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日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

インド洋津波から10年、というニュースを目にして、ひとりごと。

2014-12-27 08:55:58 | 私の雑感あれこれ
昨日は10年目ということで、インドネシアなどの各地で行われた追悼行事がニュースになっていました。
もう10年なのか、という思いで、ひとり振り返る日でした。
しっかりと当時の自分を記憶している、という感覚があります。大人だから、当然かな。笑

あの頃、アジア地域関連のNPOにボランティアとして関わっていました。
そういうこともあって、私としては困っている被災者へ義援金を、と行動するのが自然でした。
でも、その組織は腰が重くて(NPOの本来の仕事とは別物だ、という発想。専従者にとっては、余計な仕事は過重負担ということだったのでしょうか)、それでも、会員たちからは義援金は集まりました。
私が接した人は、集まった義援金の第2弾を持参して現地へ行き、「『何にでも使ってね』って置いてきたわ」と、NPOとの関わりのある人に渡してきたと言っていました。
口にはしませんでしたが、心中で「アレッ!」と。
…彼女は私物化する人ではありません。でも、そういう形だったら、それから先が…、と思ったりもします。
「(義援金を募ろうと意気込んでも)な~んだ、そういうことになるのか~」と、勉強したものです。

彼女が現地入りしたのは、被災1年後であり、地域の現状などをレポートにまとめ、その編集というボランティアだったこともあり、えっ!と思わされる現状を知りました。
①被災間もない頃は、救援物資を運ぶトラックが武器を持った追い剥ぎに遭うこともあり、ままならない。
②多くの国の救援が来ているので、救援される側の被災者たちは、こっちの国よりあっちの国に救援された方が手厚い、などの苦情がではじめる。
③復旧工事も最初は現地人の仕事になったのに、次第に都会の企業が請け負って、現地の人は下働きの仕事になってしまう。
④それでも、世界中が自分たちの地域に目を向けてくれているから、今はありがたい、という感想も聞こえてくる、
ということなどでした。
しばしばアジア地域に出向いている被災メンバーのレポートです。
地震被害から立ち直るには、4つの段階がある(それなりの年数を要する)、という記述だったように思います。

編集ボランティアの私は、つなみと復興について、10年前にこんな形で学習しました。

その後に起きたのが、日本の東北地震です。
地域的に遠いこともあり、傍観者。
やはり寄付になるのでしょうか。
今度は、闇雲に、ではなく、自分なりに納得のいくやり方をしました。

東北地震のあと、東京の飲料水にも放射能反応が出た!とか、停電になる、とか東京がテンヤワンヤしていた頃、東京で初孫が産まれました。

何よりも、無事に生まれたことが、ありがたかった、です。
母胎にいるときに、意識不明の交通事故を経験していたものですから。

その3.11の2年後は、もうひとりの孫の出生後1ヶ月での手術日でした。

それなのに、今は、そのあとにも、ふたりの孫が健康に生まれて、今4人になっています。

10年前は、50代半ば。
アジア関連のボランティアに首を突っ込んでいたのは、すっかり昔話です。
いまは今で、地域のボランティアに関わっています。
さて、10年後の私はどうなっているのだろう。

この10年で、私は正真正銘のおばあちゃんになりました。
10年というタームの感覚を改めて思います。
あとふたタームあったら幸せものですね。

さしあたって、今日に続く次の一年を実り多いものにしたいと思います。

このブログも10年超。
10年後も続けているかしら。

白内障の手術のおかげで、老眼鏡ナシの生活になっています。
10年後のあなたは、どうでしょうか。










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