1 手作りお焼き
≪ 食文化 地方に育つ お焼きかな ≫
長野県・鬼無里村にミズバショウを見に行ったとき。お焼きが美味しかった。
ふるさと秩父の、たらし焼きとミックスしながら、縄文人独創の昼食を作り上げた。
Y夫は、某デパートのお花のお稽古、これに気をよくして厨房に立った。
1 力水 2 縄文人特製おやき 3 きゅうりの古漬け
4 生野菜(サニーレタス+ブロッコリー+水菜+マヨネーズ)⇒庭で採れました
5 特製おやきに付けるタレ(砂糖+醤油+七色唐辛子少々) 6 豆腐(2分の1)パックのまま
2 お焼きの作り方
そば粉 即席ラーメン まずフライパンで焼く 焼き器に移して香ばしく焼く
①メリケン粉+そば粉(田舎石臼引き)+即席ラーメン半分+御飯少々
②これらを水でよく練って混ぜ合わせる。
③お焼風の形に整え、フライパンに油を引き、崩れない程度に焼きます。
④網焼き器に移して、こんがりと焼き上げます。
全くレシピーはありません、目に入った手近なものを混ぜ合わせて焼き上げました。
即席ラーメンは、分量が少なかったためあえて追加、これぞ縄文食。
3 力水
焼酎+カテキンサン入りお茶(粉茶)
4 ひとこと
原発問題がなかなか片付きやシネイがムシ・・・。
たまには、ふるさとの味を舌鼓して食べるのもヨカンベぃ、と思ってサァ・・・厨房に立ったチュウワケデガンス。
母を訪ねて三千里じゃあアンメイが、お袋の味チュウもんは、体サァ染み付いているダガネェ・・・・・・・・。
歯ごたえがあって、二つ食べたら腹イッペイだがサ。
バスの中で
山行の朝、”赤いダイヤよ・・・・”とソット手渡してくれた
女性がいた。
この実なんの実
木になる実
むかし見慣れた赤い実
庭に生る実
彼女がくれた実
気になる実
ワイワイガヤガヤ掌の実
思われの実
熊野神社から⇒子持山立て札 記録掲載
1、碓氷峠下ります
峠路は下から上に登るのが本筋ですが、下りコースをとりました。
一部を除き歩き易いなだらかな緑一杯のハイキングコースでした。しかし坂道は雨の流れた跡が水路となってV字を作り、石が転がっている場所もありました。
昔の面影を残す何の変哲もない峠道は、所々に説明案内板が目立ちました。
あえて案内板を羅列しました。
熊野神社に手を合わせ出発です。
葛ハイ28名、碓氷峠の旅人となる
標高939mです。ふきの大きな葉っぱに別れを告げる
日傘くらい大きな葉っぱでした。
みくにふみの碑
碓氷の社家に伝えられていたもので、その消滅を心配して昭和30年に熊野皇大神社が建てたものである
思婦石
国学者関橋守の作が刻まれている、1857年(安政4)建立の思婦石。
「ありし代にかへりみしてふ碓氷山 今も恋しき吾妻路のそら」と刻まれている。
化粧水跡
旅人が一息入れ、水に映った己の姿を整えた場所なのだそうだ。
「陣馬が原」案内板」が立っている。平地場です。
この辺りは、戦国時代の武田方と上杉方の合戦となった古戦場。
大きな石の間から水がほとばしっていました。水の流れを聞くとほっとします。
沢を流れる瀬音が涼しい。
追分の右側に「万葉歌碑」(碑と言うほどのものではないが)が建てられている。
兒持山若かへるでの もみづまで
寝るもと吾は思う 汝はあどか思う
万葉集巻14東歌 読人不知
峠路は、ハイキングコースには絶好のよき道ですが、カメラに収まるような場所はありません。
記録のためにupしました。
コメ欄は閉めております。
碓氷湖(坂本ダム)周辺を歩く
碓氷湖は、
利根川水系烏川の支流·碓氷川に建設された坂本ダム(さかもとダム)によって
形成 される人造湖(ダム湖)である。 ...
坂本ダムは、旧中山道坂本宿近くにあります。
この歌碑にありますように、秋の紅葉が素晴らしいです。
周辺を散策すると赤いコンクリート橋が目に入ります。
湖に弧を描いた景色は見事です。
大小二箇所に在ります。
湖の上は、旧中山道・碓氷峠につづきます
葛ハイの山友が前を行きます。
周辺は散策コースで1時間かけますとゆっくり景色を堪能できます。
有名な画家に白馬をあしらって描く人?・・・そんなことを思いながら。
中央に白を纏った方が歩いていました。
巨大な鯉がいました。
☆ 万緑に 鯉の泳ぎや 悠然と
元気な夫婦 ♂87歳・♀84歳
『サンショウは小粒でぴりりと辛い』K夫妻は小柄で凜として、
二人併せて171歳。
高齢にもかかわらず、前になったり後になったりしっかりした足取り。
よく、ご一緒するので凄いパワーだなぁ~・・・・と、いつもと感心する。
老いて益々元気なり。
前にも、縞枯山にご一緒した。
こんなエピソードを披露してくれた。
『今日は孫に留守番を頼んで出てきました。孫が赤ちゃんを連れてきているんですよ・・・・!ひこ孫なんです』
といいながら話の輪に入ってきた。
皆さんが、「ヒェ~スゴイ・・・ひこ孫!!?? 私など孫もいないのよ・・・・・」ひこ孫談義に花が咲いた。
碓氷峠を元気に歩く171歳、いつも同伴
健康の秘訣
奥さんに話を伺った。(昼食時に)
『何でも選り好みせず、美味しく食べること。そして動くことです』と明快な答えだった。
そのような長寿にあやかりたいです、・・・・・と言うと
『一日一日を、悔いなく生き抜くことが長寿につながります』と
これまた率直な答えであった。
旦那さんに伺った。
『私は、70歳になってから、山歩きをはじめました。そのとき葛ハイに入りました。
歩くことは自然の醍醐味を感じ生き生きしてすばらしいです。新鮮な空気に美味しい弁当。これからも歩き続けます。《歩きは健康の秘訣》』
山歩きに確固たる信念を持ち続ける、不動の精神の方・・・と感じ取った。
Kさんご夫妻、いつまでも元気で山歩きを続けてください。
葛ハイのシンボルマーク・てんとう虫です。
ゆっくりとマイペース。
県境線(群馬&長野)
日本武尊も驚いた難所、信州の東の入り口
☆ 県境い 餅とそば食べ 跨りし
赤レンガが境界線
足を踏ん張れば、群馬/長野の両県のパワーをもらえます。
←クリック
見晴台場の県境 視界不良でした。
碓氷峠の頂上の近く、標高1200ほどに位置する展望公園。ここは長野県と群馬県の県境になり、南アルプス、八ヶ岳、浅間山を一望できます。
素晴らしい眺望で新緑を楽しむことができました。
県境を見守る碓氷峠頂上の熊野皇大神社
熊野皇大神社は、長野県と群馬県の県境、碓氷峠に鎮座している。
県境にまつわるエピソード
・箱根駅伝(東京都~神奈川県)の2つ以上の県にまたがる駅伝の場合、県境を越えたところで その県の都道府県警察に白バイの先導が変わる。
・2008年11月4日から富士山ナンバーが導入された。山梨県、静岡県2県の陸運支局の管轄となる全国初のナンバープレートである。
脇役・引き立て役
忍野八海は数回訪れた。
富士山・伏流水がなんと言ってもメインで、観光地として発展してきた。
これを脇から支える水車小屋であり、茅葺屋根の兜造りであろう。このほかにも数々の
引き立て役を見つけた。
☆ 脇役は 隠れた場所で 晒される
☆ 軒下で 光り輝き 幾星霜
軒下の引き立て役を見ていたらこんな曲が浮かんだ。
♪一日二杯の 酒を飲み、さかなは特に こだわらず、マイクが来たなら 微笑んで 十八番を一つ
歌うだけ。
妻には涙を 見せないで子供に愚痴を きかせずに
男の嘆きは ほろ酔いで酒場の隅に 置いて行(ゆ)く
目立たぬように はしゃがぬように ...
観光地忍野八海を引き立てていた。
♪ 時代おくれ ←クリック
古民家・茅葺屋根の探求
茅葺屋根といえば、
世界遺産:白川郷、京都美山:かやぶきの里、福島大内宿ぐらいしか知らない。
今回忍野村の茅葺屋根を訪ね、屋根の醸し出す良さを知り、ルーツを知ろうと忍野村観光推進課に電話して伺った。
見事な庭を配しての忍野村兜造りの佇まい・・・癒されます
1、忍野村茅葺屋根のルーツ
東京の西多摩郡・桧原村のほうにもあるようです。
妻側を切ってあるのがあるのが一般的ですが平側(横)を切ってあるのは平兜造りというのだそうです。
養蚕農家の煙抜きのような気がします。昔は蚕は年に1回、明治になって品種改良で夏も秋も可能になり蚕室温め、その空気抜きと思います。
山梨は養蚕国、たぶん養蚕農家の母屋、蚕室兼用の住宅であったのでは。冨士裾野では地質から穀類はあまり取れなかったのでは?
ヒキノさんが仰っていた通り、忍野村役場のWさんも同じ答えが返ってきました。
ヒキノさんから寄せられたコメントをそのまま掲載しました。
2、屋根の形
南会津系に属するそうです。いわゆるカブと造り。
武蔵、西東京、相模、上の原の地域がこの系統だそうです。明治の初期、茅葺職人が忍野村地方に入りこのような屋根を広めたのが、現在このようにして保存され残っています。
屋根葺き職人は、田植えや稲刈りの後、出稼ぎで全国を回ったようです。天明4年(1784)の飢饉から出稼ぎ屋根職人が出始めたとされている。
茅葺屋根の下に咲く梅雨の菖蒲
3、茅葺屋根の良し悪さ
茅葺屋根の良さは①夏は涼しく、冬は暖かい②雨音がしない静かである③自然の材料を使い育成可能な自然資源である・・・など地球環境にやさしい屋根である。反面、屋根葺き職人が減少し①手間が掛かり費用が多額にいる②耐久性に乏しく、葺き替えにも相当な金額が必要である③火災に弱いなどのデメリットも多いので年々減少している。
4、村からの補助
費用の3分の2を村から補助されます。限度額は30万円まで。
資料画像です
(参考)千葉県干潟町、建坪58坪。工期98年3月
で600万円との事です。
忍野村役場、Wさん有り難う御座いました。