終戦から28年、横井庄一さんが帰国
NHK5時から「まいあさ・ラジオ」を聴いていた。
今日は「何の日というコーナー「」があり「横井正一さんが帰って来た日」と報じた。
日本中の人が驚き、沸いた、叫んだ、泣いた。
小生35才の時、衝撃的ニュースとして脳裏の片隅に刻み込まれていた。
もう一度、振り返って見た。
良くぞと言うか・・・頑張ったと言うか・・信念と言おうか・・人間横井正一
(NHK)を見ていたら、何粒かの涙が落ち異様に込み上げてくるものがありました。
歴史は幕を閉じたと言えばそれまでですが、
あまりにも歴史を覆す衝撃的なニュースでしたので取り上げ当時を振り返った。
ネットでの資料を使わせてもらいました。
羽田空港に降り立っ。
太平洋戦争当時、陸軍軍曹として参加していたグアム島の戦いで、一人ジャングルに潜み続け
そのまま終戦を知らないままでいた。
横井庄一さんが、終戦から約28年後の1972(昭和47)年2月2日、無事羽田空港へ帰国。
帰国後、
と語った横井氏の戦争が、この日 終わりを告げました。
現地で使っていた小道具類
昭和47年(1972)1月24日、グアム島の南部タロフォフォのジャングルで、1人の残留日本兵が発見されました。この人はタロフォフォ村事務所に保護された後、グアム島警察に移送され、そこで事情聴取されました。そして、愛知県出身の横井庄一さんと判明しました。
横井庄一さんは大正4年(1915)3月31日、愛知県海部郡佐織村(現愛西市)に生まれました。昭和5年(1930)から豊橋市の洋服店に洋服仕立て職人として勤務したあと、昭和11年(1936)から名古屋市の実家で洋服仕立業を営んでいました。昭和13年(1938)5月に最初の召集で日中戦争に従軍し、昭和14年3月に召集解除となり帰国しました。ふたたび名古屋で洋服仕立業を営んでいましたが、昭和16年8月に2度目の召集を受け、満州へ派遣されました。
そして、太平洋戦争開戦以来日本軍が占領していたグアム島防備のため、昭和19年(1941)3月、横井さんたちの部隊はグアム島に移動しました。同年7月にはアメリカ軍がグアム島に来襲し、激しい戦いとなりました。しかし、日米両軍の戦力差は歴然としており、勝ち目がなくなった日本兵はジャングルへ逃げ込みました。ジャングルの中を移動しながら反撃することもかなわず、日本兵も減少してゆきました。横井さんたちは戦争が終わったことも知らずに隠れ続け、横井さんのグループも3人になってしまいました。
やがて、仲間の2人も亡くなり、最後の8年間は1人きりでした。発見されるまでに28年もジャングルにひそんでいたのです。発見されたとき、横井さんは56歳でした。
1月24日の発見後、横井さんはグアム島のメモリアル病院に移送され、精密検査のため入院することになりました。やがて到着した日本人医師団とグアム島医師団との協議の結果、病院を転院するという形での帰国が決まり、2月2日に特別機で帰国されました。帰国した時、「恥ずかしながら生きて帰ってまいりました。」という横井さんの第一声に、多くの国民は「生きて虜囚の辱めを受けず」と教えた『戦陣訓』を思い出しました。
(横井正一記念館、資料抜粋)
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