山田監督を、柴又帝釈天に案内する(早乙女勝元氏)
この出会いがなかったら寅さんは
生まれていなかったかも?知れない!
わが家に訪れた、山田監督を息抜きが必要と、
酒もやらない山田さんを、歩いて10分ばかりの柴又帝釈天へ案内した。
柴又帝釈天参道
その時の様子を監督は次のように書いている。
参道の土産物屋が並ぶ通りには、古い東京の下町の街並みと、生活が色濃く残っていた。
高木ややという団子屋で、おでんと茶飯をご馳走になった。よもぎの強い香りのする草団子と言うものを初めて食べた。何もかも珍しかった。
もし僕が早乙女さんと出会わなかったら、寅さんの故郷は葛飾柴又ではなかったであろう。
いやひょっとすると、寅さんそのものが誕生していなかったかもしれない。
(図書新聞・1994,5,14)
早乙女さんと吉田監督の食べた、茶飯とおでんの食事
高木屋の店構え
高木屋の団子
柴又発・4
興行師だった父(早乙女勝元)
興味を抱いた山田監督
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茶飯、お茶で炊いたご飯かなと想像しています。奈良では番茶を茶袋に入れて炊いた茶粥が有名ですが、我が家では白粥でした、
草餅も、草団子も大好きです。小豆餡もです。
あの団子やさん 食事もできるの?
山田次郎さんは満州鉄道の技師の子供、小さいときから父の仕事場のSL機関庫で遊んでいたとか。「寅さん」には田舎のSL,駅がラストシーンでよく出てきます。
東京の横丁・・・青年時代親しんだのは新宿西口しょんべん横丁、文京区関口の地蔵横丁、雑司が谷の鬼子母神あたりの横丁、荻窪の駅そばの横丁…いろんなところを思い出します。
「男はつらいよ」の舞台設定・・・葛飾柴又以外にはないですね。
駅、参道、商店街、お寺様、零細企業工場、江戸川堤、矢切の渡し...すべてそっています。
・失恋の 寅さん矢切の 船で行く
・江戸川の 風に「あばよ」と 寅涙
早乙女勝元さんと山田洋二監督とのかかわりを今初めて知りました。
”寅さん映画は、なぜ・・『柴又の街に』、誕生秘話”はこちらではシリーズの記事になっていて今回が「柴又発」の第三番目に当たるのですね。
最初のものから読み上がってきました。
あの映画では下町の情景が良く描かれていると思いましたが、山田監督と早乙女さんの篤い交友あればこそのことでしたか。
小生的には映画の中でしか知らない世界ですが、次回以降の展開を楽しみにしています。
いつも一番乗り有難う後御座います。
この寅さん誕生秘話は、我柴又、いつも何かと言えば帝釈天、
そして早乙女氏も高砂に居住・・・・そんなことから、興味を抱いて連載にしました。
奈良、寅さんと言っても
好きな人、あまり興味ありません・・・・。
わが街柴又なので取り上げ懐かしんでいます。
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柴又は何と言いましても寅さん、切っても切れない縁なんです。
寅さんが全国区に引き上げてもらった力持ちだからです。
連載で楽しんでいます。
早乙女勝元・作家と言えば、やはりおっしゃる様に、下町大空襲をが有名ですね。作家早乙女さんも、自叙伝を読んでみますと、売れない作家で最初は苦労したようでした。
変える駅が新宿でしたので、しょうべん横丁も横目で見ながら、今は名前を変えて・・・・懐かしい限りです。
仕事場が、富士tvの近くでしたから新宿に出ましてつい寄り道でした。
▲ 失恋の寅さん土手で昼寝する
▲ 柴又の駅で手を振るサクラかな
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葛飾柴又は、寅さん無くして語ることが出来ません。
今現在は、葛飾柴又の観光地としてゆるぎない名声を放ち、これも草葉の陰の寅さんのおかげです。
「東京人」の作家・早乙女さんの山田監督との結びつき、この出会いがなかったら柴又でなくほかのロケ地、内容も大きく変わっていたことでしょう。
寅さんはトランクを下げた香具師ですが、次回に書きますが早乙女さんの父親が興行師・これも監督が寅さんの職業を結び付けたような因縁じみた記事となっています。
お楽しみください。
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山田監督と早乙女さんにこんな繋がりがあったのを初めて知りました
この出会いがなかったら寅さんは・・・
世の中は偶然でできているのでしょうか それは必然なのでしょうか
早乙女さんと言えば 私は「パパママ バイバイ」が心に残っています
寅さんが柴又での故郷になった・・・・と言うことについては、早乙女さんの力、友達関係が功を奏した……・・と言うことは少々知っていました。
どちらかと言えば、作家早乙女氏は、戦争のことをまとめ上げたことで知っていた。
たまたま、図書館で雑誌を見ていたら、【東京人】「寅さんの故郷柴又・・・・・?」が色濃く綴ってありました。
そんなことから、この雑誌をもとに、自叙伝とコラボしながら、書き綴ってみました。
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