時代劇でも史実に沿わないフュージョン時代劇のいいところは、自由な発想があるところだ。
時代劇らしい基本的な展開はキチンと抑えつつも、危機一髪の際の逆転劇などアッと驚く展開をも描く事が出来るのがいい。
それに沿うなら、御医と大妃には、悲劇的な結末が待っていようとも二人の道を進もうとする基本的な展開が待ち受けており、イ・ゴンとイ・ゴンとミョンユンには、かなり自由な発想とともに未来がある道が待っているだろうということ。(暗行御史(アメンオサ)になって各地の悪代官を征伐するというのは、若めの水戸黄門的な展開に思えるが、自由度が高い展開だ。)
勿論、孫であるトソンの存在を利用し、「一族の繁栄の為」と言いながら、自らの私利私欲の為にあれやこれや策略を巡らせたトソンの祖父の最後等は史実に合わせる必要が無いため、「欲にまみれた者に明るい未来はない」という分かり易い最後が待っている。
フュージョン時代劇の良い点が活かされていたと思われるのは、イ・ゴンの弟であるトソン大君の描かれ方。
当初から兄に全幅の信頼を置いていた弟のトソン大君。途中ミョンユンを巡りイ・ゴンと確執があるものの、これが史実に沿ったドラマならあの程度の描かれ方で終わるはずがない。もっとドロドロして一人の女性を巡り血で血を洗う展開が待っていただろう。その上、自分は王になる器でないと分かっていながらも、権力をも握ろうと逆切れし、祖父の企みにも欲望むき出しで乗っかり、こちらももっとドロドロとした展開になっていたに違いない。
若い彼らにフュージョン時代劇らしい未来が待っていたのと違い、時代劇らしい悲劇が待っていた御医と大妃。
この二人にあまり肩入れすることが出来なかったのは、御医が「結果を出してから結婚したい」と幸せの形にこだわっているうちに彼女が老王に見初められてしまうという悲劇が起きてしまった事だ。
本来なら、王の傍若無人な態度に腹を立て、運命のいたずらに翻弄される2人の境遇を親身になって心配すべくだったんだろうが、私は「理想を追い求めず、彼女を待たせずに、結婚したいという彼女の夢を早々に叶えてあげていられたなら、こんな悲劇も起きなかったのに」と思ってしまったため、結局最後まで二人の行動に親近感が湧かなかったのだ。私の好みの問題なのだが、この二人の境遇にもっと寄り添う事が出来たら、もっと別の楽しみ方も出来た事だろう。