新コロナで、消え失せた卒業式(孫)
NHKラジオ深夜便を昨晩も聞き惚れていた。
番組の中で、『幼き日のうた(春・唱歌・童謡・抒情歌集)』の懐かしき歌が流れ、
当時を思い出し過去を膨らませてた。
そんな時司会のアンカーが、「春と言えば卒業式、今年は新コロナニュースで突然に飛んで
行ってしまいました」と唱歌を紹介しながら一言添えた。
私の卒業式を思い出すと共に、長男息子の孫が卒業式だったとふと気づいた。高校の進路は決まったと言うことを
聞いていたが、あまりにも突然「消えた卒業式で」寂しい思いをしたのではなかろうか?
筆者の卒業式は遠い彼方に消え失せたが、これから将来を背負って立つ孫たちの卒業式が消えたことは、
どのような影響?を思い出が消えうせたか見当がつかない。
過日両親と無事に高校入学式を終えて来たと立ち寄った。「元気で頑張りな!」と一言励ました。
ラジオで聞いた「幼き日・唱歌・童謡・抒情歌集」を聞いていたら、孫の消え去った卒業式、
私の遠い昔に消え失せた卒業式とセットとなって、卒業式が込み上げて来た。
縄文人の巣立った学校
私の卒業した小中学校
初代校長 増田源次郎胸像 黄色い〇
中学卒業後の最初の同窓会
卒業式「秩父音頭」が贐けと
歌詞(踊りも)の指導を運動場で (縄)
≪先生の言葉≫
これから君たちは、遅かれ早かれ社会に飛び立つであろう。酒を飲む機会、歌を唄う機会もあるでしょう。
歌1つも歌えなかったら郷土・学校が恥ずかしい。この「秩父音頭」を大きな声で高らかに歌ってください、
これが君たちへの贐の言葉です。
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