子供時代、木に登りて柿を採り食べた!
子どもの頃、庭に何本かの柿の木がありました。
小木で背の低い百目柿の実を、チョイと登れば、その場で捥いで喰う美味は格別で、
どんな果物に出会おうとも、たぶん超えることが無いだろう格別な味だった。
真ッ青な空の下で、たわわな樹木から、あの色鮮やかな実を捥げば、枝がザワザワたわみます。
そこでカリッと丸かじりし、甘みの粒立ちをシャキシャキ嚼み〆た時、澄んだ空と、
柿の木と、食べる私のお腹のふくらみは、美味しさと満足感で一杯でした。
なぜ「どんな果物と出会おうとも・・・・」という言い回しは、自ら木に登り、危険をも顧みず
自分で採って丸齧りしたというところに得難い醍醐味が在るからであろう。
自らの誇りは、登った木から落ちたり、未熟な渋い柿を食べたり、
近くの餓鬼の友達と一緒になって木登りをした。
柿の実を取って差し上げたりしたことに、幼い瞳が秋の季節に溶け込んで、
柿採りをしたことに思い出が一杯詰まっていたことが、脳裏に詰まっているのかもしれない。
👇の画像の柿は、東京の通りすがりの、家の角に自生していて、甘か渋かもわからない。
最終的には、採る人もなく赤く熟してポトリ、ポトリと落ちて柿の実の生涯を終える。
干し柿にでもできないものかと?季節になると見上げる。
近くの街角の庭先で見つけた柿の木
柿採りや郷国餓鬼の少年期 (縄)
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柿の木に登ったら 危ない ということと
実家には柿の木があって 私の部屋は2階で柿の木と同じくらいの高さでした。
そしたら 葉の裏に虫がいっぱいいたのです。
でも美味しい柿が生っていたものです。
いまはもう知らない人の屋敷です。
>百目柿郷国餓鬼の少年期 (縄)
夏井先生龍に言うと 少年の頃の思い出が 見えるようです。
台風が近づいています。
大きな柿の木、たわわに実っていて、とても羨ましいです。
手入れが良かったのか毎年沢山なりこちらに送ってくれました
やはりそんなことが柿の木を見るたびに懐かしくなります
百目柿…エエエ知らなかった。
この柿は皮を剥いて食べる柿で、
百目の名称は百匁(約375グラム)から付けられたと言われている。
≫≫≫台風が近づいています。
強烈、雨に風が、今日九州地方を上陸とか!!ご注意を・・・・・・・。
百目柿は渋いのもありますが渋いのは吊るし柿。
百目柿は通常・食べられるで育ちました。
柿の味甘さほんのり癖が無し
渋い柿さは噛んで吐き出し (縄)
○ 故郷の宅急便や柿届く
庭の柿の木思い出します (縄)
身内無く故郷遠き盆の月 (縄)
先月詠みました。
親兄弟が居なくなると
「ふるさとは遠きに在りて思うもの・・・・故郷は、只あり難きかな」
こんな心境が年老いた縄文人の1句と成りました。
いっぱいおありでしょうねぇ。
家の敷地内に甘柿が4本、渋柿が2本
離れた畑にも甘柿3本、渋柿が1本あります。
でも、いずれの柿の実も今度の台風でやられてしまうのではないでしょうか。
どんこ邸の屋敷は広いですから沢山の柿の木がありますね!!
渋柿は、
埼玉の地方は、夜になると皮むきをして吊るし柿を作りました。荒尾地方は海岸で暖かいその点はどうしたのかな・・・・!???吊るし柿造りは朝晩の冷え込みが甘い柿を作ると言っていました。
気象庁は、大型で非常に強い台風14号の接近を受けて、鹿児島県に暴風、波浪、高潮の「特別警報」を発表している。
熊本とて、ドでかい台風とのこと被害が最小限に納まること祈ります!!
百匁柿にはご縁がありませんでしたが、柿は大好物でした。(今でも最高の果実だと思っています。)
子供のころ、我が家では渋柿が植えてありましたが、焼酎で渋抜きをして食べたものは甘くて最高においしいと感じたものです。
ところで柿にはリンゴやミカンのようには香りが無いですね。
このことも食べて飽きがこない原因なのかもしれないと思いました。
最近の子供たちは、あまり外で遊ばないし、木に登ることもないのでしょうね。
秩父は、柿の木が多いですね。
知り合いがたまに干し柿を持ってきてくれました。
旧吉田町の方でしたが、美味しい干し柿でした。
最近は合う事がないので頂けないです。