トゲトゲのカラタチの垣根を見て思う
奥戸・宝蔵院にて
=カラタチの花物語=
北原白秋、山田耕作との
結び付けたのは、少年期の極貧生活だったのか?
北原・山田の名コンビで、多くの歌を残しています。
南葛88ヶ所の7番祠
山茶花
カラタチの垣根が宝蔵院入口に在ります。
実が2つ生っていた。
カラタチの花の物語
作詞/北原白秋、作曲/山田耕筰の「からたちの花」がある。
今回あるサイトで知ったのだが、この歌は山田耕筰が9歳から13歳まで
足掛け5年間通った自営館での話である。
その館の活版学校(勤労学校)での貧しく辛い体験を、
友人である北原白秋が詩にしたものです。
"からたち”は寄宿舎の近くにある畑の生垣。
耕筰は幼い頃養子に出され、活版工場に通いながら夜学で学んだ。
耕筰は自伝において、工場でつらい目に遭うと、"からたち”の垣根まで逃げ出して泣いたと述懐している。
詞の原案は、山田耕筰の少年期のエピソードによるものを、白秋が詩に仕上げた。
日本の音楽史に燦然と輝く人ですが、少年期苦労した事が伺える。
≪出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)≫
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白秋生家のある柳川には近いので
ちょいちょい出かけています。
帰去来の詩碑の回りにはカラタチが植えられていますよ。
ところで熊本県南関町の白秋・母親の実家は
このほど町が買い上げ、整備された上、一般公開されるということです。
やっぱり島倉お千代さんの「からたち日記」ですね。
あらためて山田耕作、北原白秋の略歴を追ってみました。
耕作は医師で神学者の父が病死して少年のころ苦学します。白秋は酒造業が破産して苦学したようです。
苦学が その後の人生の糧になる。
辛い目に合うとカラタチの垣根まで逃げ出して泣いたとか・・・切ないです。
そんな思い出を北原白秋が詩にしたためた。
からたちのそばで泣いたよ
みんなみんな やさしかったよ
辛い経験は生きる糧となるのですね!
他所の垣根のカラタチの実を数個黙って貰い
自分の畑に植えました。
今年は実がなったのですがこの木のとげ想像以上に
怪我をします。近々掘り取らねばと思っています。
今晩はコメント書く事が出来ません。
明日の朝・12/1(土)になります。
いい歌です。
山田耕作の、辛い時の物語がいっぱい詰まっています。
https://www.youtube.com/watch?v=nC9-40wKDfM
、
北原白秋の方は、2回目お手数かけました。
そうですか、
生家の詩碑の回りにはカラタチのあのとげが植えてありますか。
白秋、耕作は名コンビ沢山よき歌ずれも小学唱歌、オルガンで教わった歌です、を残されました。
い
多方面にわたり調べて頂きました。
そうでしたか、少年期辛い時期があったようですね。
これ等がきっと、肉や血となって、
あのお二人の名コンビから名作曲が生まれたのでしょう。
書き綴っていたら、ちょいと見まして調べましたら、お互いに苦労したことが書いてありましたので取り上げました。
実は、本文も祠と、山茶花をUPするわけでしたが、白秋・耕作が主文になりました。
、
チョイと長い文章になってしまい、お手数かけました。
何か両者に相通じるような文章が有りましたので、幼少期の2人をUPしました。
仰る通り、≫辛い経験は生きる糧となるのですね!・・・その通りですね。
、
自宅にカラタチの花が植えてある!
兎に角とげの多さにはビックリです。
しかし、作詩かと、作曲家が一緒になるととげの垣根もあの名曲に
なるのですね。
私は唱歌が好きです。カラタチの花も大好きです。
柳川も何度も行きました。
からたちの花が咲いたよ。
白い白い花が咲いたよ。
途中でメロディーの調子が代わるんですが 終わりごろのこの歌詞が好きです。
からたちのそばで泣いたよ。
みんなみんなやさしかったよ。
すずめの学校の方も読ませていただきました。
北九州 小春日和です。
きっとお出かけですね。
楽しい時間が待っていますように・・