日々是好日・スローライフ(寅さんの柴又から発信)

・日常・創る・彩る・考え・綴る
・フジノ会・探検団・かめの会(俳句)
・家庭菜園 ・ めばえ・成長・収獲

小学校の歴史変遷

2016年10月08日 | 社  歴史考察

むかしは尋常小学校から始まった。

 

 用事が有って『葛飾区郷土と天文博物館』を訪れた。
そこには、むかしの卒業証書から見た、小学校の変遷が掲示されていた。

 

     ←クリック拡大
博物館前の球形モニメント

 

卒業証書と小学校の変遷

 

 

 

小学校校令による変遷 

 

・ 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令の施行により、
                                            高等小学校は国民学高等科となり、高等小学校は消滅。

     ・ 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)により、
                                             国民学校高
等科は新制中学校に改組される。

 

縄文人は、国民学校初等科1年生(昭和17年)として入学しました。 

 

 

新制中学になり仮の校舎が増設された。小学6年生の時)

いきなり学制改革がおこなわれ、新制中学校が3年制となり、校舎が不足した。
その様子をまざまざと見ていた。学校の物置が教室に変わった。

中学生になりこんな体験をした。
その物置は、トタン屋根の平屋でしたから、夏は居られないほど暑くなった。窓を開けても汗がにじんで出た。

先生が呼び掛けた。
学校の周りに生えている木の枝を切り取って、屋根を覆いましょう。

この効果も4~5日すると葉が萎れてしまい
教室は、元の暑さに戻っていた。

新制中学校が増設されたのですから、
どこの地方でも校舎不足は深刻であったと思われます。

夏の暑い熱い思い出でした。

 

コメント欄は閉めています。

 


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 東京拘置所(小菅)矯正展 ... | トップ | 彫刻屋台の祭り見物、≪鹿沼秋... »
最新の画像もっと見る

社  歴史考察」カテゴリの最新記事