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記念講演会・「平成かつしか風土記特別展」  その3(完)

2016年02月20日 | 紀  郷土博物館 葛探団

留魂祠(りゅうこんし)

荒川掘削に伴い、大田区洗足池公園へ移設

 

海舟の墓の隣には西郷隆盛の留魂祠が建てられています。

勝海舟が西郷隆盛の死を悼んで立てたもので、当初葛飾区の薬妙寺境内に建立されましたが、


大正時代の荒川整備の時、碑のあった場所が河川敷になるため、海舟の墓の隣に移設されました。


「洗足池公園」

江戸城無血開城

 



漢詩は、


朝蒙恩遇夕焚抗/人生浮沈
似晦明/縦不回光葵向日/若
無開運意推誠/洛陽知己皆
為鬼/南嶼俘囚独竊生/生死
何疑天附与/願留魂魄護
皇城

読み下し文は、

朝に恩遇を蒙り、夕に焚抗せらる。
人生の浮沈、晦明に似たり。
縦い光を回らさずとも、葵は日に向かう。
若し運開く無くとも、意は誠を推さん。
洛陽の知己、皆鬼と為る。
南嶼の俘囚、独り生を竊む。
生死何ぞ疑わん、天の附与なるを。
願わくば、魂魄を留めて皇城を護らん。

由 緒

 明治維新の英傑、西郷南洲(隆盛)勝海舟の両先生は、大政奉還後の江戸城明け渡し交渉によって、

江戸の町を戦火より救われ、首都東京の基を築かれたことでも著名ですが勝先生は、

晩年、この洗足池畔に洗足軒と呼ぶ別邸を設けられ、南洲先生と日本の将来について歓談されたと伝えられます。

南洲先生はその後、明治十(1877)年の西南戦役により、故郷鹿児島において子弟三千余と共に逝去されましたが、

これを惜しまれた勝先生は、追慕のため南洲先生の漢詩を建碑されさらに明治十六(1883)年、その魂魄を招祠して

留魂祠を建立せられました。留魂祠の名は、漢詩「獄中有感(ごくちゅうかんあり)」の「願留魂魄護皇城(ねがわくはこ

んぱくをとどめてこうじょうをまもらん)に由来するものです。
 
この留魂祠は、もと東京南葛飾郡大木村上木下川(現、葛飾区東四ツ木1-5-9)の薬妙寺境内にありましたが、留魂

祠、大正二(1913)年、石碑とともに現在の地へ移されました。右隣には勝先生御夫妻の奥津城(御墓所)があり、維

新の両雄は、いまなほ相並んで我国の将来を見守っておられるのです。
                            南洲会

 

≪今度洗足池公園に赴き、これらの数々の碑をぜひ見てみたい。≫


コメ欄は閉めています。
お越しくださって有難うございます。

 


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