日々是好日・スローライフ(寅さんの柴又から発信)

・日常・創る・彩る・考え・綴る
・フジノ会・探検団・かめの会(俳句)
・家庭菜園 ・ めばえ・成長・収獲

阪神淡路大震災

2020年01月17日 | 社  歴史考察

1,17「刻む」「伝える」
あれから25年

 

25年前の俺(縄文人)は、5,45分ラジオで一報を知った。

NHKラジオ深夜便を引き続き聞いていた。「神戸が燃えています、地震です」一報からでした。

あれから25年が経ち、阪神淡路は復興しました。

住民の皆さんからコンセプトを募集したところ「刻む」「伝える」が決まったそうです。

17日深夜、「NHKラジオ深夜便」 は、関西発で一晩中特集報道していた。


地震対策にはいろいろと、食料・非常持ち出し・安否確認方法等いろいろ有りますが、
「家具の転倒防止・固定」だけはして置きたいものです。


燃え上がる市街地


鎮 魂


 25年後手を合わせる人達


2020コンセプト「きざむ」

報道画像からお借りしました。

お断り。
既に、「八幡神社古墳」をUPしましたが
次回へ回しました

 

open


コメント (12)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« キャプテン翼かつしか2020 | トップ | 八幡神社の古墳 »
最新の画像もっと見る

12 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (kazuyoo60)
2020-01-17 07:12:42
25年ですね。震源地がなかなか表示されなかったですね。段々と伝わって、余計に震えました。震度4だった奈良、それさえも初体験の揺れでした。
それに父母も存命でした。早く過ぎた気もしますが長かったです。
返信する
あれから25年 (どんこ)
2020-01-17 09:01:55
早いものですね。
今朝はそのニュースで思いを新たにしました。

私の在勤中の卒業生が神戸の大学に在学中でした。
帰省中でしたが成人式のために予定を繰り上げて
神戸に戻っていて犠牲になりました。
才色兼備の聡明な女の子でした。
返信する
kazuyoo60さん (縄文人)
2020-01-17 10:50:35


八幡神社後に回しましたすみません。

奈良で震度4でしたか、近いから怖かったでありましょう。

昨晩から今朝までラジオ深夜便を放送中でしたから、これを記事にしようと朝早く手がけました。
とにかく空が真っ黒でした。

返信する
ドンコさん (縄文人)
2020-01-17 11:01:15


TVよりラジオ派、そんなものですから昨晩は一晩中ラジオでこの地震関係をしていました。

25年前もたまたま聞いていてラジオからいち早く情報をキャッチ。
昨日の様に思いだされました。

地震は東北は津波  1,17は下敷きこれに火災、熊本は家の破壊どれを取りましても地震の恐ろしさには目を奪われて

朝ご飯を食べながら今度は関東、南海地震とY婦と話し合いました。

返信する
Unknown (もか)
2020-01-17 11:41:47
縄文人さん、おはようございます♬
朝、ニュースで知ったと時は 大きな地震で大変だなとおもいました。
でも 次々に送られてくる映像を見てこの世のものかと思いました。

返信する
思い出しました。 (とんちゃん)
2020-01-17 15:00:10
こんにちは!
昨夜?、ふと目が覚めたのが12時過ぎで、ラジオが阪神淡路大震災から25年・・・と
あの日、私もそろそろ起きなくてはと上体を起こしたとたんにド~ンと来ました。
また布団をかぶって揺れが収まるのを待ちました。
我が家はボイラーが壊れたぐらいで済みましたが、川西にいた妹は幸い無事でしたが、箪笥も食器棚も倒れて家も住めなくなりました。
忘れないうちに次々と災害がやってくるようになりました。
返信する
もかさん (縄文人)
2020-01-17 16:38:48


阪神には絶対地震は起こらない:……
神話の様に伝えられていた。
それがあの状態、ナマズの威力はとても強かった!!

今度は関東と思うのが人間の常!!
返信する
とんちゃん (縄文人)
2020-01-17 16:46:03


5,45フン、トツゼンNHKのラジヲが中継に変わった。
ヘリからの中継でした。
ラジオとTVの二元中継に夜って聞いた覚えがあります。


そうですか岡山では当然に、あの余波を受けたでありましょう。
地震・雷・火事・親父…と小さいときに教えられましたが地震は凄いです。

返信する
あれから25年 (momomama)
2020-01-17 17:33:37
こんばんは~ 
現在長崎に住む姪は 神戸で被災しました。
妹の娘なんですが 私と妹は9時から公民館で古典の講義を聴いていました。
2歳の息子を抱えて 葉難所へ行った姪は 離れ離れになったときのために
息子の腕に マジックで 九州の電話番号を書いていたそうです。
入院していた亡母は 孫にお金を全部送ってやってくれと
さもたくさんあるように言ったものです。

姪は がれきの中に立ったままの上半身の遺体があったのを忘れられないと
時々パニックになりました。
災害が 無いように・・・本当にそう願います。

返信する
25年は短い! (ぶちょうほう)
2020-01-17 22:02:01
縄文人様 しばらく休み、失礼しています。
1995年の12月でしたが、勤務先での配置転換により、神戸市三宮のある建物の、震災後の修復作業に携わったことがあります。
震災直後のひどい状態からは既に立ち直りつつある街並みでしたが、それでも探せば崩れたた建造物が散見されました。

あれから25年も経ってしまい、記憶が薄れがちですが、それから後も日本各地で重大災害が続きましたね。
地球活況が変化して災害なども激化しやすい昨今であるだけに、あの災害を忘れずに、備えを怠ることなくしておかねばなりませんね。
返信する

コメントを投稿

社  歴史考察」カテゴリの最新記事