この1週間は、2泊3日で北長野方面に行ったほかは、自宅でゆっくりした。
その間パソコンをONにすることもなかった(ipadで閲覧はしているのですが、入力作業はしなかったということ)。
で、久しぶりのパソコン。
その間去来していた記事を貼り付けておきたい。
以前にもご紹介した、川口マーン恵美さんの「現代ビジネス」のコラムです。
「娘たちの甘い理想主義に反論しつつ「世界平和」について考えてみた」
私の中に、「困っている人の役に立ちたい」という思いは、結構早くから棲みついていました。この記事で言えば、娘さんの気持ち、でした。でも、それはどちらかというと
自分の生活を変えない範囲で、というものであり、川口さんの理想主義に対する返答は、正面から問題を考えるよい文章だと思いました。
川口さんは、娘への返答として、アフリカ人全部がドイツにやってきたいということになっても受け入れるか。今の豊かさを手放し、社会保障制度の劣化することになっても、難民を受け入れることを指示すべきか、と正面から問題提起しています。
貧しい国の現実は、実は国政の形が、民主主義国とは別形態というか、一部の特権階級に富が集中している(外国からのODAなども、特定の人たちを富ます結果になっていたりする)、という欠陥を抱えている場合が多いといわれています。
極めて困難だけれど、貧しい国の中の優れた人たちが、優れた代表を選ぶことの大切さが大事だと書かれているけれど、その実現への道のりはさまざまなのでしょう。
-エピソード-
途上国であるR国人が、日本で1ヶ月暮らして感じたことのひとつを思い出します。
日本は街を歩いていても、誰が金持だか貧乏人だか判らない。⇒服装などの見かけで貧富の差が如実に現れていない。社会保障制度の整っていない国では、自助しかなく、飢えとの隣り合わせなのでしょう。
そういえば、文化大革命の翌年に日本に来た中国人からも聞きました。
日本って言う国は、きれいですね。乞食がいっぱいいると思っていました。⇒多分、60年代生まれ世代は、日本は資本主義(帝国主義)の国で、その弊害として、貧富の差がひどくて、貧しい人が街路で乞食をしているというイメージを植えつけられていたのでしょう。
誠実な若者に育ったものから突きつけられる課題は、掲げたい旗ではあるけれど、船が沈没しては、助けることもできなくなる、そう思う私は、やはり川口マーン恵美さんに近い。
-付け足し-
昨日、テレビで国連高等弁務官だった緒方貞子さんの振り返り番組をみました。
かつて耳にした彼女の言葉で、ずっと私の心に残っているものがあります。
「難民って、みんなかわいそうな人、気の毒な人、と考えて、よい人たちばかりに勘違いしては間違いです。平気で嘘をつく人も要るし、悪いことをする人も混じっている、それが実際であることを知っていないと勤まりませんよ。」
こんな意味合いの言葉を彼女の口から聞いて、現場で難民救済している人たちの人間理解の深さを思ったものです。
私は、言葉フェチなのでしょう。
「あっ!」と思った言葉の山を宝箱にしまっていて、ときどきひとりで眺めています。
とりとめもない駄文にお付き合い頂き、ありがとうございました。
その間パソコンをONにすることもなかった(ipadで閲覧はしているのですが、入力作業はしなかったということ)。
で、久しぶりのパソコン。
その間去来していた記事を貼り付けておきたい。
以前にもご紹介した、川口マーン恵美さんの「現代ビジネス」のコラムです。
「娘たちの甘い理想主義に反論しつつ「世界平和」について考えてみた」
私の中に、「困っている人の役に立ちたい」という思いは、結構早くから棲みついていました。この記事で言えば、娘さんの気持ち、でした。でも、それはどちらかというと
自分の生活を変えない範囲で、というものであり、川口さんの理想主義に対する返答は、正面から問題を考えるよい文章だと思いました。
川口さんは、娘への返答として、アフリカ人全部がドイツにやってきたいということになっても受け入れるか。今の豊かさを手放し、社会保障制度の劣化することになっても、難民を受け入れることを指示すべきか、と正面から問題提起しています。
貧しい国の現実は、実は国政の形が、民主主義国とは別形態というか、一部の特権階級に富が集中している(外国からのODAなども、特定の人たちを富ます結果になっていたりする)、という欠陥を抱えている場合が多いといわれています。
極めて困難だけれど、貧しい国の中の優れた人たちが、優れた代表を選ぶことの大切さが大事だと書かれているけれど、その実現への道のりはさまざまなのでしょう。
-エピソード-
途上国であるR国人が、日本で1ヶ月暮らして感じたことのひとつを思い出します。
日本は街を歩いていても、誰が金持だか貧乏人だか判らない。⇒服装などの見かけで貧富の差が如実に現れていない。社会保障制度の整っていない国では、自助しかなく、飢えとの隣り合わせなのでしょう。
そういえば、文化大革命の翌年に日本に来た中国人からも聞きました。
日本って言う国は、きれいですね。乞食がいっぱいいると思っていました。⇒多分、60年代生まれ世代は、日本は資本主義(帝国主義)の国で、その弊害として、貧富の差がひどくて、貧しい人が街路で乞食をしているというイメージを植えつけられていたのでしょう。
誠実な若者に育ったものから突きつけられる課題は、掲げたい旗ではあるけれど、船が沈没しては、助けることもできなくなる、そう思う私は、やはり川口マーン恵美さんに近い。
-付け足し-
昨日、テレビで国連高等弁務官だった緒方貞子さんの振り返り番組をみました。
かつて耳にした彼女の言葉で、ずっと私の心に残っているものがあります。
「難民って、みんなかわいそうな人、気の毒な人、と考えて、よい人たちばかりに勘違いしては間違いです。平気で嘘をつく人も要るし、悪いことをする人も混じっている、それが実際であることを知っていないと勤まりませんよ。」
こんな意味合いの言葉を彼女の口から聞いて、現場で難民救済している人たちの人間理解の深さを思ったものです。
私は、言葉フェチなのでしょう。
「あっ!」と思った言葉の山を宝箱にしまっていて、ときどきひとりで眺めています。
とりとめもない駄文にお付き合い頂き、ありがとうございました。
川口さんは、素敵なお嬢さんたちをお持ちですね。
うちとは大違い(笑)。
世界平和だの、貧しい人々を助けたいだの、これっぽっちも思ってなさそうです。
上の子は、目下、目標数字に達成できるかどうかギリギリの線で無我夢中、下の子は、自動車学校で汗かいてます。
先日、NHKで新富裕層が税率の低い国に移住していく状況について放送していました。
これも、考えさせられました。
娘のひとりは途上国の収入のない大家族の息子と結婚しました。先進国から途上国援助メンバーとして関わって見えるものと、家族になるのとの違いを思います。遠くに見聞きする話ではなく、偽造パスポートで渡米した、なんて話が身近に伝わってきたり!
彼と娘は、彼の家族のプラスにもなるだろうと事業を始め、なかなか軌道に乗らず、娘は日中、留守にできないので深夜労働も始めたりしました。そんな中で、つわり。1週間の休暇しかとれず、つわりを押して深夜労働に行こうとした日に、あの交通事故でした。
意識が戻って、最初に口にしたのは、「○○は、交通事故の原因が、○○の家族への援助資金がらみで無理をして働こうとして交通事故にあったと気にすると思うから、お母さん、○○には、そのことで責めないでね」でした。私は、娘の問題であって、○○のせい、という発想はなかったですけどね。
川口さんのように、きちんとした回答を返すことができたらと、力不足です。娘可愛さで、なんでそこまで?とギクシャクもありました。
ととさん、同じ年頃のお嬢さんを育てていらっしゃるから、想像もつくでしょう。娘は、彼の家族に会いに行くときに、自分の着替えなど最低限にして、両親、兄弟、甥姪へのお土産を重量制限いっぱいに詰め込んでいきました。彼の家族は日本からの仕送りでの生活でした。弟妹は彼の仕送りで大学生活を送ったのです。
そう、娘はそんな○○をリスペクトしたのでしょうね。
途上国問題への関わり方、つい身辺に昨今起こった事柄を引き合いに出して考えてしまいます。
娘も、並大抵のパワフルさではないタイプなのでしょうか。近頃はそう思うことにしています。
このところラジオなどで聞いた話と関連づけて、「世界はひとつになるだろう」を書きました。だらだらと長くなってしまいましたがよろしければお読みください。
お嬢さんは普通の平凡な女性じゃないんですよ。そういう非凡な人たちの、献身的な行動の積み重ねで世界は少しずつ変わっていくのだと思うんです。だからね、こんなこと言ったらいけないけど、世の中のために母心をちょっと封印して、非凡なお嬢さんをもたれた運命を受け入れてもらうしかないのかな~と思うんです。ごめんなさいね。
うちのような超平凡なこども持つとですね、いくら子供に、人の役にたつ人になってほしいとか、ひとかどの人物になってほしいとか願っても、そういうのは無理なんだとわかります。平凡な子は、平凡に、世の中の流れに翻弄されつつ流れに沿って生きて行くしかない。非凡な人は、世の中の流れを作る側にまわったり、自分から流れに逆らって生きていくのだと思います。
街中の案山子さんの心情、すごくわかるけど、でも見守っているしかないのでしょうね。
でも、ほんとに素敵なお嬢さんですよ!ありがとうございます!
退院後に一度会って以来、2年以上あっていません。
意識が戻るのに相当かかった交通事故だったので、後遺症もそれなりに抱えたらしいのですが(片耳が聞こえない他)、間接的に伝わってくる情報だと、「もう事故のことは忘れたい」と、前向きらしいです。
当時妊娠8週目でお腹にいた赤ちゃんも無事産まれ(本当に心配しました)、また第2子も最近産まれたらしいです。すごいでしょ。全然親を頼らず、切り抜けているようです。
世の中なんでもあり。無事な2人の子供を授かれたという強い運を持っている娘です。
ふふふ、余りにも、で笑っちゃうでしょ。私に与えられた道、です。