③ 「海はいいなあ。僕が航海学校を出て任官して、対馬の厳原の基地に行ったとき、あのへんのきれいな海が僕には自分の領地のような気がしたものさ。」(「灯台」)
初出は「文学界」(昭和24年5月号)で、本作で作者は「演出家」としてデビューすることとなる。
なかなかの佳作で、そのためか、昭和34年には「灯台」として映画化されている。
さて、上に引用されたセリフの後には、以下のくだりが続く。
「僕は戦争が終はつたら、あのへんの海を一里四方ずつ頒けてもらはうつて、戦友と話し合つたもんだ。・・・・・・しかし僕が任官したあくる日にお母さまが亡くなつたんだつけなあ。(以下略)」
この「海」も「第2の animus」である。
つまり、(疑似的な)自我の拡張の対象であるが、性質上、「到達不可能」である。
案の定、昇には「海」が「自分の領地」(自我の拡張対象)のような気がしたが、これに接近した翌日、母は亡くなってしまう。
それにしても、ここで「海」に「母」→「女性的なるもの」を包含させてしまうのが作者の上手いところである。
この後、昇(25歳)は、継母のいさ子(30歳)に激しい恋慕の情を抱くこととなる(ここでは、いさ子に「海」が重ね合わされている)。
だが、昇といさ子とは、インセスト・タブーによって隔てられている。
ここでもやはり、昇にとっていさ子は「到達不可能」な存在である。
要するに、いさ子も「第2の animus」だったのだ。
・・・ちょっと現代風にアレンジすれば、今でもなかなか面白いファミリー・ドラマになりそうだ。