私の映画玉手箱(番外編)なんということは無い日常日記

なんということは無い日常の備忘録とあわせ、好きな映画、韓国ドラマ、そして
ソン・スンホンの事等を暢気に書いていく予定。

セクハラ・・・パワハラ

2013-05-01 21:21:45 | なんということはない日常
「セクハラになる人」「ならない人」はどこが違うか(プレジデントオンライン) - goo ニュース


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仕事の関係で「セクハラとは?」「パワハラとは?」という話を聞く機会が時々ある。

昭和の時代に会社員だった経験がある人は、男性上司が女性の部下の肩に手を置き「もうちょっと頑張ってくれよ!」というのを直接経験したり、そんな場面を見かけたりしたと思う。
こんな風景はごくごく普通の出来事だったはずだ。昭和の時代は誰もがこれをセクハラだとは思っていなかったし、そもそもそんな言葉もなかった。
しかし、平成のこの時代、肩に手を置き激励するなどはもってのほかと言われている。
上司向けのセミナーなどでは、講師の人が「みなさん!!時代が変わったことを理解する必要があります!!」という説明を出席者にしているはずだ。

セクハラ、パワハラとセットで話題に上るケースも多いと思うが、セクハラと違い、パワハラはグレイゾーンが多いと言われている。
「相手がセクハラだと思ったらダメです。」というセクハラと違い、パワハラは相手がパワハラだと思ったらパワハラということだけでは問題が解決しない。こういう考え方だけでは職場の指導が成り立たないからだ。

私が研修で見たDVDの事例集(再現ビデオ風だった)では、上司のどんな行動に対しても「パワハラです。セクハラです。」という部下が登場し、上司が対応に苦慮していた。パワハラとセクハラのセットに対して、「セパ交流戦」などという表現まで出てきて、見ている私たちはちょっと苦笑してしまった。
パワハラについては、「ここはキチンと対応できているが、ここは間違った対応だった。だからこのように訂正すべきだ」と上司がキチンと論理的に説明できるのかどうかがポイントになっているようだ。
闇雲にしかるだけではだめだという事なのだが、その論理的な説明もなかなか難しい。

(以下、私の超個人的な見解・・・)
自分が論理的だと思っていても、昭和の香りのする論理的な説明方式だと頭ごなしに叱っていると思われて終わりらしい。
ただ一般的に言われている平成的な論理的説明は、私が思うにやや甘やかし過ぎの説明になるきらいがあるように思える。
さじ加減が非常に難しいと思う。。。。