日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

司馬遼太郎ワールド楽し。「歳月」上を読了。

2015-10-23 05:18:14 | 
時代は明治維新が歩を進め始めたところ。

先に長岡藩士河井継之助を描いた「峠」上を読んでいるとブログ記事を書いた日付が、9月29日。「中」「下」を読了して、次に江藤新平の「歳月」を読み進めているということで、まぁ、読みたい本を抱えている日々が続いている、という昨今です。

嘉永、安政、万延、文久、元治、慶応、明治と年号が連なっている。
年号の前後がぼんやりしないために、年号表をプリントアウトしたりしている(苦笑)んですよ。

峠は明治維新の10年ほど前から始まって、慶喜が大政奉還した後も、長年徳川の封建制度の中で禄をもらってきた忠君の道から外れることを良しとせずに、政権の転覆を目指している薩長に立ち向かう藩(継之助の行政を任せられる家老職に就いている)の顛末です。
慶応4年=明治元年の夏、長岡城を奪還しようと挑んだ戦いの中で被弾し、それが落命となります。司馬さんの筆で、すっかり河井継之助の思考回路理解者になってしまっている読者(私)は、大きな世界の流れの中で、この道しかとりえなかった彼の末期に熱いものがこみ上げてきました。

電子書籍で読んでいるもので、読了後に、ついつい、次の本も、というお誘いに載せられてしまって、ハイ「歳月」(上)をクリック(購入)。
あっという間、5分後には読み始められるのです。
今の世の中、自宅が本やの隣以上に近いのです!


さて「歳月」。
幕末に下級のそのまた下ほどの、末端の武士階級。父親も咎を受けていたりして、極貧の江藤新平です。
佐賀藩です。戊辰戦争も知ってはいましたが、大政奉還後の暦が戊辰の年に各地で起きた佐幕派と勤王はの戦のことと再認識。河井継之助たちの革命軍と戦った北越戦争も戊辰戦争と同類です。国が大きく変わるのですから、あちこちにくすぶりが生じ、右へ転ぶか左へ転ぶかという状況であったのだと、読書という手段で歴史の中に連れて行ってもらっています。
慶喜が政権放棄したのですから、それに代わるシステムを作らないと、虎視眈々と狙っている外国にも太刀打ちできません。
行政というものが重大な役割となってくるのですが、倒幕の勇士たちは必ずしも行政に長けているわけではなく、さんな中で、理論家江藤新平は重用されていきます。
武士階級が廃止しただけでは、彼らは食べていけません。そこで、足軽に至るまで俸禄が決められました。その俸禄の総額が2600万石となり、国家収入の半分近くになり、残りで国を動かしていくのは到底できない、この仕組みを変えてしまわないと、たちまち外国に乗っ取られる。士農工商を廃止した武士たちには一時金として支払い、末代支給するという制度廃止を構想します。

司法の独立、民法を作る、などなど、山積の仕事を切り抜けて今の日本に連なっているのだと、制度の発生源をのぞき見るような思いです。
内閣なんていう仕組もない時代ですから。

明治4年から2年間、岩倉具視ら立国の重鎮たち(行政職の8割)が先進国の実態を視察しようと世界一周に旅経ちます。そんなにすっぽり抜けてもいいものか?と思うのですが、行きたかったのでしょうね~。
留守番役とは、帰ってくるまで、大きなことは決めるな、変革するな、と誓約書を取り交わしたりしているのです。

その重鎮ら留守の間に、国に残った、西郷、板垣らを筆頭として出てくるのが「征韓論」。勝手に決めても、、、、なんですが。当時の帝国主義欧米のやり方に倣うと、という発想でいくと、江藤新平も征韓論派です。


司馬さんの解説に、そういうことだったのか、と納得させられながら、現在進行中の私の読書です。









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