きたいのですから。

圧倒され続けた後遺症なのだろうか、いくつかのシーンが目に浮かぶ。
20代の母親のくぐってきた体験。
幸い、その後は平和でこんな苦難はないけれど、どこかの戦地で、母親は子供を抱えて・・・、はまだなくなってはいない、のだろう。

昭和24年に発売されてベストセラーになったとか。読んでよかったです。

追記:
夫は後日小説家になった新田次郎さん。次男は「国家の品格」などで有名な数学者の藤原正彦さんです。
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