さようなら半藤さん
秋篠宮悠仁殿下に伝えた「空襲体験」 磯田道史
半藤さんが私たちに残した宿題 保坂正義
新聞の扱いが凄かった。
訃報として3面記事の4分の1に渡り掲載された。普通訃報欄は太線に4~5行で終了。
半藤さんが如何に社会に尽くしたか?業績は如何ばかりであったのか、
その辺を読み取ろうとし買い求めた。
半藤 一利(はんどう かずとし)、
(1930年〈昭和5年〉5月21日 ~ 2021年〈令和3年〉1月12日)は、日本のジャーナリスト、戦史研究家、作家。近現代史、特に昭和史に関し人物論・史論を、対談・座談も含め多く刊行している。
文芸春秋には「さようなら半藤一利さん」の形式で、磯田・保坂両氏によって追悼文となっていた。
半藤一利氏の記事は、いつもお世話になっている『ヒキノさん』の
余すことなく、丁寧に綴られています、是非お読みください。
文芸春秋から読み取ったもの
▼ 皇室の「ご進講」に尽力された
重複する場面を有りますが文春のポイントを書き綴ります。
半藤さんは「日本の歴史観」を作り上げたお一人として、事実を持って謙虚に歴史に向き合い昭和史に光を当てた業績は極めて大きいと磯田・保坂両氏が声を上げていた。また両氏は天皇皇后両陛下にお会いし「ご進講」なされた。皇室への思いは強く、進講についてお二人とも半藤氏に付き添われ同道され様々な事を教えてた。皇室の佇まいに深く敬意を持たれ“昭和天皇の涙を流された”ことについても語られた。
▼ 少年期の「東京大空襲」が人間の原点
半藤さんは「焼け跡の誓い」の絵本を刊行した。
この絵本を基に「秋篠宮悠仁殿下に太平洋戦争のこと分かりやすく話してください」との侍従から依頼を受けて「家庭教師」勤められた。その際この絵本を基に空襲体験を話されたそうです。
半藤さんの原点は「人間が人間でなくなる恐ろしさ、これは少年期の体験した「東京大空襲」である。この体験が人間形成の大きな柱になっている。その惨状を伝えているのが、≪人間が焼き鳥と同じようにあっちこっちに死んでいる。一塊となって死んでいる。怖くもなければ汚くもない≫そしてさらに文章は続く。≪辛うじて生き延びた私が、この朝数限りなく目にしたことは、「人間ですらない」物であった。たしかにゴロゴロ転がっているのは炭化した真っ黒い物。人間の尊厳とか、言うきれいごとは何処にも無かった。戦争の恐ろしさ、の本質はそこにある。・・・・・・・・・(Bメン昭和史)
日本社会が4文字7音の世界に没入した時は、時代が曲がり角に差し掛かっているとみてよい!! 「絶対」と言う言葉は使わない。これは皇民教育への怒りが背景にあると言う。それが軍事ファシズムへの道だから。ものごと(事象)を絶対と一筋に見るのでなく相対的に見ないと間違った方向へ進んで行く。そして4文字7音の語彙を用いることは危険の入り口差し掛かっているのかもしれない。大政奉還、公武合体、富国強兵、王道楽土、五族協和、国体明微、一億一心、万世一系、聖戦完遂、…つまり考えることを放棄し、そのうえで陶酔に陥るのだ…と説いている。
▼ 奥さん末利子さんは、夏目漱石のお孫さん
いま私は日経新聞連載「ミチクサ先生」=夏目漱石物語、を読んでいます。
『金之助の下に、鏡子の災難が報されたのは五高での早朝課外授業が終ってほどなくだった。顔見知りの車夫が手紙を手に校内にやって来た。
旦那さま
鏡子奥さまが今朝散歩の途中で白川に落ちられました。命に別状はありませんで、今お休みされています。・・・・』
半藤一利さんの妻は夏目漱石の孫・交流のあった熊本の関係者が死別を惜しむ声が強い。一九九五年4月、半藤一利・末利子さん夫妻は夏目漱石来熊100年記念イベントに参加され96年に舞台化された小説「草枕」の脚本を手掛け、創設された「草枕文学賞」の選考委員を務めた。(この項他から引用)
▼ 磯田・保坂両氏の言いたかったこと
いま日本は重大な岐路に差し掛かっている。首相が都合の悪い公文書は破棄したり、顔色を窺ってモノをいう空気が蔓延している。これは歴史の教訓によって全く学んでいない「二度とあんな時代に戻ることはないだろうなぁ~・・」半藤さんの声が聞こえる(保坂氏)
“危うい前提”で突き進んでしまうのが、まさに半藤さんが生涯を掛けて避けるべきことと訴えて来た。半藤さんは本筋ばかりでなく何よりもユーモアがあり深刻にばかり物事を考えていてはダメ!江戸っ子らしく、無造作に寿司を口に放り込むように運んで微笑んでいたことが目に焼き付いて離れない。(磯田氏)
◎ 好奇心・現場力・記憶力――渋谷ハチ公を見に行った4歳の半藤少年、すでに歴史探偵としての才覚は芽生えていた。(磯田氏)
◎ 真髄を見抜く確かな目をもち、人情にあふれた実情に迫る、東京大空襲が原点の人であった。(保坂氏)
◎ 磯田、保坂氏は半藤さんと同道して、天皇皇后陛下(現在の上皇上皇后)
お目にかかっている。
片面的でありますが、筆者の見たまま思ったままを綴りました。
偏向的であるかもしれませんがお許し…を。
コメ欄は閉めています。