日々是好日・スローライフ(寅さんの柴又から発信)

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水神碑から「石井善兵衛の樋」を読み解く  (善兵衛樋 NO2)

2020年04月24日 | 紀  東京下町の情景ウオッチ

 

 

≪石井善兵衛翁の偉功碑≫

大正13年江戸川大改修工事によって碑が移籍されて来た

 

 

 

この辺は江戸川土手右岸直下の佐倉街道です。

大正13年に河川修復工事によって”水神碑”もここへ移動された来たと理解しています。

この街道を佐倉街道と言い、そのむかし佐倉に至る参勤交代の道で、また江戸末期は成田詣で大いに賑わった。

この地から100M程西へ進と、「さくら街道 として区民の憩い花見場所となっている。

今回はこの”水神碑”の裏面に刻んである石井善兵衛翁の業績を読み取ることです。

石碑に刻んだ文字は桜の枝が覆い、又文字に異物が混入されていて写真判読はとても無理と判断した。

帰り来て、「江戸川郷土資料館」にて、その資料をお借りして下記の文章となりました。

 


 水元小合溜めから流れ出た、用水路(東井堀路、小岩用水路)
そして旧佐倉街道(さくらかいどう)等の地図です。緑色用水路です。

 


 さくら街道を示す石柱と桜並木の始まり。

 

 
  水神の碑、石碑裏に下記のような碑文が書いてある    クリック拡大

 

≪石井善兵衛翁の偉功碑≫

旧文ですが、読むと易しい、この碑文が物語の主幹となっています。

 

南葛飾の地たるや土壌肥沃にして、最も耕作に適する。但夏季炎天数日に及ぶ時は毎に水澤枯渇し田圃荒廃に帰すること多く村民の疲弊も甚だしかりき。石井善兵衛翁はこれを憂い江戸川の水を引き之に潅かんとし、杉浦八五郎と共に計画するところありしも時運未だ会せず遂に明治10年の大旱魃に遭い全村困窮にを極む。この時翁巖然として其要を絶叫し有志糺合し協心同心寒暑を問わず、風雨の厭はず東奔西走し勧説惟れ努め又金毘羅皇神に祈願しその成功を期せり。衆始めて其至誠に服す。是より村民挙げて圦樋作業に従事し、明治11年5月漸く竣成し水利金通村民蹙眉を開く事を得たり。其歳九月東京府知事楠正隆巡視してその偉功を賞し、命じて善兵衛樋と呼ばしむ。

同14年重て府庁より賞状を付与さらる。爾来五穀豊穣人皆其堵に安じ和気蕩然として相楽しむ。大正13年江戸川改修のため、この問いを現位に移し、伊与田水田の大半を放水路となしたるを以て、同15年、3月之を小岩田普通水利組合に合併し、尚ほか配水路を掘削しついに今日の隆盛を見るに至れり。これは神明加護の致す所と士かも雖も翁の偉功も亦興つて力ありと謂はざるべからず。乃の碑を以てその功徳を不朽に表す云爾。

大正15年12 正5位勲三等 高倉正治撰井書



〇水神碑和親の力圦樋作業 
              竣工成りて五穀豊穣 (縄)

 

 

石碑は幅が1m余、高さが題座石を除きて3m余あり、かなり大きい石碑です。

石井善兵衛さんの偉功を後世に伝えるために、大正15年、「善兵衛樋」の場所に建立されていたが、

河川改修のために昭和42年に現在地に移設された

 

 


馬頭観音地蔵菩薩

その近くに祠があり、馬頭観音碑と地蔵菩薩が祀られていた。 

右側の地蔵菩薩は慈恩寺道の道標になっていて、

右面に 「 是より右岩附慈恩寺道 岩附迄七里 、是より左千手道 新宿迄壱里千手迄弐里半 」 とあり、

岩槻と千住の二方向と距離が示されている。 

正徳三年(1713)に建立されたもので、埼玉県の慈恩寺まで行く旅人によって大事な道しるべで有ったようです。

 


上小岩親水緑道用水路 【  地図参照)


 この「善兵衛樋」からほぼ南に向かって約1キロメートル、「上小岩親水緑道」が続いています。

とても気分のいい道筋です。京成電車の線路にぶつかるまでの遊歩道です。

途中には、ベンチがあったり、草花や木々が植えられ、流れには、魚も泳いでいました。

要所要所には、発掘されたのでしょうか、大きな石組みが無造作に置かれています。


 当時の名称は、北小岩川。下水道の整備に合わせて親水緑道とし、

このあたりでは、弥生時代後期から古墳時代にかけての史跡が見つかっているために、

古代の歴史をテーマに整備したようです。

こうして、旧佐倉街道も含め、かつての自然を再現(?)し保存することは、とても意義あることだと思いました。

 

 

open

 

次回は、古老探し求めて歩いたが出会わず、
石井善兵衛翁宅を知る人に出会う。 

******************************

 

≪今朝の一句≫

岡江さん逝く

=岡江久美子さん感染非公表 「元気と報告するつもりが」・・・4/23(木) 19:11配信=



岡江さん「元気になった・・ら」非公開
           急遽逝くとはコロナ恐ろし (縄)

合掌

 

 

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甍の波と雲の波

2020年04月24日 | 総  こだわりウオツチング

鯉のぼり

 

 

今年の鯉のぼりは元気がない。新コロナ、来るな出るな、家に居ろ!!

之では空で舞っている、鯉のぼりだって張り合いがない。

公園も入り口が閉まっていて「新コロナで閉園です。しばらくの間休みます」の張り紙が掲出されていた。

 


 葛飾区北沼交通公園、
今年は掲出してなかった。これ蔵出し


保育専門学校にて


 園庭に張られた鯉のぼり

 

 〇 鯉のぼり新コロナ菌呑み込んで
           泳げ青空緋鯉や真鯉い (縄)

 

 

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水神碑から「石井善兵衛の樋」を読み解く  (善兵衛樋 NO1)

2020年04月23日 | 紀  東京下町の情景ウオッチ

 

 

「水神の碑」

石井善兵衛・治水家

 

はじめに

1892 明治時代の治水家。武蔵葛飾郡上小岩村(東京都)の人。
(4/22再々調査の結果、石井善兵衛氏の生家たどり着く・後日解説)

農業用水にとぼしい小岩に江戸川から水をひくことを計画。

明治11年上小岩村,中小岩村など4ヵ村への用水路を完成させた。

明治25年10月12日死去。 ...

明治時代、上小岩村の石井善兵衛を中心に運動を進めた結果、明治十一年(1878)に取水口が完成し、 善兵衛樋と命名された。

  大正十三年(1924)、地元の人達が、その功労者の氏名並びに石井善兵衛の功績を称えるために作ったのが水神碑である。

親水滝が滔々と流れるは、善兵衛樋の現代版であることを物語っていた。 

善兵衛樋は、高く組み上げた岩と岩との間から、江戸川の水が勢いよく噴き出し、流れ落ちる仕組みになっていた。

 

小岩用水 



(石井善兵衛の心意気に感動し、再々実査を試み
ある程度の概略が筆者にぼんやりと把握できました、その実録の内容を記します)

     クリック拡大
水神付近の地図


 佐倉道の案内石標

 

        善兵衛樋と水神碑               

江戸時代この辺一帯は、水元小合から用水路にて導水されていましたが

水量が少なく、干天になると水不足に悩まされた。

目の前に江戸川が流れているのにと・・・・悔しがった。

明治10年代に旱魃が発生して収穫が皆無となった。


そこで石井善兵衛を中心として江戸川から掘割を作り、水を引きて付近一帯の

田畑に給水、この工事が5月に完成した。

水神の碑には善兵衛樋と、尽力された40名の名前が記されています


現在は、石垣積みの親水公園となって”善兵衛樋”を彷彿とさせ、水辺の遊び場になっています。


「善兵衛樋」は、高く組み上げた岩と岩との間から、

江戸川の水が勢いよく噴き出し、流れ落ちる仕組みになっていて、まるで滝のようです。

滝前に2人掛けのベンチが2脚あり、これに腰を掛けしばし物思いに耽った。

 

岩場から流れ落ちるよ水の量
            江戸の昔よ干上がる田圃 (縄)

 

その背後、見上げるような土手の向こうには、

江戸川からの取水口と流れがそのまま残っています。

石井善兵衛は、なぜ!?どうして!?

ここ旱魃の地へ水を流すことが出来ないのか、身震いしたであろう。

 

*参考・補足

大正13年江戸川大改修工事 
大きく変貌していて当時の原形とは大分違った土手です。

 

 

OPEN

「石井善兵衛の項」no1~no5まで続く

 

 

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サボテン・散歩から

2020年04月22日 | 自然  植物(木、花、苔を含む)

ウチワサボテン

公園の管理事務所前にて

 

人間背丈の倍ほどのサボテンが有りました。

見上げるほどのドデカイ高さ、よく成長したものです。

形もいろいろで柱形や球形、うちわ形等々、ご存知のように全身から痛そうなトゲがでてます。


 成長しすぎて切断


 切断したところから萌芽が出ています。

覇王樹(さぼてん:saboten_)

仙人掌の花(さぼてんのはな:sabotennohana)

どっちもサボテンと読むらしく、今回の記事を書くにあたって、私も初めて知りました。
語源は中国らしいのですが、覇王とか仙人とか、この漢字充てる人、サボテンに思い入れがあったんですかね

新コロナ感染数ヒタ隠し、その後激増そんなことを思うと・・??

むかしのことを調べるともろもろの日本の文化は”中国”が起点です、

この様に漢字も”中国”にたどり着く。

中國よど広い陸地どこまでも
               コセコセせずにおおらか行くべぇ (縄)

 

 

OPENに変更

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滝からの流れた水 ➡ 用水路  (その昔周辺水田の水不足、佐倉道その6)

2020年04月21日 | 紀  東京下町の情景ウオッチ

クリック拡大
新八水路水揚げ水車の様子(想像図)
1段階に3台づつ、計9台の足踏み水車が並んだと言う。足踏みの労働は、
住民が交代で行い、交替時間の計測は、線香を用いて、燃え尽きるまでを交代目安とした。

 

 

 

 

柴又用水路が有ったにも関わらず、
        水田の水不足に悩まされた!!(柴又地区)


 柴又八幡神社境内柴又用水路記念碑


次郎橋付近の小岩用水から柴又用水への分岐点


 柴又帝釈天前の用水路


葛飾探検隊に所属して調べた。

大正・昭和時代の柴又用水跡を歩く 

 

 

 

上記と同じように
 善兵衛樋&北小岩地区も水不足に悩まされた
(善兵衛と水神碑より)

 

佐倉道と用水路
水神碑&地蔵堂&石井善兵衛記念碑


 赤線・佐倉街道より下方の地域が水不足でした。
石井善兵衛なる人が力を発揮し、江戸川から水を引き込んだ!!
次回はこれを調べます。

 


石井善兵衛の功績をたたえる碑

 江戸時代に石井善兵衛なる人ありき、水元小合溜めから用水路にて水を引いて
それでも水田に導いていましたが、上から流れ来る水だけでは、

不足で稲作を生育に悪影響を及ぼした。善兵衛さんは江戸川からの揚水を
考え一大尽力され村の偉人として功徳をなされた。

 


小岩親水緑道の入口付近にある地蔵堂。
右写真は道標を兼ねた地蔵菩薩立像で、江戸川区内で最も古い道標とされる。右側面に「是より右 岩附慈恩寺道 岩附迄七里」と刻まれ、この付近で成田街道を分かれてる。
江戸川沿いに北上し、慈恩寺(埼玉県さいたま市岩槻区)へ通じる道を示す。正徳3年(1713年)建立。

 

 

 


 上小岩親水緑道水路

 

 

◎ 次回は江戸時代に石井善兵衛

なる人の水に対する公徳が如何なるものであったか、どの様にして

江戸川から水を導きて稲作を潤したのであろうか?を

検証します。

 

 

 

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桜と滝の流れ、そして水路の行く先、水の流れ (佐倉街道その5)

2020年04月20日 | 自然  環境・自然・四季

 

滝が流れて水路となりて高➡

≪人は易きに流れる≫ ➡ 三文哲学

 

 

水は高きから低きへ、住宅街を抜け町の人々の安らぎを与え、

子どもたちの水遊びの広場を施し低きへ低きへと流れていきます。

暗渠になって果て?さて?…。

 

 


 滝として高きから低きへ


石井善兵衛の功績をたたえる碑

 江戸時代に石井善兵衛なる人ありき、水元小合溜めから用水路にて水を引いて
それでも水田に導いていましたが、上から流れ来る水だけでは、

不足で稲作を生育に悪影響を及ぼした。善兵衛さんは江戸川からの揚水を
考え一大尽力され村の偉人として功徳をなされた。

「井上善兵衛」については、後日に記事とします。


 住宅街を流れる水路


水路の中に菖蒲を植え水の流れに変化を持たせる

                                                                                                                                     
この用水を河川や溜池などの水源から離れた場所に水を引くために
人工的に作られた用水路で流路に石を配しています。

 

 

≪三文哲学≫

水は高きから低きへ『人は易きに流れる』


 孟子曰く。

「水の低きに就く如し」

 この故事成語の意味は「流れる水は止めようがないこと」とあった。ところが、我々は孟子の言葉から離れ、次のように言い足して使う。

「水は低きに流れ、人は易きに流れる」

この使い方は孟子の主張とは異なっているようだが、この「易き」の解釈について考えた。まず、ネットの解説文を読んで孟子の性善説を自己流に解釈した。

 水は東の堰を開ければ東に流れ、西の堰を切れば西に流れる。また、水は高き所から低い方に流れる。しかし、手ですくい上げれば頭上高く跳ね上がるし、堰を作れば山の頂にも達する。それと同様に悪に流れる人間の性が悪いのではなく、水と同様に人間は周りの環境が変える。

 

振り返る・参考資料

さくら道 その1・ 

さくら道 その4・ 

 

 

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

 

今朝の一句

行く春や水路の流れ何処へやら (縄)

用水脇散策路を歩いていると、暗渠あり橋があり、思わぬところに
子供の水広場に出会う。

高きから低きに流れる水路に沿って歩いてきたが,あるところから
暗渠!??になってしまった。水の行くす先は・・・。

 

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野菜  (春菊、レタス)

2020年04月19日 | 自然  環境・自然・四季

野菜・半坪ほどの花壇&畑

 

 

ママゴト程度の畑です。これが野菜です、畑ですとUPするは恥ずかしい。

すくすくと育ってくれている、生命力に感謝です

土いじりが出来ないと寂しい、無理やりほんの猫の額ほどの・・・・。

 


 種まき1週間遅れ、下との比較


 春 菊・先蒔き


 春菊


 ワインドレスリーフレタス


 三つ葉

 


 チマサンチュ

 

 

 

今朝の一句

春菊や採らぬ前から胸算用 (縄) 

天ぷら、おひたし、いやマヨネーズにて・・・・・。これを捕らぬ狸の皮算用と
言うのでしょうか・・・・!?


朝の1枚・東の空

5,10分屋上にて、東の空を眺める。
昨日の突風、大雨とは違い、太陽が顔を出し晴れ模様大丈夫。
天気予報は、お天気お日様マーク。


クリック拡大

 

 

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源照寺     (佐倉道 4)

2020年04月18日 | 紀  東京下町の情景ウオッチ

山田検校の墓



江戸時代中期の箏曲家・生まれ幼くして失明。

作歌物(さくうたもの)と呼ばれ、「江の島」「那須野」また「初音曲」などが代表作です。

 

 

山田検校作・山田流箏曲

「初音曲」 

 

墓は東京都指定旧跡に指定されています。

山田検校(1757-1817)は、江戸時代中期の箏曲家です。
宝生流能楽師三田了任の子として生まれ幼くして失明、箏曲の道に入りました。

医師山田松黒から箏曲歌の伝承を受けたとされています。
箏を主奏楽器とする箏浄瑠璃とも言うべき新しい音楽を創案し、多くの作曲を行いました。
これらの曲は、後年、山田流箏曲と呼ばれています。
検校は、1817(文化14)年に惣録検校まで進みましたが、同年のうちに亡くなり浅草

山谷源照寺に葬られました。現在の墓は、関東大震災ののち、2017(昭和3)年に移転されたものです。

東京都教育委員会

山田検校の墓を見せて下さいと言いましたら、坊守さんが出て来て
石扉を開けてもらいました。有難うございました。

 


 木蓮が咲いていた


 源照寺の花見の囲い        いずれも3月27日撮影

 

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

4月18日1句・1枚

今朝の雨予報通り降りしきる
          寝るときTV大荒れる・・と(縄)

今朝起きて外を見る。見る前にガラス戸を伝わる雨粒の大きさにビックリ!!
今日は天気は、突風・大雨・雷などの荒れ模様の天気
昨夜そう伝えていた。



クリック拡大
窓を開け、外を見ようとしたが大雨で
ガラス戸を閉めた。

 

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路傍の花,(散歩、.4歩、5歩、~百歩~千歩・・・と)

2020年04月17日 | 自然  植物(木、花、苔を含む)


散歩するブラブラ歩き「密」は避け (縄)

 

 

ヒマラヤユキノシタ

 

常緑多年草で、葉は長さ10-20cm、幅10cmほどのキャベツに似た形で、

らせん状に茎につきロゼットをつくる。

桃色の花が春に多数、集散花序をなして咲き美しい。耐寒性が高く育てやすい。

 


 一株の若い花を見つけました。


  肉厚の葉っぱ

 

* 初めてUPの花です。
間違っていたら教えてください。

 

花言葉の由来

         「秘めた感情」の花言葉は、冷たい雪の下でも枯れることなく、

          早春にピンク色の可憐な花を咲かせることに由来するといわれます。

         「順応」の花言葉は、暑さ寒さに強く育てやすいことにちなむといわれます

 

 

 

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路傍の花・散歩で見かけた花

2020年04月16日 | 自然  動物(魚、昆虫を含む)

ハナズオウ

 

 

落葉低木で、春に咲く花が美しいためよく栽培される。
蘇芳花(スオウバナ)とも呼ぶ。

高さは2-3mになり、葉はハート形でつやがあり、葉柄の両端は少し膨らむ。

早春に枝に花芽を多数つけ、3-4月頃葉に先立って開花する。

花には花柄がなく、枝から直接に花がついている。花は紅色から赤紫(白花品種もある)で長さ1cmほどの蝶形花。

蘇芳 

 

初めての花で名を調べてUP、
間違っていたらご指摘ください。

 


金網の内外に咲き誇る!!


ピンクがとても綺麗でした。


 i一般家庭の花が路上にはみ出て咲いていました。

 

ハナズオウ(花蘇芳)の花言葉とは?

『疑惑』『裏切り』『不信』『高貴』『豊かな生涯』

ハナズオウの仲間であるセイヨウハナズオウは、イエス・キリストに仕える
十二使徒の一人「ユダ」がキリストを裏切った後、命を絶った場所に生えていた木です。
この話から、「疑惑」「裏切り」「不審」という花言葉がハナズオウにも付けられました。

 

閉めています。

 

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